第102話 あなたを愛しています
立花家を後にしたぼくと愛花は寡黙だった。
街路樹ではセミの鳴き声がして、日差しの強さも相まって、よけいに暑さを感じてしまった。
県立病院が見えた時、どちらからともなく、自然と海の方に足を向けていた。
(海風を浴びれば少しは涼しく感じるだろう)
そんなことを考えながら
「同じ言葉だったんでしょ? 大輔さんを助けて、消えて行く時の彩香さんの言葉と、さっき見た動画の彩香さんの言葉」
「ああ」
「それでもまだ、幻覚だと、思う?」
ぼくは無言で首を横に振った。
「彩香はあの時、あの場所に、間違いなくいた。誰が何と言おうと、彩香とヒロシ君がいて、おれを助けてくれたんだ……。あの日見たものを、おれはもう、疑わない」
隣りにいる愛花が大きく頷いた。
そうなんだ。
彩香とヒロシはぼくと愛花の事をすごく心配していた。
ぼくがいつまでもヘタレているから二人の心配は尽きないのだ。
ぼくは愛花を愛している。
その気持ちを行動に移すべき時が来たんだ。
ぼくは、歩き出してもいいんだ。
そう思った時、
「わたしずっと考えていたことがあるの」
と愛花が言った。
「もしかしたら、ヒロシと彩香さんはあの世で出会ったんじゃないかって」
「えっ?」
出し抜けの話に、ぼくは反応できなかった。
「たしかに、
でもね、と愛花は話しを続けた。
「もしそれが本当だったら、わたしは嬉しいと思ったわ。だってヒロシは一人じゃないんだもの。それに加えて、その相手が彩香さんだったら、こんな素敵なことはないわ。――― もし、二人の関係がわたしの
あり得ない話だと思う。
だけどもし、あの世という世界で、彩香がヒロシ君と出会っていたと考えた時、涙が出るほど嬉しいと思った。
返答をしないぼくをよそに愛花が話しを続けた。
「質問の角度を少し変えるわね。もしも、彩香さんとヒロシが、わたしたちのような関係になっていたとして、わたしや大輔さんに気を使ってその場で足踏みしているとしたら、大輔さんはどう思う?」
ぼくは少し考えてから話した。
「おれは……すごく悲しいと思う。おれは今まで、彩香が一人で暗い世界にいる想像しか出来なかったんだ。だから、可哀そうで、申しわけなくて、愛花への思いに一歩踏み出せなかったんだよ。だけどもし、ヒロシ君が相手だというのなら、おれは両手を広げて歓迎するよ。心優しいヒロシ君なら安心だ。おれたちのことなんか気にせず幸せになって欲しいと、声を大にして言いたいよ」
「だよね」
愛花はぼくを見つめた。
「彩香さんとヒロシも、わたしと大輔さんに対して、逆にそう思っているんじゃないのかしら?」
「あっ……!」
ぼくは言葉が出なかった。
愛花の言葉は、頭をガツンと殴られたような衝撃だった。
「あの時、大輔さんが見た彩香さんとヒロシの言葉は、絶対に
ぼくは言葉にはしなかった。
ただ、何度も頷いていた。
そうなんだ。
ぼくがしていた事は、逆に彩香を悲しませていたんだ。
彩香が望むものは、この世界でぼくが幸せになる事なんだ。
ぼくはやっとその事に気付けたと思った。
と、その時、
「大輔さん」
愛花か改まった顔でぼくを見た。
「わたしはあなたが一番好きです。だから、結婚を前提としたお付き合いを、お願いできませんか?」
懐かしい言葉だった。
もう六年も経つのか……まだ女子高校生だった愛花から、同じ申し出をされた日の事を思い返した。
あの時の愛花は、あざとい今どきの女子高校生でしかなかった。
(それが今では)
誰よりも愛する女になるなんて、あの時の愛花からは想像も出来なかった。
どうやらぼくは、愛花の思う壺にはまっているようだ。
そう思うとちょっぴり
「愛花とはしないよ。結婚を前提にしたお付き合いなんて」
ぼくがそう言うと愛花は絶望的な顔を見せた。
「そ…そうよね。わたし……シングルマザーだし…可愛くないし…」
