第5話 信頼できる相手





 愛花は誰が見ても美人で可愛い女の子だ。

 社会人が (一応まだ学生だが) 女子高校生と付き合う機会なんてそんなにあるものじゃない。

 千載一遇のチャンスだったと言えるだろう。

 ぼくだって彼女は欲しいと思っているし、愛花が示すところの『結婚を前提にした付き合い』は、決して好ましくない話ではなかった。


(ちょっぴり惜しい事をしたかな)

 少しばかりはそんな思いもある。


 だけどぼくは、遊び相手が欲しいわけじゃなかった。

 もしも愛花が彼氏持ちでなく、自然な形で交際を申し込んで来たのなら、ぼくも真っ直ぐ向き合っただろう。


(だけど…) 

 甘いと言われるかもしれないが、恋愛と結婚は別物と言う割り切った愛花の考え方は、好きになれなかった。

 愛花のやろうとしている事は、彩香と何ら変わらないのだ。

 そんな打算的な関係で、愛花が願う幸せな家庭が作れるなんて、ぼくには思えなかった。



 翌日は久しぶりにシフトから外れた。

 梶山界人かじやまかいとが気の合った大学同期の仲間を呼んで、食べ放題・飲み放題の居酒屋で、ほくの祝賀会を催してくれた。

 大学の講義以外はバイトに明け暮れていたぼくだ。仲間と呼べる相手は限られていた。

 同じ中学・高校出身の梶山界人かいとの他には、ゼミで一緒だった大谷と前田くらいだった。


「カンパーイ」

 と取り敢えずナマ中で始まった祝賀会は、結局いつもの飲み会と何も変わらなかった。

「大輔、よかったな」

「春木はてっきり就職留年かと思ったぞ」

「これでみんな晴れて卒業できるな」

 と最初こそぼくを巡る話題だったが、男ばかり四人も揃うと話題はやはり女性の話になる。

 

「いつも向こうから話しかけて来る同じバイトの女の子がいてさ。絶対に脈あると思って告白したら、彼氏がいたんだよ。あれは絶対に美人局つつもたせだよ。バカ野郎!」

 界人のカミングアウトを皮切りに恋バナ―――いや、失恋バナが始まった。

 東京本社に就職が内定した彼女からこれを機にサヨナラされた大谷が大泣きすると、水商売の女に熱を上げるも、子供二人もいる既婚者と知ってガッカリしたと言う前田の話に続いた。

 そして話題はついにぼくに回って来た。


「春木はいいよな。可愛い彼女がいるんだもんな」

 少し酒が回った大谷が赤い顔を向けた。

(えっ? 園宮のこと言ってるのか?)

 ぼくも少し酔っていたから、思考が追い付いて来なかった。

「いやあ、あれは違う。あの子は同じバイトの子で何でもないんだよ」

 ぼくがそう言い訳すると、三人のグラスが止まった。

「誰の話してんだ? おれは、ほら、文学部の……一昨年文芸誌で新人賞取った…なんて言ったかな……」

「立花彩香だろ。おれも知ってるぜ」

 前田が引き継いだ。


(ああ、そっちの話か……)


「それより春木……。バイトの子って何だよ。何かあったのか?」

 と大谷が突っ込んで来た。

「何でもないよ」

「いや、何でもないはないだろ」

「話せよコラ。自分一人だけハッピーなんてズルいぞ」

 と肩に寄り掛かる前田。

「立花とバイトの子の二股なんてズルいぞコラ」

 ぼくが苦笑いすると、

「まあ、まあ、まあ。そんな事より飲もうぜ」

 界人が両手にビンビールを掴んで、同時に二人のグラスに注いで、テーブルに溢れさせた。

「おいおい、一人ずつ入れろよ!」

「テーブルがビショビショじゃないか、もう。酔っ払い!」

「いやあ、悪い悪い。少し酔っているな、オレ」

 と界人は頭を掻きながらぼくをチラッと見た。

 立花彩香との顛末てんまつを知る界人だった。

 二人の話題に文字通り水を差してくれたようだ。




 その夜は終電まで飲み明かしていた。

 三人は歩いて帰れる距離に家があったが、ぼくは三つ向こうの駅だった。

 十キロくらいだろうか。

 昼間になら歩いたかもしれないが、ほろ酔いで歩く距離ではなかった。


「おれのアパートに来いよ」

 そう言う界人の好意に甘えて泊めてもらう事にした。

 界人のアパートは大学に近い2DKで、「一人暮らしで寝に帰るだけの部屋としては無駄に広い」と常々ボヤいていた。

「布団はおれが使っているヤツの他に、もうワンセットあるから遠慮なく使えよ」

 そう言いながら手際よく畳部屋に敷いてくれた。

「結局この布団に入るのはお前が初めてだよ」

 界人は苦笑いを浮かべ頭を掻いた。

 ぼくには界人の意味する所が分からなかった。

「そんなにマジマジと見るなよ。彼女が泊まりに来たときに使うつもりだった……って言うことだ」

「ああ、そう言うことか。ゴメン」


 つまり、結局その機会には恵まれなかったと言いたかったようだ。

(性格はいいヤツなんだけどな)

