キミが傍にいたから

第27話 わたしが傍にいるから





 

 別れぎわ如月きさらぎさんとアドレス交換しようとしたが、ぼくはスマホを持っていなかった事に気が付いた。

 どこかに落としたというより、アパートに置き忘れたようだ。


 如月さんと別れた後、ぼくは彩香と過ごした足跡をたどることにした。

 二人が出会った中学校から始めて、共に学んだ高校にも立ち寄り、デートに利用した施設や公園など、思いつく限り訪ね歩いた。

 国立大学にたどり着いた頃には、日はかなり傾いていた。


 どれくらい歩いただろうか。

 久しぶりの運動でぼくは疲れ切っていた。

 アパートに戻ったぼくはケトルをガスレンジに乗せて火をかけた。

(カップラーメンでも食べようか)

 軽く朝食を取っただけで、途中は水分補給以外は何も口にしていなかった。


「疲れたなぁ」

 吐き出すように独り言をつぶやくと、ぼくはベッドの上に転がった。

 少しだけ……ほんの少しだけど、一歩進めたような気がした。

『時々でいいから……わたしの部屋を……訪ねて来て欲しい』

 彩香の言葉が心に聞こえた気がした。


(おれが死んでしまったら彩香の部屋を訪ねる者はいなくなるんだよな)

 この悲しみから立ち直れる気は、今のところしない。

 これからも前を向いて進む自信もない。

(それでも……)

 ぼくの心の片隅の小部屋に住んでいる彩香を、消滅させるのは嫌だった。


 ぼくは自分の胸に手を当てた。

(彩香……おまえの居場所はここだよ)

 彩香の小部屋は守りたいと思った。

 そのためにもぼくは生きなきゃいけなかった。

「彩香……」

 その名前を呼ぶだけで胸が締め付けられるくらい苦しくて辛くなる。


(だけど……)

 必ずしも前に向かって進まないといけないわけじゃないんだ。

 如月さんが言ったように、三歩進んで二歩下がったっていいんだ。

 そう思うとほんの少し気が楽になった。


 ともあれ、今はかなり疲れていた……。

 身体からだもだけど、何よりも心が疲弊ひへいしていたみたいだ。

 ぼくはいつの間にか眠っていた………。


 夢うつつの中で、テーブルに投げ出しているスマホが、何度も着信音をかなでたが、ぼくの体は動かなかった。




   ―――春木さん―――


 遠くで誰かの声がした。

(聞き覚えのある声……。誰だろう?)


   ―――春木さん 春木さん―――


 声だけではなく。体が揺れていた。

 いや、揺すられている、と言うべきか。


(彩香……?)

 違うな。この声は、確か……。


   ―――春木さん しっかりしてください―――


 甲高いその声は、危機と迫っていた。

 そしてその声の主が愛花だと気付いた時、ぼくはまどろみから覚めた。


「お願い目を開けてぇ!」


 目を覚ますと、ぼくに馬乗りになった愛花が、激しく肩を揺すっていた。

「春木さん……! 生きていた……!」

 ぼくの上には涙でぐしゃぐしゃになった愛花の顔があった。

「園宮……どうして?」

「バカぁ―――!」

 愛花はぼくの胸を右手で二回叩いた後、

「自殺なんて何考えているんですか! そんなの違うでしょ? 彩香さんはそんなの望んでない!」

 そう言ってぼくにすがりつき号泣ごうきゅうした。


 ぼくは何が起こっているのか分からなかった。

 愛花は上からぼくに抱き付きながら

「ばか、ばか、ばか、ばか」

 と泣いていた。


 微かだがガスの匂いがした。

 愛花が上に乗っかっていたので首だけ動かして部屋の様子をうかがった。

 ベランダと玄関ドアが開けっ放しになっている。

 愛花が開放したのだろう。

 ガスレンジに乗せてあるケトルに目が行った時、大体の状況が把握できた。

 どうやらケトルに火をかけたまま眠っていたようだ。

 湯こぼれして火が消え、ガスが出っぱなしになっていたのだろう。

(そうか……園宮はおれがガス自殺を図ったと勘違いをしたのか)


 ぼくが使っているガスレンジは、両親が居酒屋経営していた時に使っていた物だっだ。

 一般のガスレンジは、長時間使用したり湯こぼれがあれば、自動でガスが止まる仕組みになろっているが、飲食店で使用する物の中には、自動消火機能のないガスレンジがあった。

