第24話 自責の念





 彩香の葬儀とその後事ごじも含めて、すべてはゴールデンウィーク内で収まった。

 ぼくは県庁に有給休暇を申請する必要がなかった。

(彩香がそう仕向けたのかな)

 ぼくのために自分の死期までも調整したのだろうか。

(まさかな)

 と思いながらも、彩香ならありうるとも思った。


「ばかやろう……。どんだけ自分を犠牲にしてるんだよ」

 通勤途中の電車の中で、つい口を突いて出た。

 気が付くと、混み合っているのに、ぼくの周辺だけ、妙な空間あきが出来ていた。

 挙動不審と思われただろう。

 乗客たちが、ぼくにかかわらないようしているのが、見て取れた。



 県庁に入ると真っ先に須藤成世すどうなるせ御手洗慶みたらいけいが近寄って来た。

「あの、春木。飲み会に来られない理由があったのに、嫌な言い方してしまったな。ごめんな」

 と須藤があやまると、

「わたしもごめんなさい。春木君がそんな大変なことを抱えていたなんて知らなかったわ。申し訳ありません」

 御手洗も頭を下げた。

 二人とも根っから悪い人間ではないのだ。

「別にいいよ。おれの方もなんにも説明しなかったからね。それに付き合いが悪かったのは確かだし」

 ぼくは頭を下げる二人の肩をポンポンと叩いた。作り笑いを浮かべて。



「春木さん」

 須藤と御手洗が離れると、今度は橘美幸たちばなみゆきそばに寄った。

「わたし、なんとなく知っていたわ。立花彩香さんと春木君のこと」

 と遠慮気味にそう言った。

「そうか」

「新人研修で県立病院に行った時、春木君はある病室の前で、蒼ざめた顔で固まっていたでしょ? その病室のネームプレートにわたしも気付いていたし、あの日をさかいに、春木君は心ここにあらずって感じで、常に帰宅することしか考えていなさそうだったもんね。―――立花彩香はわたし達と同い年で、春木君とは大学も同じだし、そればかりか高校・中学も同じだって、彼女のオフィシャルページで知ったわ。そこから、ふたりは特別な関係じゃないのかなって推察したのよ」


