あなたが傍にいたから

白鳥かおる

真実の愛

第1話 はじまり





 スマホ画面に〈内定おめでとうございます〉の文字を確認した。

「よっしゃあ!!」

 県庁職員の内定通知に、ぼくは思わず大声をあげてしまった。


「えっ? なになに、どうしたの?」

 スーパーマーケットの控室で、同じシフトで休憩を取っていた金髪ギャルの相良琴美さがらことみが、ぼくに近寄ってきた。

「ねえ、なにがあったの?」

「ついに、県庁の二次募集で内定が取れたんだ」

「県庁?! すごいじゃないの!」

「いや、もうダメかと思っていたから、本当にホッとしたよ。ああ、よかったぁ……」

 と、少し涙声になってしまった。


 それもその筈。

 公務員一本に絞って、中核都市・政令指定都市・そして府県庁。

 安定の上級公務員を目指すも、一次募集はすべて最終面接で敗退。

 理由は分かっている。

 対人折衝が苦手なぼくのコミュニケーションスキルの低さが原因だ。


 二次募集に至るも、十二月に入っても内定を取り付ける事が出来ず、これが最後の砦だったのだ。

「だから、大丈夫だって言ったでしょ? 春木くんは国立大学なんだから」

「ハハハ……ありがとう」

 民間企業なら学歴フィルターなるものが存在するが、公務員は出身大学による線引きはない。表向きは……。


「今日はクリスマスイブだから、サンタさんからのクリスマスプレゼントね」

「そうだよな」

 ぼくは相良の言葉を素直に受け止めた。

 いつもなら、彼女のいない男に対するなぐさめにもならない慰めだと、いきどっていただろう。どのようなご褒美も一人きりの心には届かないと思っていた。


 だけど今は違う。

 県職員の内定通知は、彼女のいないクリスマスイブを十二分に凌駕りょうが出来た。

(これでやっと、リクルートスーツから解放される……)


 胸の支えも取れた。

 早々と就活を終え、卒業までの悠々自適ゆうゆうじてきの人生を満喫している奴らを、どれほど妬んだだろう。

(そんなイヤな自分からも解放されるんだ)

 真っ直ぐに伸びるサクセスロードが、あたかも目の前に見えているかようだった。


「さあ、休憩終わりだ。頑張るぞぉ!」

 ぼくは計画留年覚悟で始めたこのスーパーのバイトで、初めてフレッシュな気持ちで店内に飛び出した。 




「大輔! 聞いたぞ。県庁合格したんだって! よく頑張ったな!」

 すでに大手企業に内定を取り付けている大学の同期の梶山界人かいとが、ぼくに電話を掛けてきた。

「今だから言うけど、おまえのことヤバいんじゃないかって、心配していたんだよ。けど良かったよ。滑り込みセーフって感じだぜ」

「ありがとな、界人。実はおれも、正直ヤバいと思っていたんだよ」

「とにかく。おめでとう」

「ありがとう」



「春木君、よかったね」

「大ちゃん、おめでとう」

「大輔。これで人生安泰だな」

 スーパーに勤める仲間たちの激励を受け、ぼくは最高の気分だった。

 客入りが急速に下がる20時でぼくのシフトは終了した。



 スーパーの裏口を出た所で、

「春木さん、内定おめでとうございます」

 と同時にシフトを終えた園宮愛花そのみやまなかがぼくに声をかけた。

「ああ…ありがとう」

 ぼくは少し戸惑って言葉を返した。


 愛花とは「おはようございます」「お疲れさまでした」しか言葉を交わさない間柄だったからだ。

 高校二年生としか知らない。

 ぼくに対して愛想はあまりよくなかったので、ぼくも必要最小限の会話しかしてこなかった。

(まあ、社交辞令ぐらいは知っているようだな)

「じゃあ、お疲れさま」

 ぼくは軽く手を振って帰ろうとした。


「あの、メルアド交換してもらえますか?」

「えっ? ああ…いいけど」

(どうしたんだろ、今日は)

 まあ、メルアド交換くらいはありだと思った。

(どうせ、連絡してこないけどな)

 分かっているけど、それは社交辞令だ。


「じゃあ、気を付けてね」

 メルアド交換を終えてぼくは再度彼女に背中を向けた。

「春木さん。晩御飯でも、ご一緒しませんか?」

 とぼくを呼び止めた。

(ハァ? どういう風の吹き回しだろう?)


