第101話 君の未来





「いらっしゃったのね。色々と忙しいのに、呼びつけたりしてごめんなさいね」

 彩香の母・京子さんが出迎え、彩香の遺影がある仏間に招かれると、彩香の父・茂さんがそこいた。

 ぼくと愛花は、茂さんに挨拶を済ませると、彩香の遺影に花を添え、手を合わせた。

 仏壇前のテーブルの上には、彩香の使っていたノートパソコンが置いてあった。


 ――― 二人に見せたいものがあるから ―――


 京子さんからのメッセージだった。

(見せたいものはこのパソコンにあるということか)

 そう思っていると、茂さんはほくたちにSDカードを見せた。

「君たちに見てもらいたいものとは、これなんだよ」

 言いながら茂さんは電源ボタンを押したが、SSD以前の型落ちのパソコンの動作は緩慢だ。


 茂さんがパソコン操作をしている横で、

「以前、彩香が自撮りした動画を見てもらったことがあったでしょ」

 と京子さんは麦茶をテーブルに置きながら言った。

「その時、画像がもう一つあるって言ったこと、憶えている?」


「はい」

 ぼくと愛花は同時に返事をした。


「あの時は時期尚早じきしょうそうだったので見せられなかったんだけど、大輔さんと愛花ちゃんの様子を見て、これを見せる時は今だと思ったのよ」

 そう言いながら京子さんはぼくと愛花を交互に見た。

「何が映っているかわたしは知っているわ。なんせ動画を撮影したのはわたしだから」

 京子さんは寂しそうに笑った。


 立ち上がったパソコンに、茂さんは持っていたSDカードを差し込んだ。

「始まるよ」

 茂さんはそう言うとノートパソコンのモニターを、ぼくと愛花の方に向けた。


 動画が再生された。

 弱弱しい表情で、ベッドで仰向けに寝ている彩香の上体がモニターに映し出された。

 化粧がほどこされていたが、根本的な顔のやつれを隠せるものではなかった。


「こんにちは…大ちゃん…それに愛花ちゃん」

 青白い顔で彩香が歯を見せた。笑顔と表現できないかすかな動作だった。

 時々、辛そうな様子を見せた。

 何か話したいのだが、呼吸が乱れて言葉を出させな様子だった。


 ベッドの隣りの棚にはデジタル時計が置いてある。

 四月二十八日の九時二十分を表示していた。

 ぼくに、彩香の危篤きとくを告げる、三時間前だった。

 体を動かそうとしているが、思うように動かせない、そんな様子が見て取れた。


(本当に…彩香の…いまわの際の姿なんだ)

 そう思うだけで泣きそうになった。

(彩香……)

 その姿を見ているのが辛かった。

 目を逸らそうとした時、隣りにいる愛花がぼくの腕をつかんだ。

 愛花の横顔は気丈なまでに彩香を見据えていた。


「ごめんなさい…大ちゃん…愛花ちゃん」

 ゆっくりと呼吸をした後、彩香はこちらを向いた。

「もう…だいじょうぶよ」

 彩香はもう一度深く息を吸った。

「わたしが…いなくなって…どれくらいたったのかしら……。でも、こうして…大ちゃんと愛花ちゃんが…二人してここにいるということは…そういう関係になっている…ということなのね。…よかったわ。…おめでとう、大ちゃん…愛花ちゃん。それと…大ちゃんを支えてくれて…ありがとうね…愛花ちゃん」


