第57話 彩香のビデオメッセージ





 彩香の遺影に手を合わせた後、ぼくと愛花は彩香の母・京子さんに向きあった。

「すみません。月命日でもないのこちらの都合で押し掛けてきたりして、本当に申し訳ありません」

 ぼくは深々と頭を下げ、愛花もそれに習った。

 事前に連絡は取っていたが、立花さんには立花さんの予定があったかもしれないのだ。


「なに言ってるのよ」

 と京子さんは笑った。

「若い人が家に来てくれる、それだけで嬉しいわ。とくに大輔さんと愛花ちゃんなら大歓迎よ。それに、愛花ちゃんありがとうね、彩香の服を着て来てくれて」

 彩香と知り合ってからの愛花は衣装がお洒落になっていた。

 そのほとんどが彩香の着ていた服だった。


「いえ、お礼を申し上げるのはわたしの方です」

 と愛花が言った。

「わたし、あまり服を持ってなかったから、彩香さんの服をいただいてとても助かっています」

「そう言っていただけると嬉しいわ。もしよかったら、彩香の服をもっともらってくれないかしら?」

「いいんですか?」

「嫌じゃなければね」

「嫌だなんて、そんなことありません。彩香さんとわたしは背格好が似ていますから、ピッタリ体にフィットするんです。それに、彩香さんの選ぶ服はとてもセンスがよくって、本当にありがたく着させていただいています」

「それじゃ後で、彩香の部屋に来て、欲しい服があったら持って帰ってちょうだい」

「はい。嬉しいです。ありがとうございます」


「京子、これじゃなかったかな」

 と彩香の父・茂さんが仏間に入って来た。

 左手にはSDカードがあった。

 京子さんは茂さんから受け取ったSDカードを手に取って眺め、

「そうそう、これだわ」

 ぼら、と言ってぼくと愛花の前に差し出した。

 そのSDカードには『キミの未来・愛花ちゃんへ』と彩香の字で書かれていた。


「何ですか? これ」

「さあ、なんなんでしょうね」

 ぼくの質問に京子さんははぐらかすような笑みを浮かべた。

「実を言うとわたしも見るの初めてなのよ。彩香が自撮りした動画ってことしか知らないわ」

「彩香の自撮り動画……」

 ぼくの背筋に電気が走った――― そんな錯覚を味わった。


 彩香が使っていたノートパソコンが用意された。パソコンの左側面にあるスロットに、そのSDカードを差し込んだ。

 メディアプレーヤーが自動起動すると、病室のベッドに寝間着ねまきで座る彩香の姿が現れた。

 その瞬間、ぼくは涙が飛び出しそうになったが、どうにかそれをこらえた。

 画面右下の日付は、彩香を車椅子で海に連れ出したあの日だった。


 ――― あなたの、心の片隅かたすみに、住まわせて欲しい ―――


 彩香のその言葉がぼくの心の中に響いた。


「愛花ちゃん、お久しぶり」

 とモニターの中の彩香が言った。

「―――て言うのも変な気分よね。あなたには昨日もあったし、今日も間もなく来てくれるんだから……。でも、これをあなたが見る時は、やはり、お久しぶりなんでしょうね」

 と力なく笑みを見せた。

「隣りには大ちゃんがいるのかしら? さっきはありがとうね。わたしとても幸せな気分よ」

 そうだ。この日は彩香と最後のキスをした日だ。

 激しく、甘い、そして切ない唇の律動……。

 ぼくはもう、自制できなかった。

(ダメだ……!)

 ポロポロと涙がこぼれた。止められなかった。


「大輔さん……」

 愛花が心配そうに顔を覗き込む。

 動画が静止していた。愛花がポーズを押したのだ。

 ぼくは大きく首を横に振った。

「おれはいいから……彩香のメッセージを…聞いてやってくれ」

「……わかりました」

 と愛花はマウスを動かした。


「どうやら『君の未来』の続編はあなたが書くことが決まったみたいね。おめでとう」

 彩香がにこやかに手を振り、そして軽く頭を下げた。

「このビデオメッセージを見ているということは、愛花ちゃん、きっとあなたは、わたしが構築したプロットにこだわって ――― プロットだけじゃない。わたしの文体やわたしの筆癖ふでくせにもこだわって、とても苦しんでいるんじゃないのかな? あなたは本当にまじめで融通ゆうずうの利かない人だから……」


