第16話 合格祝い





 公立高校の試験日から十日が過ぎた今日、ぼくの生徒達は全員が合格を果たしていた。

 アンビシャスと同じ雑居ビルにあるファミリーレストランで、生徒達とそのお母さんを交え、祝賀を兼ねた食事会が行われた。

 愛花も同席していた。


「先生やったよ」

「ありがとうございます」

「夢みたいだよ」

「春木先生のおかげだよ。ありがとう」

「嬉しい。ほんとによかった」

 生徒たちの歓喜の声が、ぼくには何よりのご褒美だった。


 アンビシャスは実績があるわりに受講料は高くない。とは言え、低所得の家庭からすれば安価とは言えなかった。

 苦しい家計の中から授業料を絞り出していた、お母さん達の想いに応えられたぼくは、達成感より安堵する気持ちで一杯だった。


 おひらきとなる頃、

些少さしょうですが、これはわたしたちの気持ちです」

 と愛花の母・桃子さんが、お母さん達を代表する形で、ぼくに封筒を差し出した。

「いえ、こんなの受け取れません」

 ぼくはそれを辞退したのだが、桃子さんは強く押し返してきた。

「受け取ってください」

「いや、受け取れませんよ」

 二・三度そんな問答がり返され、仕方なくぼくは、一度それを受け取る事にした。

 そして改めて封筒を桃子さんの前にその封筒を差し出した。


「ぼくからの合格祝です。公立高校と言っても、学校指定の制服とか体操服は高くつきます。それに使ってください」

「でも……」

 お母さんたちが戸惑ったような顔で、互いを見合っていると、

「お母さん。それにみなさんも。受け取りましょうよ」

 愛花が桃子さんとぼくの間に入った。

「春木さんの気持ちも尊重しないと」

 愛花のその一言で決着がついた。


(相変わらず勘のいい子だ)

 勘もいいが、気配りも上手だ。

 ぼくがアパートに引っ越してから一ヶ月近くになるが、愛花は決して制服のままで訪ねて来なかった。

 体格が似ている桃子さんのものだろう。女子高生には見えないように、少し大人っぽい服装でやって来る事が多くなっていた。

 ぼくはもうすぐ社会人だ。

 そんな男の家に女子高生が出入りするのは、今のご時世、世間の目がきびしい。

 しかもぼくはコンプライアンスを重視される公務員だ。

 尚更なおさらきびしいのだ。

 そのあたりのところを愛花は理解しているようだ。



 祝賀会も終わって店を出た。 

 春とは言え、三月の昼下がりはちょっぴり肌寒かった。

 少し名残惜しかったが、ぼくと生徒達は、アンビシャスのエントランスで握手をし、そして別れた。


「何だか、寂しそうですね」

 後に残った愛花が言った。

「そう…だな」

 ぼくは素直に頷いた。

「三ヶ月のあいだほぼ毎日顔を合わせていたからな」

「お疲れさまでした、春木さん。隆二たちを導いてくれて、本当にありがとうございます」

「さてと―――おれのアンビシャスでの役目はこれで終わりだな」

「ですね。あとは入庁式を迎えるだけですね」

 愛花はニンマリ笑った。

 最近さいきん愛花は、ぼくに対して同級生にでも接するみたいに、くだけた表情で絡んで来る時がある。

 切っ掛けとなる何かがあったのだろうが、ぼくがかかわる事ではなかった。


「ヒロシ君とは連絡とっているのか?」

 ぼくが聞くと、愛花は少し硬い表情を見せた。

「毎日短いメールは来ます。返事は一応していますが、会ってはいませんよ」

「会えよ」

 と少し強く言ったが、愛花は小さく首を横に振った。

「ヒロシは夜遅くまで毎日野球に明け暮れているし、そもそも進学科とスポーツ科では校舎が離れているんです……」

 そう言いながらも愛花の瞳は揺らいでいた。

 ヒロシへの想いが少し顔を覗かせた。


「彼は今、夏の甲子園に向けての正念場だ。会えないのならはげましのメールだけでもいいじゃないか。支えになってやれよ」

「どうしてそんなこと言うんですか……。わたしはヒロシとは別れたんですよ」

「心はまだ、離れたがっていないだろ?」

 ぼくはそう言い捨てると足早に歩きだした。


 ぼくも榊原宇宙ヒロシとは、知り会ってからほぼ毎日、メールのやり取りをしていた。

 だから、ヒロシが須浜学園のエースで四番なのも、スカウトの影がチラホラしている話や、愛花が彼と距離を置いている事も知っていた。


 ヒロシは他にもいろいろと教えてくれた。

 両親の離婚により、愛花が十歳の時に転校した小学校で、愛花と出会った事。

 中学に上がるのを待って愛花に交際を申し込み、その場でOKの返事をもらった事。

 メールの流れの中で、高校一年の夏にファーストキスをした話もあった。

 それはぼくに向けたアピールのようなものだろう。

 愛花を誰にも取られたくない彼の切実な思いを感じた。


(心配するなよ。おれはキミから園宮を奪おうなんて思っていないから)