 彩香の言葉に愛花は涙をこぼしながら大きく首を横に振った。


「でも…大ちゃん……もしかして…まだ迷っている?」

 パソコンモニターの彩香が問いかけた。

「わたしのこと気にして……愛花ちゃんとの未来……進めないでいるの?」

 彩香が悲しそうな表情を見せた。

「大ちゃんは…不器用だけど…一途で優しい人だから……死んでしまったわたしに…申しわけないって……考えているんでしょうね……。ほんとに……不器用な人ね…」

 彩香はクスッと笑った。

「わたし…一昨日おととい…言ったよね……。大ちゃんの…心の片隅の小さな部屋に…住まわせて欲しいって……。でも…それはね……いつまでも…わたしのことを…愛し続けて…欲しいって……言っているわけじゃ…ないのよ。わたしは……あなたのことが心配なの……。大ちゃんはね…傍に誰かいないと…歩き出せない人だから……わたし…心配で…心配で…仕方ないのよ……」

 言いながら彩香は泣き出した。

 あふれる涙を拭おうともしなかった。

 いや、拭えなかったのだ。手が動かないようだ。


「彩香…だいじょうぶ? もう、やめとく?」

 と京子さんの声が入った。


「ううん。続けて……。まだ…伝えたい…ことがあるから……」

 そう言う彩香の顔に京子さんの手が伸び、泣き濡れた彩香の顔を拭った。

 彩香は「ありがとう」と言った後、こちらに目線を戻した。


「そんな時……愛花ちゃんが…わたしの前に現れ……わたしは運命的なものを…感じたわ……。愛花ちゃんとの日々は……とても…楽しかった……。キラキラした目が……本当にまぶしくて……愛花ちゃんになら…安心して…大ちゃんを任せられる………。そうなれば…わたしは……心置きなく…旅立つことが出来る……そう思ったわ。……わたしは…大ちゃんの心の片隅で……大ちゃんと…愛花ちゃんが…幸せに…暮らしている様子を……ずっと…見ていたいの。……だから…大ちゃん……愛花ちゃんのことが……本気なら……ちゃんと抱きしめて…あげるのよ。……そして愛花ちゃん……」


「は…い」

 とポロポロと涙をこぼしながら愛花は返事をした。


「大ちゃんのこと…頼んだわよ……。立花彩香の代わりとしてじゃなく……園宮愛花として……ずっと傍にいて欲しい……分かるわね」


 彩香の言葉に、愛花は両手で顔をおおい、何度も頷いた。


「最後に……大ちゃん」

 と彩香は力のない顔を向けた。

「愛花ちゃんと…幸せになってね……。それから……それから……」

 かなり呼吸が荒くなっていた。

「大ちゃん、たくさん愛をくれて、今までありがとうね。……さようなら、わたしが愛した大輔さん……」

 一気にそれだけ告げると、彩香は眠るように目を閉じた。

「彩香……!」

 京子さんの上ずった声がしたところで画像が途切れた。


(今の言葉は……!)

 ぼくは声も出なかった。

 彩香が最後に発した言葉は、まさにあの時の言葉だった。


 暗渠あんきょの流水口で、欄干らんかんからぼくの腕を掴んでいた彩香の姿が消えようとしていたあの時と、一字一句たがわない、最後の言葉だった。


 ――― 大ちゃん、たくさん愛をくれて、今までありがとうね。……さようなら、わたしが愛した大輔さん ―――


「あれは……幻なんかじゃなかったんだ……」

 ぼくはようやく声を出せた。

 愛花が泣き濡れた瞳でぼくを見た。

 ぼくからすべてを聞いていた愛花は、ぼくが何を驚いているのか理解しているようだった。


「大輔さん、愛花ちゃん」

 目を赤くした京子さんがぼくたちに向いた。

「これが、彩香の最期の言葉だったの。彩香はね、大ちゃんの未来を守りたかったのよ。あなたを、ずっと、心配していた……。だからね……」

 そう言うと京子さんはぼく愛花の手を取った。

「彩香への思いは、ほんの少しだけ、残してくれたらいいのよ。彩香の命日とお盆だけ、あの子のことを思い出してくれたらそれでいい……。それだけで十分なのよ。大輔さんと愛花ちゃんが作る『君の未来』を、彩香に見せてあげて欲しい……それが、あの子の希望のぞみなの……」

 泣き崩れた京子さんはそれ以上話せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る