第105話 園宮愛花
「ここでお待ちください」
スタッフの方に待機を促されたのは、メインホールの閉じられた扉の前だった。
隣りにいる大輔さんが少しソワソワしていた。
わたしもウエディングドレスの着方に問題がないか、気になって仕方なくなってきた。
目前にある、メイン会場の扉から、司会者の女の人の声が漏れてくる。
「新郎・春木大輔さんは若くして亡くなられた作家・立花彩香先生の婚約者にございました……」
すべてをゲストに語っていいと、司会者には
「新婦・園宮愛花さんは、元プロ野球選手で、野球留学中の不慮の事故で命を落とされた、榊原
もちろん立花・榊原両家の承諾は得ていたし、黙っていたとしても、その辺りの話題は、この会場にいるメンバーのほとんどが周知している事だった。
つまり、秘匿の必要のない事なの。
ただし、あの事だけは司会者には話していなかった。
『わたし、春木さんと結婚を前提としたお付き合いをしたいんです』
本当の意味で、大輔さんとの切っ掛けは間違いなくこれだった。だからこそ、言えなかった。女子高生の浅知恵だったと言え、わたしの人生における一番の黒歴史なんだから。
「新婦・園宮愛花さんは師匠である立花彩香先生の遺志を継ぎ、去年の十月に発表されました『君の未来』後編は、見事に五十万部を超えるベストセラーとなりました……」
「後編、呼んでくれた?」
わたしは隣りにいる白いタキシード姿の大輔さんに尋ねた。
「ああ。読んだよ」
「どんな感想だった?」
「そうだな。前編から話していい?」
わたしは頷いた。
「前編はおれと彩香の立場を逆転させた話だった。彩香はおれに生きて欲しいと願う気持ちが、随所に見られたよ。そして中編は、ここからは愛花による彩香のプロットの改変があって、ヒロシ君をモデルにした恋人となる人が現れるんだよね」
「ええ」
「そして今回の愛花が一人で書いた後編は、モデルはヒロシ君から再びおれに戻った」
「そうよ。分かってくれた?」
「分かるさ」
と大輔さんは笑った。さっきまでの緊張が消えていた。
『君の未来』後編のストーリーは、三年間、友達以上恋人未満の関係を保っていた彼が、突然姿を消した所から始まった。
主人公は彼の消息を知るため所属球団に足を運ぶが、なんと彼は、戦力外通告を受けたその日から、姿をくらましたというものだ。
一軍に一度も昇格することなく三年が過ぎ、二十八歳と言う年齢をかんがみて、受けた戦力外通告だった。
彼の実家の定食屋を訪ねるも、実家は店をたたんで何処かに引っ越して行ったということも分かった。彼が実家に足を運んだ形跡はなく、彼には居場所がない事を思い知らされた。
そこからSNSなども使い、いろんな情報を駆使して、彼を探す旅に出た主人公。
数か月に及ぶ彼の逃避行の旅の決着は、以前主人公が自殺を試みた海岸での再会という形となった。
「死にたいのならわたしも一緒に死ぬわ。もしも、生きたというのならわたしと一緒に生きて欲しい。どちらも拒むのなら、わたしはこの瞬間自分の命を絶ちます」
主人公の熱い思いに打たれて、彼は主人公を抱きしめ、一緒に生きて行く事を誓った……。
「ひとつひとつが、愛花がおれに対する言葉のような感じがして、とても他人事じゃなかったよ」
「ウフフフ…。そうかもしれない。あなたに対するすべての思いを、わたしはあの作品にぶつけたんだもの。あなたが死んだらわたしも死ぬよ。だから、これから何があっても生きていてね。これがわたしの思いよ」
わたしはそう言うと、キス顔をして目を閉じた。
大輔さんの気配が近づき、唇が重なった瞬間……。
「新郎・新婦のご入場です!」
勢いよく扉が開かれ、慌ててわたしと大輔さんは姿勢を正した。
(見られてないわ)
そう思いたかったが「おお――」というゲストのどよめきが何を指していたのか ――― それを知る勇気はわたしにはなかった。
それはきっと、大輔さんも同じだったでしょうね。
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