第59話 未来への抱負





「春木さん、ここですよ」

 ヒロシと愛花に連れて来られたのは、この辺りでも有名どころの中華料理店だった。

 中国の貴人の屋敷をモチーフにした、赤い瓦屋根の三階建ての建物は、一階は予約のいらない一般席で、二階・三階は団体客用の会場となっている。

 ヒロシは二階にある五十人から八十人用の中会場を予約していた。

 

 店の人に案内されて会場の前に来た時、ぼくは立ち止まった。

「ヒロシ君ちょっと待って。こ、こんなところ…なんで」

「いいから、いいから。大輔さん、入ってください」

 戸惑うぼくにお構いなく、愛花が背中を押した。


 扉が開くと、そこにはスポーツ刈りの集団がいた。

「これは?」

「須浜学園野球部 ――― おれの後輩たちです」

 とヒロシが言った。

 六十人くらいはいるだろうか、こちらを向いた少年たちは深々と頭を下げた。

「こんにちは!!」

 元気いっぱいの挨拶が部屋一杯に響いた。


「春木君 来たわね」

 声のする方を向くと琴美が手を振っていた。

 界人もいた。それに橘までいた。

「さあ、大輔さんは主賓席にどうぞ」

 と愛花に手を引かれ、界人たちのいる中央席に連れて行かれた。

「これはどういうこと?」

 何の説明もされてないぼくは、現状が理解出来ないでいた。


「大輔。まあ、落ち着け」

 と界人に肩を叩かれぼくは席に腰を下ろした。

 テーブルの上には多種多様な中華料理が並べられてあった。

「今日はヒロシ君のはからいなんだよ」

 と界人が言った。

「ヒロシ君は学園の後輩たち―――それと大輔を始めとするおれ達にこれまでのお礼がしたいと言うことなんだ」

「ちょっと待て。ここは料理はおいしくてその分値段も張ると聞いているぞ。それをまさか―――」


「心配いりませんよ」

 とヒロシがやって来た。

「春木さんは知ってますか? おれの年俸とか」

 ぼくは首を横に振った。

「契約金は五千万円。年俸五百万円。それが球団から提示されたおれの報酬です」

「す、すごいな。でも、いいのか? そんなことアッサリ人に漏らして」

 とぼくが心配して聞くと、ヒロシは笑った。

「ドラフト契約者の契約金と年俸を球団はオープンにしています。雑誌でもネットでも公開されていますから、もう隠しようはないですよ」

 ですから、とヒロシは話を続けた。

「今日はおれにおごらせてください。おれをここまで育ててくれた須浜学園には、これから育つ後輩たちに、美味しいものをご馳走したいんです。そして春木さんやその友達の人には、愛花との色んなことでお世話になっているので、お礼がしたいんです。食べたいものがあれば自由にオーダーしてください。追加料金は発生しないので、気兼ねなく注文してくださいね。それと、申しわけないんですが、おれ達未成年がいるので、お酒はNGでお願いします」

 それだけ言うと、ヒロシは後輩たちの中に戻って行った。


「大輔さん」

 ヒロシと入れ違いに愛花がぼくの隣りに座った。

「わたし、ゆくゆくはヒロシと幸せな家庭を作るつもりです」

「そうか。愛花はずっとそれにこだわっていたからな」

「はい。大輔さんのアドバイスもあって、わたしはこの春から大学生になりました。いい大学に進学すれば、いい就職も出来ます。だからわたしは、ヒロシに何かあったとしても、わたしが支えになって行けばいいんです」

「だよな」

「就職先も決まっているんですよ」

「えっ? はや」

「ウフフフ。アンビシャスですよ」

 と愛花は笑った。

「峰山さんとも相談して決めちゃったんです。アンビシャスなら子育てしながら仕事が出来ますし、峰山さんは全面的にバックアップしてくれると言ってくれました。――― 託児所に預けることなく子供を育てて行く方法が見えました。皆さんのおかげです」

「小説家としても活動して行くんだろ?」

 ぼくの問いに愛花は「さあ…」と鈍い反応を見せた。

「大学在学中に『君の未来』後編を書き上げるところまでは考えています。でもその後は分かりません。将来に向けて、ずっと売れ続けるなんてこと、わたしには想像できませんから……。アンビシャスでの講師の方が遥かに現実的です」