 園宮愛花は見た目に可愛い女子高生だ。

 連れ歩いて悪い気はしない。

 だけど、ぼくの財布には2000円程しか入ってなかった筈だ。

「悪い。おれ金欠だ」

 見栄を張る相手ではなかったので正直に答えた。


「わたし少し持ってますよ。内定のお祝いさせてください」

「いやいや、女子高生におごられるなんて、そんなこと出来ないよ。また今度にしようよ」

 ぼくは歩きかけていた。

 だが愛花は食い下がってきた。

「今日はクリスマスイブですよ。誰かと約束でもしてるんですか?」

「内定通知もらったのは今日の夕方だよ。そんな余裕なんてなかったよ」

「約束がないのなら、わたしに付き合ってください。割り勘ならいいでしょ?」

「キミがぼくと同期の女子大生ならそうしていたよ。また今度にしようよ。なっ?」


 これで納得するだろうと思いきや、

「わたしとじゃダメなんですか?」

 愛花は更に食いついてくる。

「春木さんとお話がしたいんです。サイゼリアのドリンクバーだけでいいですから、時間を頂けませんか?」

 理由は分からないが愛花は切羽詰まったような顔になっていた。


 話があるのは本当らしい。

 ぼくはショルダーバッグにある財布に指を突っ込み、千円札一枚と五百円玉三枚あるのを確認した。

「パスタとドリンクバーぐらいの手持ちはあるよ。それでいい?」

「はい。ありがとうございます」

 愛花の顔が咲いた。

 初めてぼくに見せる笑顔を、可愛いと思ってしまった。



 結局サイゼリアには入らなかった。

 クリスマスイブの店内はグループや家族連れがひしめき合っていたので、駅を少し離れたアンティークな喫茶店に場所を変えたのだ。

 初めて入る店の名前はカルチェラタン。フランスに実在する地名だ。

 カルチェは「地区」を意味し、ラタンは「ラテン語」だ。直訳すればラテン語地区だ。


 サイゼリアほど安くはないが、パスタにサラダとドリンクのセットなら手持ちのお金でも充分だった。

「改めて、内定おめでとうございます」

「ありがとう」

 儀礼を済ませると、

「話したいことって、なに? まさか、おれに告白ってわけじゃないんだろ」

 ぼくは軽く笑ってそう言った。

 だけど愛花は意外にも真面目な顔をぼくに向けた。

 少しためらった様子を見せた後、愛花は意を決したよう口を開いた。


「わたし、春木さんと結婚を前提としたお付き合いをしたいんです」

(えっ?)

 自分の耳を疑うとはまさにこの事だと思った。

 ぼくは落ち着きを装ったまま、どう聞き違えたのか、思考を巡らしていた。

 だけど別の言葉を想像できなかったぼくはギブアップした。


「園宮。今の話…よく聞き取れなかったんだけど…」

「春木さんと結婚を前提としたお付き合いがしたいんです!」

 愛花はトーンを上げて言葉を繰り返した。

 愛花の肩越しに座る客が振り返ったし、通路を挟んだ隣りのカップルが会話を止めてこちらを見た。

 口にすべき言葉が浮かばなかった。

 ぼくは最終面接の場で、用意してなかった質問を投げ掛けられたような気持ちになっていた。

(とにかく、なにか話さなきゃ)


「あのさぁ、おれたちって、友達どころか話したことさえない間柄なんだよ。なんでいきなりそうなるんだ?」

「わたしは温かい家庭を持ちたいんです」

「はっ?」

「世の中はお金がなければ、愛情だけでは上手くいかないんです。安定した収入があってこそ、初めて温かい家庭を作ることが出来るんです。安定の上級公務員の春木さんとならきっといい家庭が作れると思うんです」

「ち、ちょっと園宮…」

「わたしね、料理も上手だし、洗濯や掃除、家事全般なんでも出来ます。その他に必要なスキルがあれば必ず習得して、春木さんが望む奥さんになります」

「待て待て待て」

 訳が分からなかったし、周囲の視線が強烈に痛かった。

 それは愛花も同じだったようだ。


「今すぐに、とは言いません。でも、早い時期にお返事頂きたいです。どうか、わたしのことをよろしくお願いします」

 愛花は顔を真っ赤にしながら立ち上がった。

「明日、改めて連絡いたします」

 頭を深く下げると、愛花は背中を向けた。

「そ、園宮……」

 呼び止める間もなく、愛花は逃げるように店を飛び出した。


(なんなんだ、一体……)

 話もしたことのない相手に、結婚を前提のお付き合いだと……?

(園宮のヤツ、何考えているんだよ)


「あのぉ…」

 と、両手にセットのスープ皿を持ったウエイトレスが、愛花の後姿うしろすがたとぼくを見比べながら、戸惑った顔で見下ろしていた。

「二人分で…よろしかった…でしょうか?」

「えっ? ああ、そ…そうだよ。お、置いてくれて構わないよ」

 今更キャンセル出来るわけもなかった。 


 事態の把握はあくもままならないぼくのテーブルに、大小八つの皿が次々に並べられた。

 ぼくは溜息をつかずにはいられなかった。

(どうすんだよ、これ)

 ぼくは愛花が姿を消した店の出入り口を睨みつけた。

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