あんみつと作戦会議

 元より、本を読むつもりで奄天堂家に上げてもらったのだが、一人黙々と読書に励むのも気が引ける。澄は宗克に訊いてみた。


「宗克さんも『黎明』読まれるんですよね」

「まあね」

「好きな記事とかあります? 私は『還る鳥』が好きですが。でもあれ、今年いっぱいで完結してしまうんですよね」

「ああ、そう……らしいね」

「最終回、どんなお話でしょうか」

「うーん、どうだろうな。それより、意外と渋いのが好きだね。目当ては美容記事とかじゃないんだ」


 何やら歯切れが悪い宗克。怪訝に思いつつも、澄は頷く。


「もちろんそういう特集も好きですが、私は小説の方が」


 宗克はふうん、と生返事をして、寒天を咀嚼そしゃくした。


「連載物が好きなら、毎月読まないとね。来月も家に来たら貸してあげるよ」

「本当ですか!」


 願ってもない提案に思わず前傾姿勢になるのだが、来月、と月日を意識すれば、心が重くなる。宗克は澄の百面相ひゃくめんそうに首を傾けた。


「どうしたんだ」

「いえ、別に……」


 取り繕おうとしたものの、鏡玉レンズの下から見つめる真っ直ぐな視線に、今更ながらたじろいだ。澄の祖母は、異国人である。そのため、明るい場所でじっくりと観察すれば、この瞳はみどりを帯びる。異国人は天狗よりも珍しい。ゆえに好奇の視線に晒されたことは数知れず。相手が何者であれ、見つめ合うのは苦手であった。


 さらに、この部屋には意図せず彼と二人きり。気を利かせてくれたのか、案外紳士的な宗克は襖を開けたままにしてくれている。それでも、男性と二人、客間で膝を突き合わせていると思えば、妙な気まずさを覚える。相手は挙動不審なだけの、ただのご近所さんだけれど。


 一方の宗克は、あんみつに熱中しているため、澄のことなど、ほんの爪先ほども意識してはいないようだった。青年の幸福そうな表情を観察した澄は、甘味に首ったけな宗克を一瞬でも異性として見てしまったことに気恥ずかしさを感じ、溜息を吐いた。


「何かあった?」

「いいえ。ただ、来月はもう、こんなに自由に振舞えないかもと思って」

「どうして」

「縁談があるんです。この週末、お見合いをする予定で」


 宗克はやや首を傾けて、澄の表情を窺った。そこに浮かぶ感情が、喜びや歓迎ではないことを読み取り、彼は匙を置く。


「そうなんだ。嫌なの?」

「そりゃ嫌です。好いた方とならまだしも。それに……家庭に入るのは地獄行きと同義だって聞きました」

「そうかな。義姉さんは幸せそうだけど」

「きぬさんは理想的な奥さんです。私はどう頑張っても、きぬさんみたいにはなれません。もっと外に出たいんです。お父様もお母様も許してはくれませんけど」


 ここ数か月、幾度か言葉は交わしたものの、特別親しいとも言えぬ青年に対し、どうしてここまで感情を吐露できたのだろう。後から考えれば、彼の硝子ガラス玉のような透き通った瞳に、誠実さを感じたからだったのかもしれない。しかしこの時の澄は、自身の口を突いて出た言葉に、ただ戸惑っていた。


 澄の心を汲んだのだろうか。宗克は、言葉を重く受け止めるような仕草は見せず、何気なく湯呑を傾けた。それからのんびりと、粒あんを寒天に絡める。もしかしたら、ただあんみつが食べたかったから気のない様子を見せただけなのかもしれない。真意は不明である。


「確かに義姉さんは見本みたいな良妻だよ。兄貴にはもったいないくらいだ。でも、これからの時代は澄さんみたいに、外に出たいと考える女性が増えるだろうし、もっと自由な世の中になると思うな」


 想定外にしっかりとした発言に、澄はただ目を見張る。宗克はあんみつを頬張りながらも、先進的な持論を展開する。


「考えてみろ。世の中の約半数が女性なんだ。女性が働きに出れば、単純計算で二倍の労働力になる。それに、女性が欲しがるものは同性の方が良く分かるだろ。何かを売ろうとしたら、女性の意見を取り入れる方が近道だ。これからは君のような人がこの国を牽引していくんだよ、きっと」


 一息に言って顔を上げた宗克の口の端に、あんこが付いている。珍しく秀才の学生らしいことを言ったと思ったら、なんとも締まらぬ様子である。けれども不思議なことに、彼の言葉は塗り薬のように澄の心に染み込んで、胸の痛みがやや軽減されたような気さえした。


 目を丸くしたままぼんやりとする澄。その様子に、つい熱く語り過ぎたと気恥ずかしさを覚えたのか、宗克は視線を逸らせて湯呑を揺らす。


「まあとりあえず、見合いの席で思っていることを言ってみたら? 大迫の奥様はびっくりして失神するかもしれないけど」

「お母様は失神なんてしません。激怒して私をその場から引きずり出します」

「お相手の面前でそれはないだろ。まあもしかしたら、相手が理解ある人かもしれないし。……よし」


 宗克は笑ってから、湯呑も匙も置いて、こちらに身を乗り出す。ずい、とやや近づいた顔に、どぎまぎすることもない。なぜなら、あんこが口の端だけでなく、頬の真ん中にも付着していたからだ。どうやって食べたらそうなったのか。


「今から、作戦会議だ」


 あんこに目を奪われていた澄は、突然の提案に、目を白黒させたのであった。

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