大迫家の秘密

 疑問は残るものの、経緯の判明は犯人らの供述を待つ他ない。それよりも差し迫った修羅場が、ここにある。


壽々子すずこ、だから言っただろう。矢渡家は、澄には相応しくない」


 穏やかながら、家長としての貫禄も感じさせる安定感のある調子で言う清嗣せいじ。壽々子は夫の言葉に、僅かに唇を噛んだようだ。


「ですが清嗣さん。澄はどこへ嫁に出せば」

「別に私は一人で生きていけるわ」


 思わず口を挟めば、壽々子は顔を顰める。


「子供が親に意見などするものではありません」

「お母様、考えが古いわ」

「いつかは親の言葉が全て真実だったと気づく日が来るものよ。今は良くても、お友達が皆家庭に入り、清嗣さんや私が死んでしまったら、あなたは一人きり、この世に取り残されてしまう」

「それは」

「私は心配なのです。このままだとあなたは孤独になる。澄を普通の女子として産んであげられなかったことは、私の責任です。だから、どうにかして平穏な幸せを贈りたいと思うのは、母として当然のことでしょう」


 澄は言葉を失う。口うるさいだけの母親だと思っていたが、壽々子にも負い目があり、そのために強引な縁談を進めたのか。母に胸の内を吐露とろされて、いとも簡単に篭絡ろうらくされる澄ではない。けれども、いくらかは心が落ち着いたのも確かである。


「お母様、でも」

「あの、大迫さん」


 控えめな声が割って入った。きぬである。胸元で手を揉み、少し躊躇う素振りを見せてから、小柄なきぬは壽々子を見上げる。その眼差しは意外にも強い光を宿していた。


「澄さんは素敵な女の子です。優しくて綺麗で、才能にも恵まれているんです。それなのに」

「義姉さん、義姉さん。違いますよ」


 黙りこくっていた宗克が、不意にきぬの言葉を遮る。一歩前に踏み出して、彼は壽々子と清嗣の顔を代わる代わる覗いてから、言った。


「澄さんの瞳は光の加減で翠を帯びますが、きっとそれだけではないのでしょう。おそらく、背中には勝色かついろの羽毛がある。それが縁談が進まない理由でしょう」


 きぬが息を吞み、寡黙天狗の義真ですら、表情を変えたようだった。壽々子は目をまん丸に剥いているし、何より、澄も驚愕した。一方、清嗣の顔には次第に血が上り、なぜだが赤黒くなる。清嗣は震える指先を宗克に鋭く突きつけた。


「お前……澄に何を」

「え?」

「む、娘の背中を……見たのか!」

「濡れ衣です!」


 夜分にもかかわらず、今日一番の大声で叫んでから、可哀そうな小柄な青年は一つ咳払い。気を取り直して、まるで探偵か何かのように硬派を装った。


「不思議に思っていたんです。澄さんが家に来てくれた後、稀に勝色の羽根が落ちているんです。兄貴のものよりも柔らかくて小さい羽根です。黒い小鳥でも飼っているのかと思いましたが、そんな気配もない。今思えばおそらく、純血の天狗の羽根よりも小さくて、着物で隠してしまえば見えない程度の羽毛が、澄さんの背中にもあるからなのでは。確信したのは清嗣さん、風呂場であなたの背中を見てしまった時です。翼、ではないですが、肩甲骨の辺りに産毛の代わりに羽根が少し生えていますね」


 まさか他人様のお家に羽根を落としていたとは。羞恥に俯く澄であるが、ありがたいことにその話題が深堀されることはない。


「主人の背中はどこで?」

「え、それはまあ、男同士の秘密です」


 歯切れの悪い回答に壽々子は柳眉りゅうびひそめるのだが、宗克が答え合わせをせっつくので、深く追求する暇はない。溜息交じりに、壽々子は答える。


「ええ、そうです。主人は天狗の血を、私は異国人の血をそれぞれ引いています。とうに嫁に出した長女はどちらも受け継がず、何の困難もありませんでした。下宿に出している長男は、澄と同じ翠の目をしていますけれど、羽根はありません。ですが澄は。この子は両方の血を濃く受け継いでしまったの。それだけでなく男勝りな部分もあって、こんな子をもらってくれる殿方なんて」


 澄はきぬと義真の顔色を窺う。羽根の遺伝話を天狗と人間の夫妻を前に繰り広げるなど、無神経にもほどがある。けれども奄天堂夫妻は特段気分を害した様子はなく、むしろ吃驚きっきょうして一切の思考を失っているかのようだった。


「何がいけないんですか」


 宗克がいつになく強い語調で言う。


「羽根があるだとか、瞳の色が珍しいだとか、澄さんの魅力には何ら影響しないでしょう。俺の故郷では、天狗も人間も当然のように共存していました。帝都は都会だから天狗が少なかったのでしょうけど、これからは時代は変わっていきます。澄さんのような女性も増えるでしょう」

「それは何十年後でしょうか。そうこうしているうちに、澄は嫁ぎ遅れます」

「何年後だとかは知りません。ですが現に、俺も兄貴も義姉さんも、澄さんの背中が真っ黒であれ、気にすることはありません。それにきっと、園田さんも」


 真っ黒ではないわ、と言いたいところだが、澄は言葉を吞み込んだ。話を混ぜ返すのは本意ではない。澄は壽々子の表情を観察する。何事か、思慮しているらしい沈黙が続き、やがて唇から滑り出たのは、驚愕の一言。


「わかりました。そうまで自信満々に仰るのなら、あなたが責任を持って、澄の相手を見つけてあげてください」


 咄嗟に言葉が出ないらしい宗克。その顔も見ず、壽々子は背を向けて、「今晩は疲れてしまったわ」とぼやきつつ家に戻って行く。その背中を清嗣が追うのだが、彼はなにやら宗克に鋭い一瞥を食らわせてから、門に吸い込まれて行った。完全にとばっちりだ。先ほどの濡れ衣が、尾を引いているのかもしれない。 


 澄は、奄天堂家の面々と顔を見合わせる。血筋のことは、意図して隠していた訳ではないが、結果的に一年近くも黙っていたことは事実である。天狗の話題に及ぶ時、異国人の祖母の話をした時。いくらでも天狗の血筋を暴露する機会はあったはず。それなのに、告げなかった。きっと澄の心の奥底に、己の天狗の血を恥ずかしきものとして捉える気持ちがあったから。


「あの、奄天堂さん……」


 呼びかけたものの、言葉は出ない。俯いて黙り込んだまましばし。やがて、砂を擦る音がして、きぬの顔が眼前に現れた。きぬは、いつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべている。


「澄さん、大変だったね。落ち着いたらまた、『黎明』読みに来てね。宗克さんがあんみつ買って待ってるから」


 いつもと何ら変わらぬ、のんびりとした口調。胸を温かなものが包み込む。ともすればそれは喉元を遡上して、涙となって溢れそうである。澄は唇を噛み辛うじて落涙を押し止め、深く頭を下げたのだった。

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