「はい……。あっ……!」

 思わず返事をした愛花は両手で口を押えた。


「でもね、わたしはあなたにそんなことは望んでいないのよ」

 ウフフ、と彩香は小さく笑い声をあげた。

「三部作の話、もう聞いたかしら? 愛花ちゃんには言ってなかったけど、『君の未来』の三部作への変更は、わたしの提案なのよ。愛花ちゃんがわたしのプロットにこだわり、苦しんでいるようだったら、前編と後編のあいだに、わたしと愛花ちゃんの合作として中編を編集・出版して欲しいって頼んだの。そして後編は、文体や筆癖はすべて愛花ちゃんのスタイルのままに書かせてあげて欲しいと、念を押しといたわ。だからね、中編は少し苦しむかもしれないけど、後編はあなたの好きなように締めくくればいいのよ。わたしが決めた終わり方でなくていいの。わたしのプロットなんてぷち壊しちゃっていいのよ。あなたの描く『君の未来』がどんなストーリーなのか、わたし見てみたい。――― わたしの肉体は消えても、わたしの魂は大ちゃんの中で生き続けるわ。そして大ちゃんを通してわたしに読ませて欲しい。あなたが締めくくる『君の未来』を」


「彩香さん……」

 目頭を押さえる愛花の横で、ぼくはすでに泣き暮れていた。


「もう一度言うわね。わたしのプロットも、わたしの文体も、わたしの筆癖も、すべて忘れて、園宮愛花が描く『君の未来』の世界観を作り上げてね」


 彩香のビデオメッセージはそこで終わっていた。

 ぼくと愛花はしばらく動けないでいた。

 そんなぼく達の横で、京子さんはSDカードのアイコンをダブルクリックした。

 開いたウィンドゥには動画ファイルとは別に、いくつかのワードファイルが存在した。


「これはなんでしょうか?」

 愛花が聞くと、京子さんは口を開いた。

「以前、愛花ちゃんにこの小説のプロットが書かれたメモリーを渡したわね」

「はい。いつも持ち歩いてます」

 愛花はカバンの中からUSBメモリーを取り出して見せた。

「ああ、これよね。一応これが完成形としているけど、話の展開の中でどう転ぶかも分からないからと、ボツにしたプロットもすべてこのSDカードに残して置いたみたいなのよ。『物語は生き物だから、必ずしも決められたエンディングにたどり着くとは限らない』―――彩香は常々そう言っていたわ」

「はい。わたしもそう聞かされていました」

「それなら分かるでしょ? 彩香が愛花ちゃんに伝えたかったメッセージが何なのか」

「はい」

 深く頷く愛花を見て、京子さんは頷き、そして穏やかに笑って見せた。

 そしてパソコンを閉じるとスロットからSDカードを取り出し、それを愛花に渡した。

「これは参考程度に考えてね。中編は少し手こずるでしょうけど、後編は愛花ちゃんの『君の未来』を書いてね」

「はい。でも、中編のピークは越えました。今月中に二百ページほど書けば完成しますから」


 その後、京子さんが用意してくれた豪勢な昼食を、ぼくと愛花は頂いた。

「なんか嬉しいな、こんな感じ。彩香と過ごした頃を思い出すよ」

 茂さんの言葉に、京子さんも頷いた。

「ほんと。誰かのために作るご飯は気合がが入るから、いっぱい作っちゃったわ。大輔君も愛花ちゃんもいっぱい食べてね。今日は本当にありがどう」

「いえ、久しぶりの彩香のお母さんの手料理が食べられて、とても嬉しいです」

 とぼくは本心からそう思った。

 時々、彩香に呼ばれて、京子さんの手料理を美味しく頂いた事を、ぼくは思い出した。

「ところで」

 ぼくには気になった事があった。

「彩香の自撮り動画って、他にもまだあるんですか?」

 ぼくがそう言うと京子さんと茂さんは顔を見合った。

 その仕草から分かった。

(他にも動画があるんだ……)


「あの、差し支えなければ、見せてもらえませんか?」

 とぼくは身を乗り出していた。

 京子さんと茂さんは再び顔を見合った後、茂さんが小さく首を横に振った。

「確かに彩香の動画は他にもある。だけど、今はそれを見る時じゃないんだ」

「それを見る時じゃない…?」

「少なくとも今は……ね。もしその時が来ることがあれば、大輔君にも愛花ちゃんにも見てもらいたいんだけど、それは今じゃない、としか言えないんだよ」

 どうやら、二人はその中身を見知っているようだ。

 それを知った上で、今はダメだと言っているのが分かった。

 だけど……。

(なにか引っかかる言い方だな)

 今は見るべき時ではない……。

 しかもぼくと愛花に関わる事のようだ。

(それに……)

 もしその時が来ることがあれば ――― と言う条件付きだ。

 これからのぼくと愛花の未来の展開次第では、その動画を見る必要がない ――― あるいは見る価値が生まれない ――― そう言った事を言っている気がしてならなかった。


 彩香はぼくに何を ――― いや、ぼくと愛花に何を伝えようとしているのだろう。

 見当もつかなかったが、一つだけ確信できる事があった。

 彩香はぼくの未来に訪れるかもしれないターニングポイントに、もう一つ、何らかの布石を置いたのは間違いなかった。

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