 そう心に思うも、言葉には出せなかった。

 出してしまえば、ヒロシを傷つけてしまう気がした。


 何よりも二人の思いは今も健在だ。

 そんな二人が恋人でいられなくなるなんて―――しかもその要因にぼくが絡んでいるなんて、ぼくには我慢できなかった。

 ヒロシは好青年だ。愛花に対しては思う所もあるが、思いやりある優しい女の子なのは間違いなかった。


(好きあっている二人が別れる理由なんてあるわけないじゃないか)

 この二人はあるべき姿へ戻らないといけない。絶対に。

 ぼくと彩香が成し得なかった未来を、愛花とヒロシには叶えて欲しいと切に願った。

 愛花の行動に正直なところ今も嫌悪感はある。

 だけどぼくは愛花を突き放さなかった。

 ぼくが愛花を完全に突き放せば、ヒロシと愛花を繋ぎ止めるものがなくなってしまうと思ったからだ。

 

 愛花は理由を付けてはぼくのアパートにやって来る。

 本来なら許さなかったが、ヒロシのメールには必ず返事するのを条件に、短い時間の来訪を許していた。

 今日は隆二の高校合格のお礼に、手作り晩御飯のお礼がしたいとの事だった。



「愛花ちゃん、こんにちは。それに春木君も」

 アパートの階段付近でバッタリ相良琴美さがらことみと会った。

 相良はたまに久保川さんに会いに来る。

「相良さん、こんにちは」

 お辞儀をする愛花の隣りで、ぼくも小さく会釈した。

 相良はぼくと目を合わせると、改まったようにニコリとした。


 あの日―――彩香との一件に出くわして以来、ぼくは相良が苦手ではなくなっていた。

 基本的にはパリピ相良だが、ふとした瞬間、を覗かせる。

『だいじょうぶ?』

 と気遣ってくれるのが分かった。

 触れるか触れないような心遣いが嬉しかった。


「久保川さん、今夜は非番だったよな」

 階段を上りながらぼくが言うと、相良はパリピな笑みを向けた。

「そうよ。だから夜中に変な声が聞こえちゃったらごめんね。アハハハハ」

「おまえ、なあ……。それを言わなければいいヤツなのに」

「だよね。アハハハハ」

「まったく」

 と言いながらもぼくの口元もほころんでいた。

 俗物的な表現をすれば、相良はビッチかもしれない。

 だけど相良には相良の生き方があるのだ。


「もう直ぐね、春木君」

「んっ? なにが?」

「何言ってんの。初登庁まで十日もないのよ。準備できてる?」

「ああ、それか。まあ…スーツも新調したし、分厚い県庁の心得本こころえぼんにも一通り目も通した。後は当日をつつがなく迎えるだけだよ」

「つつがなくって何よ。昭和の人間かよ。アハハハハ」

「うるさい。おれは昭和の文学が好きなんだよ。て言うか、つつがなくって言葉は、聖徳太子がずい煬帝ようだいにあてた書簡にもあるんだぞ」

「じゃあ、飛鳥時代の人間? ―――そこまでさかのぼると、むしろ神々しく感じるね。これはこれで面白いわ。アハハハハ」

「はいはい。笑ってろ笑ってろ」

「ごめんごめん。春木君って突っ込みどころ満載なんだから。―――でもまあ、とにかく気負いなく、無理せず頑張るんだよ」

「ああ、ありがとうな」

 相良とは久保川さんの部屋の前で手を振って別れた。


「わたしとはずいぶん対応が違いますね」

 ぼくの部屋の前に立った時、愛花はねたような物言いをした。

「何のこと?」

「なんか、少し前とは違って、ずいぶん打ち解けてるみたいですね。それに会話が楽しそう……。相良さんと何かあったんですか?」

「いや、別に何もないけど」

「本当ですか?」

 と愛花は怪訝な顔をした。

「何だか…心が通い合ってるって言うか…上手く言えないけど……ちょっとくやしいです」

「悔しい?」

「何でもありません」

 と愛花はぼくに背中を向けた。

(えっ? 嫉妬しているのか?)

 意外だった。

 そんな愛花を初めて可愛いと思った。

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