「ありがとう」

 とぼくは橘に言った。

「橘はそれとなくみんなに説明してくれてたんだろ?」

「余計なことかも知れないとは思ったんだけど」

「助かったよ、ありがとうな」

 もう一度橘に礼を言った。



 週末の就業後、

「よかったら、今日飲みに行かないか?」

 早速さっそく須藤が声を掛けて来た。

「すまない。まだ心の整理ができてなくて………。また今度頼むよ」

「ああ、わかった。無理いするつもりはないさ。それじゃ、また今度な」

 流石さすがに俺様の須藤も、それ以上絡んでは来なかった。


 飲み会を断りアパートに直帰すると、ぼくの部屋の前に相良琴美がいた。

「ねぇ、外で飲まない?」

 なんて誘われたけど、ぼくはまだアクティブに動き回る気分にはなれなかった。

「久保川さんに会いに来たんじゃないのか?」

「仕事よ、彼。十一時過ぎに帰るって言っていたから、少し付き合ってよ」

「そうなんだ。悪いけど。外に出る気分じゃないよ」

「それじゃ春木君の部屋で飲まない? ダメかな?」

「まあ………いいけど」

 あまり気乗りじゃなかったけど、なぜかそんな返事をしてしまった。

「缶ビールと缶酎ハイしかないけど、それで良ければね」

「十分よ。よし、今日は春木君のおごりだぁ。一杯飲むぞ」

「はいはい。潰れるまで飲むなよな」

「大丈夫よ。潰れるまで飲んだら、久保川さんはキャンセルして、春木君の布団にもぐり込むから。嬉しい?」

 と相良がパリピな顔を見せる。

「帰るか?」

「ご、ごめん。もう変なこと言わない」

「本当だな」

「神に誓って」

「まったく……」

 入れよ、とぼくは呆れ顔を浮かべながら相良を部屋に入れた。


 小さなテーブルの上に、缶ビールと缶酎ハイを適当に並べて、相良をむかいに座らせた。

「わたしね、おつまみ持って来てるよ」

 言いながら相良はビニール袋をぼくに突き出した。

「いいのか? 久保川さんと食べるつもりだったんだろ?」

「久保川さんが帰ってくるまで、春木君とも宅飲みの可能性も考えていたから、飲み会二回分買ってあるわよ」

「相良って、意外とできるヤツだったんだな」

「なによ、それ。社会人としてはわたしの方が先輩だから当然よ」

「そうだな」

 ぼくは少し笑った。

 相良とのこんなやり取りは嫌いじゃなかった。


 ぼくを心配してくれる人間は少なくなかった。

 大学からの友人でゼミ仲間の大谷や前田。それにしばらく会っていなかった知人からも心配メールがたくさん来ていた。

 峰山さんもそうだし、ぼくの教え子たちも近況報告も兼ねて、ぼくに励ましメールを送ってくれた。

 

 職場の仲間もそうだ。界人や愛花にしても例外ではなかった。

 今、周囲のぼくに対する態度は、腫物はれものに触るかのようだった。

 それがぼくへの配慮なのは分かっている。

(だけど)

 その気遣いはかえってぼくの負担になっていた。


 ぼくは常に、普通―――いや、それ以上に平静をよそおわなければならなかった。

 悲しそうな目を向ける彼らに「大丈夫だよ」と作り笑いを浮かべて、その場を取り繕うのに、ぼくは少し疲れていた。

 放っておいて欲しかった。

 無視でも構わない。その方が楽だった。


 そんな中で、相良の様ないつもと変わらないパリピな接し方は、今のぼくには救いだった。


 

 ぼくと相良は缶ビールをシュポっと開けた。

「一つ聞きたいんだけど」

「なに?」

「相良は、おれと彩香―――立花彩香のことを園宮から聞いていたのか?」

「ううん」

 と相良は首を横に振った。

「国立大学近くの公園であの出来事があったでしょ」

「ああ」

「あの後すぐ愛花ちゃんに尋ねたのよ。立花彩香についてね。でも愛花ちゃんは『ごめんなさい。今は秘密で詳細は話せないんです』て言われたから、わたしもそれ以上は聞かなかった」

 立花彩香の詳しい話を愛花から聞いたのは、彩香が死んでからだったと話した。


「優しい人だったのね、彼女。それにすごく強い人よ」

「強かった……のかな」

「そうよ。わたしにはできないよ。―――本当に春木君のことを愛していたのね。立花さんにとって春木君は命がけの恋だったのよ。春木君いい人だから、立花さんもそうなれたんじゃないのかな。あ~あ、わたしにもそんなに想える男が現われないかな……」

「もう、現れているんじゃないのかな」

「本当かな?」

「見た目の良さとか表面的な優しさではなく、その人の本質を見抜く目が相良にあれば、きっと見つかるよ。幸せの青い鳥のように、きっとすぐ近くにいると思うよ」

(界人がいるじゃないか)

 と思ったが、ぼくが今告げる事ではないような気がして、口にはしなかった。



 しばらく飲みながら他愛ない話をした後、十一時前に、相良はバッグを手にして立ち上がった。

「久保川さんがもうすぐ帰ってくるわ」

「今日はお泊りなのか?」

「そうよ」

「あのさ、相良。―――界人…いや、梶山とはどんな感じ?」

 とぼくは遠慮気味に聞いた。

「友達よ。何にもないわ」

「そうなのか」

「多分これからもないと思うわ」

「なんで?」

「だって」

 と相良は玄関のドアを開けながら、

「梶山君はすごくいい人だもの。わたしのようなビッチじゃ残念な結果しか見えて来ないもん。それじゃね」

「おい、待てよ」

 と呼び止めたが、相良は入口のドアを閉めた。



 一人になった。

 とたんに、胸が苦しくなってきた。

(彩香……)

 病気と闘っていた彩香の気持ちを思いはかると心が狂いそうになる。

 だからこそぼくは、彩香の気持ちに寄り添わないようにしていた。

 そうでないと、ぼくの心は闇に取り込まれ、黒い魔物にいざなわれそうだった。

 だけど、彩香を忘れる事は絶対に出来ない。

 ずっと、ずっと好きだった女だ。

 だからこそ、三年間のすれ違いと会えなかった日々―――それが悔やまれてならなかった。

(なんでおれは……気付いてやれなかったんだよ)

 消えゆく灯火ともしびの中で生きていた彩香を、恨んでいた自分が憎いと思った。

「おれなんて……つぶれてしまえ……チクショウ」

 無意識のうちにそんな言葉が出ていた。

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