いかん。ダメージが大きすぎたようだ。
「お、おい、落ち着けよ愛花」
「なによ」
愛花は拗ねた顔をして背中を向けた。
「ごめん。イタズラが過ぎたよ」
ぼくは背後から愛花を優しく抱いた。
「だって、おれたちにはもう、結婚を前提としたお付き合いなんて必要ないだろ?」
ぼくの言葉に愛花が振り返った。
愛花の手を取り、そして見つめた。
「結婚しよう、愛花。おれはこれからも彩香の話をしたいし、ヒロシ君のことも聞きたい。そんなことが出来る相手は、愛花しかいないし、おまえにとってもおれしかいないと思う。ヒロシ君もまとめておれが引き受けるから、おれと結婚してくれ。なによりもおれは愛花を愛しているんだ」
「大輔さん……わたしもです。わたしも、あなたを愛しています!」
涙もろい愛花はすでに泣いていた。
「ありがとう、大輔さん。わたしも彩香さんの話、あなたからたくさん聞きたい。これからも彩香さんとヒロシの話を、いっぱいしたい」
「ああ、おれもだ」
ぼくは深く頷いて見せた。
ぼくと愛花の気持ちは高まっていた。
距離を詰め、愛花が目を閉じた時、
「エヘン!」
と病院の方から咳払いが聞こえた。
慌てて咳払いがした方に目をやると、病院の勝手口を出たところに
「盛り上がっているところ申し訳ないんだけど、病室の窓を見た方がいいですよ」
如月さんに言われ、五階建ての病院の窓に目をやると、こちらを見下ろしている患者さん達が大勢いた。
驚いた顔をするぼくたちを見て、如月さんは愉快そうに笑った。
「デバカメには気を付けてください。――― でも、よかった。二人ともようやく前に向かって歩き出せたんですね。おめでとうございます。本当に、本当に、良かったわ」
如月さんは自分の事のように嬉しそうにそう言ってくれた。
ぼくと愛花は、如月さんに深々と頭を下げると、互いの手を取り歩きだした。
ぼくは、これから豊岡に戻る。
いつ本部に戻って来れるか分からないけど、その時ぼくは愛花と結婚しようと思った。
愛花を伴い、駅のプラットホームに立つと、間もなく豊岡方面行きの特急列車が入って来た。
「長距離恋愛になるけど、おれがこの街に帰ってくれるまで待っていてくれるかい?」
特急列車の風圧で乱れた髪を抑えなずら、愛花は微笑んだ。
「お婆さんになるまでには、わたしをもらってね」
「ばか。そんなに待たせやしないよ」
特急列車が定位置で停車した。
ドアが開き、まばらな乗降客の流れが落ち着いた時に、ぼくは電車に乗り込んだ。
発車までわずかに時間がある。
「毎週とはいかないけど、二周に一度、愛花に逢いに行くよ」
電車のドアの開閉口に持たれながら、プラットホームに立つ愛花を見下ろした。
「うん。わたしも二週に一回美宙を連れて行くわ」
「それって、もう、遠距離恋愛じゃなくないか?」
「そうよ。わたしたちは毎週・週末デートが出来るってことよ」
「そう考えると、なんだか寂しくなくなったよ」
「それでも、わたしは寂しいわ。だから―――」
ちょうど発車のベルが鳴った。
その時、愛花が車内に飛び込んで来て、ぼくに唇を押し当てた。そしてドアが閉まる直前、車外に飛び出した。
(やられた―――)
本当はぼくの方からしたかったのに。
閉じられたドアの向こうでは、愛花がイタズラな笑みを浮かべて手を振っていた。
ぼくが手を振った時、電車が発進して、愛花の姿が後方へと下がった。
ピンポーン
間もなく、ぼくのスマホが鳴った。
開けてみると愛花からだった。
――― あなたを愛しています ―――
心が熱くなった。
(愛花、おれもだ。愛しているよ)
ぼくはすぐに返事をしなかった。
スマホのモニターを胸に抱きとめ、しばらくこの余韻に浸っていたかった。
夏が始まる。
ぼくの心にも。
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