 強い火力と長時間の煮込みを必要とする飲食店で、ガスの使用に制限があっては、商売が成り立たないからだ。

 両親から譲り受けたガスレンジはまさにそれだった。


 ぼくはゆっくりと愛花の頭を撫ぜた。

「だいじょうぶだよ、園宮。都市ガスでは自殺出来ないんだよ」

 ぼくの落ち着いた声に何かを感じたのか、愛花は体を離して涙を拭った。

「自殺を図ったわけじゃ…ないんですか?」

「ああ、違うよ」

 ぼくがそう答えると、愛花は少し安堵したみたいだったが、

「本当に……怖かったんですよ」

 とまだ動揺した様子だった。

「部屋の中がガスで充満していて、ベッドで横になっている春木さんを見た時、わたし心臓が止まりそうだった………。声を掛けても返事もしないし…わたし、てっきり……死んじゃったと思ったのよ……」

 愛花は泣きそうな顔で言葉を切った後、興奮冷めやらない様子でぼくを睨んだ。

「今日は朝からスマホに何度も連絡入れたのに……何で出てくれなかったんですか? 連絡が付かないから、わたし…心配……心配で……。それで学校が終わってここに来てみたら……」

「園宮……」

「わたし、もうこれ以上、大切な人を失いたくないの……!」

 そう言ってまた泣きだした。

 旋毛つむじをぼくに向けて、肩を震わせる愛花を見ていたら、乾いていたぼくの心にもうるおいが込み上げてきた。


「ごめんな園宮。心配かけたな」

 ぼくは自然な形で、そっと愛花を抱きよせていた。

「スマホは部屋に忘れていたんだ。今日は一日、彩香との思い出の場所を巡ってずっと歩きっぱなしだったんだ。飯も食ってなかったし、疲れていたから手軽にカップラーメンでも食べようと思って火を掛けたけど、そのまま眠っていたみたいなんだよ」

 ぼくがそう言うと愛花はぼくに抱かれたまま涙を拭った。

「本当ですね」

 と問い詰めるように言うとぼくの腕を掴んだ。

「死のうだなんて、本当に考えていませんよね」

「ああ、たぶん、大丈夫だよ」

「絶対って言ってください」

 愛花の顔が目の前にあった。


「ああ……絶対だ。みずから命を絶つなんて絶対にしないよ」

「約束ですよ」

 真剣な顔で泣き濡れた瞳を向ける愛花を見ているうちに、ぼくは思わず笑ってしまった。

「何が可笑しいんですか」

 と怒った顔をした。

「いや、ごめん。今日二度目なんだ」

「二度目?」


 ぼくはコンクリートに打ち付けて擦りむいた両肘を愛花に見せた。

「怪我してるじゃないですか。どうしたんですか?」

「県立病院近くの岸壁に立っていたら、ほら、彩香を担当していた人―――看護師の如月さんが走って来て、おれを押し倒したんだよ。『後追いなんて、何考えているんですか』ってね。おれの顔って自殺志願者に見えるのかな」


「みんな、春木さんが心配なんです」

 愛花は瞳を潤ませた。

「春木さんは思い詰める人だから……。わたしのお父さんみたいに…」

「そうかもしれない」

 とぼくは頷いた。

「顔が似ていると性格も似るというからな」

「そうなんですよ、だから……!」

 と言いかけた愛花の表情が変わった。

「……ヒロシから聞いていたんですね、お父さんのこと」

「あ、ああ……」

 愛花の問いにぼくは小さく頷いた。

「隠すつもりはなかった。だからと言って自分から『おれって園宮のお父さんにそっくりなんだよな』なんて言えないだろ?」

 ぼくが冗談ぽくそう言うと、愛花はクスッと笑った。

「確かに、自分からそんなこと言えませんよね」

「まったくだ」


 ぼく達は何一つ面白い話をしていたわけではなかったのに、互いに顔を見合わせて笑い出した。

 その時、笑っているぼくの頬を涙が伝った。

(あれ? なんで……)

 溢れ出した涙は止まらなかった。


「春木さん……」

 そんなぼくを愛花が抱きしめて来た。

「これからはもっとわたしを頼って下さい。わたしは何があっても春木さんの力になりますから」

「ああ……」

 恥ずかしくて情けなかった。

 彩香が死んでから初めて流す涙は、せきを切ったように流れ落ちた。

「かっこ悪いな……おれ」

「だいじょうぶです。かっこ悪くありません」

 愛花はぼくを抱きしめる手に力を込めた。

「大切な人がいなくなって、泣かない人なんて絶対にいません。―――彩香さんは本当に素敵な人でした。わたしはあの人が大好きでした」

「ああ……」

「辛くても、生きてくださいね」

「ああ……」

「立てない時はわたしが春木さんの杖になります。だから立ち上がってください。倒れそうな時は必ずわたしが傍にいますから」


「ああ……」

 ありがとうの言葉すら出せないくらい、感情で胸が一杯になっていたぼくは、愛花の言葉にただうなずく事しか出来なかった。 

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