「相変わらず堅実だな」

 愛花の考えはぶれない。

 普通、十八歳と言えば、まだまだ恋を楽しみたい年頃だ。

 だけど愛花は常にその先を見据えている。

 自分とヒロシの周りを子供達が走り回る、どこにでもある平凡な家族を、愛花は夢見ているのだ。


「春木さん、初めまして」

 と背後から声を掛けられた。

 振り返ると、あの夏の日にヒロシとバッテリーを組んでいた水沢が立っていた。彼の隣りには白石花音かのんがいた。

「初めまして、水沢君 ――― て言っても、おれからしたら初対面の感じはしないんだな」

「榊原さんから聞いています。夏の県大会には何度か足を運んでくれたそうですね。ありがとうございます」


「あの、お久しぶりです」

 と白石が遠慮気味に挨拶をした。

「その節はいろいろと失礼いたしました」

 あの夏の日、白石が愛花に放ったビンタが目に浮かんだ。

「すべては過去のことだよ。白石さんは今どうしているの?」

 愛花と同級生だ。進学なのか就職なのか聞いてみた。

「わたし、地元の中堅企業に就職しました。会社に女子の野球チームがあるのでそこに決めました」

「やりたいことに巡り合ったんだね。良かったな」

「はい」

 と白石は初めて屈託のない笑みを見せた。


「ねえ」

 と琴美が意味ありげな笑みを浮かべて首を突っ込んで来た。

「水沢君と白石さん、二人そろってということは、そういう関係ってことね」


「はい」

 と間髪入れずに答えた水沢に対して、

「違います。―――何言ってるのよ水沢。まだそんなんじゃないからね」

 と白石は水沢を睨んだ。

「付き合ってほしかったら、須浜学園を甲子園に連れて行きなさい」

「はい。今年の夏には必ず」

 どうやら、甲子園出場が交際の条件になっているようだ。


「あなたが水沢君ね」

 と橘が言った。

「昨年の秋の近畿大会大活躍だったわね」

 野球通の橘は目をランランと輝かせて水沢を見つめていた。

「ホームラン五本・16打点・打率4.12。それがあなたの近畿大会での成績だったわね。すばらしいわ」

「でも、ベストフォーで負けちゃって、春は選抜されなかったんです。練習不足なんですよ」

 と白石が発破はっぱをかけるよう言った。

 ヒロシにも引けを取らない大柄な水沢だが、小柄な白石には頭が上がらないようだ。

 水沢と白石は挨拶あいさつを済ませると仲間のところに戻って行った。


「へえ~ 水沢君と白石さんがね。意外な感じだよ」

 界人の言葉に愛花が、

「そうなんですよ」

 と笑った。

「夏の県大会の決勝で、水沢君のエラーで負けて、彼は野球を止めるって言った時、白石さんがビンタを喰らわせたことは話しましたよね」


「うん」

「ああ」

 とぼくと界人は頷いた。


「その瞬間から、水沢君、白石さんに恋しちゃったみたいなんです」

「なんか分かるぅ」

 と琴美が笑った。

「ズキューンって胸をつらぬかれたのよね。いや、ビンタだから頬を貫かれたのかな。でもそれってなんか変よね、それ。やっぱり胸をつらぬかれたでいいよね」

「どっちでもいいよ」

「あっ、界人さん乗りワルイ」

 そう言いながら琴美は界人の腕をつねった。

「でへへ」

 界人がだらしなくオークづらで笑うもんだから、ぼくたちは可笑しくて笑い転げてしまった。


 その後も、野球部の少年たちが代わる代わるぼくたちの所に挨拶あいさつに来た。

(いい少年達だ)

 彼らは楽しく談笑しても、大きく羽目を外す事はなかった。

 ヒロシを中心にして目標に向かっていた野球部は、相手へのリスペクトを忘れず、見ていても清々しかった。

(今年こそは、甲子園に行けよ)

 ぼくは一人熱くなっていた。


「いい子たちでしょ?」

 愛花がぼくの顔を覗き込んだ。

「ヒロシ君の人望をそのまま鏡に映したようだ」

「それは言い過ぎです。あいつが聞いたら、調子に乗りますよ」

「アハハハ。愛花は相変わらずヒロシ君には手厳しいな」

 愛情の裏返しだと思った。

 ぼくはもう一度須浜学園野球部に目を向けた。

「みんなを見ていると眩しいよ。明日に向かって走ってるって感じだな」

 ぼくが言うと愛花は晴れやかな顔で頷いた。

「大輔さんは、将来の抱負とかはないんですか?」

「将来の抱負ねぇ。県職員になった時点で叶えてしまったから、あんまり考えてないな」

「やりたいこととか、趣味のようなものでもいいから、何かに興味を持たれた方がいいと思います」

「だよなぁ。ヒロシ君の野球や愛花の小説のような――― 夢中になれるものがおれに見つかればいいんだけどね」」


「一緒に探しましょうよ。わたし協力しますから」

 愛花が言うと、

「わたしも力になるわ」

 と橘も言った。

「最初は、ちょっとかじるだけでもいいじゃない。その中で興味の向いたものが見つかれば、続けてみるってことでいいと思うわ。それでも合わないと思ったらやめてもいいの。また別のものを見つければいいんだから」

「そうそう。大輔さんはいろんなものをまともに受け止めて、背負い込み過ぎるのよ。橘さんのいう通り、let's take気楽に it easy行こうよ で行きましょう」


「ねぇねぇ、面白そうなこと話しているね。わたしたちも加えてよ。楽しいことなら大歓迎だよ」

 琴美が加わると場の空気が軽くなる。まさにlet's take気楽に it easy行こうよだ。


 彩香をうしなってもうすぐ一年になろうとしていた。 

 空っぽだったぼくの心に、今は、未完成のジグソーパズルが散らばっている、そんな感じがした。

 すべてのピースを捜して完成させれば、ぼくはやりたい事を見つけられるのだろうか。

 今はまだ何も分からないし、考えられなかったが、一つだけ、ぼくには見届けたい未来と言うものはあった。


「わたし、一度後輩たちのところに行ってきます」

 と愛花はぼくたちに頭を下げると席を立った。

 ぼくはヒロシのもとに戻ってゆく愛花を目で追っていた。

 そして愛花は、ヒロシの傍に寄り添うと、そっとその手を取った。

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