第106話 矢本正幸





(えっ? 今、確か、あの二人キスしてなかったか?)

 見間違いじゃないよな。

 春木ってあんな大胆なヤツだったのか……。

 見かけによらないものだ。


 おれは矢本正幸。

(でもさ)

 矢本正幸なんて名乗っても、みんなはピンとこないだろうな。

 なんせ、本編では矢本さんか矢本主任で通しているから、今更ファーストネームを上げても、アンタ誰? の世界だ。


 まあ、それはさて置き、披露宴のメイン会場には思っていたよりもたくさんの人が招待されていた。

 親族・友人はもとより、本部・豊岡支部の同僚や上司に加えて、県知事までご出席だ。

 聞くところによると、春木に直接祝辞を述べたいという事で、向こうから出席を願い出たらしい。

 普段なら県知事がそんな事はしない。

(やはり、あれがあったからだろうな)

 おれは招待客の中に波多野恵子さんと朱里ちゃんを見つけた。


 春木と新婦の愛花さんが高砂たかさご席に腰を下ろすと、立花茂という人が仲人なこうどとしてマイクを握った。


 なんと彼は、若くして亡くなった立花彩香の父親らしい。

 と言っても、春木の元カノが立花彩香だっていうのは、ここにいる人間は全員知っている話だ。


 それにしても愛花さんは本当にきれいだな。

 春木の意識が戻らない時に、三回程、県立病院で話した事があったが、とても気さくで、それでいて知性あふれる女性だと思った。

(こんな彼女を残して豊橋支部に来るなんて、どうかしているよアイツ)

 そう思ったが、亡くなった元カノ・立花彩香への思いの処理に、苦慮している話も、愛花さんの口から聞かされていた。


 かつて愛した人への思いと、今愛している人への思いの狭間はざまで苦しんでいる春木の真っ正直な思いを知って、心を揺さぶられたおれは、アイツの助けになりたいと思った。


 それはともかく、結婚式は順調に進んでいた。

 ケーキの入刀 ――― 親族・友人の挨拶 ――― 幼き頃から現在に至る愛花さんと春木のフォトストーリー ――― その間のお色直し ―――

 愛花さんのお色直しには、惚れ惚れしたね。

 和装も洋装もすべてがとてもきれいで似合っていたよ。

(なるほどね。結婚式の流れとはこういうものなのか)

 友人の結婚式なんて初めてなので、とても参考になると思った。

 もしかしたらおれも、こういう事に縁があるかもしれない ――― 最近、そう思い始めていた。

 ちょっと聞いてくれるか?


 おれの支部での任期は今年の三月で終わりを迎えていた。

 お役御免ってわけだ。

 春木は、このままでは最低三年の遠距離恋愛が確定する。

 そんなの可哀そうじゃないか。

 おれの本部での勤めは二年しかなかった。大阪にある自宅から通勤していた事もあって、本部のある町にはそんなに馴染みはないのだ。

 今更戻りもどたいとも思わない。

 そう言う事でおれは、支部への残留希望を提出したのさ。


「その代わりに、来年から春木を本部に戻してやってください」

 と条件を出したが、すんなり受理された。

 野上課長以下、サボりの名人と笑っていた同僚たちが、おれの男気に感服したのか、その日以来おれに対する態度を一変させた。


 特に深見玲奈だ。

「ランチでも行かないか」

 と誘っても

「遠慮しときます」

 と全く脈なしだったのが、今では深見の方から誘ってくるようになっていた。

 もともと深見には好意を持っていたが、歳が少し離れていることもあって、強くアタックはしなかったのだが、春木を助けたことで、こんな展開になるとは思ってもみなかった。

 情けは人のためならずとはまさにこの事だ。

 

 でもな、色恋に目が眩んで支部に残る選択をしたわけじゃないんだ。

 おれはここに住んで六年になろうとしていた。

 出石城の管理人の田崎さんや、蕎麦屋のおっちゃんに、総菜屋のお婆さん。牧場のオッサンや、頑張っている農家の若者たち。

 ここに住んでいる人達の人情が好きになっていた。

 おれはここを離れたくなかった。

 ただそれだけだ。

 深見玲奈に気に入られたのは、副産物みたいなものかな。

 まあ、こんな事彼女に話したら、怒られるわぁ。


(ともかく)

 春木。愛花さん。幸せになれよな。

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