 とぼくは界人の事をそう思う。

 だけど女は違う所しか見ないんだ。立花彩香の様に……。そして、園宮愛花の様に……。


 ぼくは風呂から出ると、界人が用意してくれたジャージを借りた。

 二時を少し回っていた。

 布団に入ったがなかなか寝付けなかった。

「起きてるか?」

 界人も眠れないのだろうか。

「眠りのタイミングを外したみたいだな」

 とぼくが言うと、界人は電気をつけて、冷蔵庫から缶酎ハイを二つ持って来た。


「おまえさ……。さっき、バイトの子がどうとか言っていたよな」

「ん? ああ、そのことか」

「何かあったのかな? と気になってな」

「うん、まあ……」

 ぼくが曖昧に返事すると、

「いやいや、話したくないならいいんだよ。立花のことがあってから、何かおまえ、落ち込んでいたから、別の出会いがあったんならいいかなと思っただけだよ。余計な詮索をするつもりはないさ」

 界人は電気を消そうとした。

 ぼくはその手を止めた。

「ちょうどいいや。聞いてくれるか?」

 ぼくは界人のくれた缶酎ハイのプルトップを開けた。



 付き合いの浅い愛花とのこれまでを話すのに、そんなに時間は掛からなかった。

「どう思う?」

 ぼくは界人がどう感じたのか知りたかった。

「そうだな……」

 と界人は足元に虚ろな眼差しを向けていた。

 何か考えをまとめている時の界人の仕草だ。

 手痛い失恋の場数を踏んだ界人の事だ。きっと批判的な見解が溢れ出るだろう。

 と、思っていたが……。


「多分その子、真面目過ぎるんだと思うよ」

 ぼくは界人をガン見した。

「彼女なりに筋を通そうとしている気がするんだ。おまえに結婚を前提の付き合いを迫った直後に、付き合っている彼氏を振ったんだろ?」

「まあ、そのようだけど……」

「おまえとしては、それが釈然としないんだな」

「まあな」

「だけどさぁ、自己申告がなければその子に彼氏がいるなんてこと、お前は知らなかったんじゃないのか?」

「う…うん」


 本当は相良に見られた後での申告だが、少しくらいの相違は今突っ込む所ではないと思った。

「その上で彼氏にサヨナラした。そして彼女が何故おまえを選んだのかその理由も正直に語った訳だ」

「その通りだ」

「二股掛ける手段だってあったんだ。でも彼女はそれを選ばなかった。違うか?」

「それはそうなんだけど……」

「やっぱり、立花との一件が被って来るのか?」

「……たぶん……そうなんだろうな」

「でもな、その子はやはり筋を通しているよ。数ヶ月曖昧な態度を取っていた立花とは明らかに違う。おれはその子は真っ直ぐな女の子だと思うぞ」

「真っ直ぐなのかな? そうは思えないがな」

 そこはぼくも譲れなかった。

「園宮が好きなのは付き合っていた彼氏の方なんだぞ」

「彼氏が一番だって、それも正直に話していたんだろ? 嘘はないよ」

「確かに、状況において嘘はないし、正直だよ。でも、自分の心に嘘を吐いている。彼氏とは別れたくない筈だ。そんな状態でおれを選んでも絶対上手く行かないし、おれだって嫌だよ。それに……」

 とぼくは視線を落とした。

「おれよりも条件のいい男が現れたら、園宮はきっと素早くそっちに乗り換えるだろうな。そんな相手を信じて付き合えると思うか?」

 界人は、う~んと小さく唸った。

「おまえが女に求めるのは『信頼出来る関係』みたいだな」

 ぼくは頷いた。

「相手の女の子がお前に求めるのは『安定した生活』と言った所か」

「たぶんな」

「もう少し様子見したらどうだ?」

「そんな気はないよ。もう断ったから。何度もね。園宮の話だってちゃんと聞いた上でそう結論付けたんだから」

「勿体ないな」

「おれだって彼女は欲しいさ。でも、こんなのは嫌だ。どこか間違っている気がする」

 界人は苦笑いを浮かべた。

「おまえとその女の子、どこか似ているように思う」

「そんなわけないだろ」

「まあ、会ったことないから、断言はできないけどな」

「とにかく、年を超えたらそろそろ新生活の準備をしなきゃいけないから、園宮なんかに係わってはいられないしね」

「でもバイトは続けるんだろ? 新生活の費用をご両親に出させるつもりはないんだろ?」

「ああ」

 とぼくは頷いた。


「とにかく、バイトは辞められないさ。でも、スーパーのバイトは辞めようと思う。何処か近くで割のいいバイトはないかな」

「そんなのあったらおれが行くよ」

「だよな」

「卒業式以外は大学なんてほとんど行く必要ないしなぁ……。おれも他にもバイトしないと勿体ないよな。―――成績優秀なおまえのことだから出席日数とか単位とかは問題ないんだろ?」

「当然だろ」

 とぼくはドヤ顔で笑った。

「当面はスーパーのバイトを続けながら、割のいいバイトを探すことにするよ」

 この時のぼくは、愛花との関わりを早く断ち切りたいと思っていた。

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