料理は得意……?

Ψ


「へっくしゅん! へっくしゅん! へっ……」


 くしゃみのし過ぎで呼吸ができなくなる、ということはあるのだろうか。


 神無月かんなづきも終わる頃。奄天堂えんてんどう家の庭にうら寂しく立っている柿の木も、近頃はたわわに実を付けて、幾らかなりとも賑やかだ。


 少しずつ収穫をしているのだが、近所に配っても配っても配っても配っても、いっこうに無くならぬ大豊作。ここしばらく天気が穏やかなので、収穫時に使用する梯子はしごが太い幹にそのまま立て掛けられている。


 そんな雑然とした景色の中。落ち葉をほうきでかき集めるきぬを、茶の間から眺める。


 大和柿やまとがき色の着物の上に着込むのは、季節は真冬だったかと錯覚するほどの分厚い綿入り半纏はんてん。朱色のそれの上に、墨色のもう一着を羽織り、二重にしている。首には襟巻をぐるぐる巻きにしており、着ぶくれた姿である。どうやらきぬは、風邪を引いたらしい。


 あのような厚着、腕が自由にならず、掃除も大変なのではないかと思う。見かねた宗克が代わってやろうとしたのだが、見た目によらず強情なきぬは、受け入れない。それならばと箒を奪おうとしたのだが、半纏で隠すように抱きかかえられてしまい、断念した。


 今日は休講日である。小試験を終え、一心地着いた時期なので、日中からミルクホールで新聞を読んで過ごした。昼食後、家の門を出る時までは、きぬはあれほど達摩だるまにはなっていなかった。


「へっくしゅん!」


 また一つ、くしゃみが響く。案外大きな声だった。


「義姉さん、そろそろ中に入った方が」


 呆れ半分に言ってみれば、きぬははなすすってから、足元のこんもりとした柿の葉と宗克を交互に見た。それから、いつにも増してぼんやりとした顔で、小さく頷く。


「そうだね」


 その声は、まるで変声期の少年のようで、申し訳ないとは思いつつも、笑いをかみ殺すのに難儀した。


 朝晩は底冷えする時期。けれども陽射しが燦々さんさんと降り注ぐ時分には、暖かさを感じる季節である。そろそろ西日が射そうという時刻だが、宗克は特別寒さを感じはしなかった。


 しかしきぬが、あまりにも寒そうにするので、長火鉢に火を入れて玉露を淹れた。湯呑を手渡す時に微かに触れた義姉の指先が、冬の井戸水のように冷たい。対照的に、襟巻の上に乗った顔が、発熱のために赤らんでいる。


「今日は早く休んだ方がいいですよ」

「でも」

もないですよ。良いから早く寝てください」

「うん、だけど宗克さんたちの晩ご飯……」


 そのような心配は無用である。外食に行けば良いだけのこと。高熱があっても腹が減るのだろう食欲お化けのきぬには、土産でも買って来てやればいい。それか、一人分の病人食くらい、宗克にだって作れる。


 宗克が答えようとしたところ間が悪く、玄関で引き戸が滑る音がした。義真が帰って来たのだろう。日中は出版社に行くと言っていた。


 帰宅の気配を察し、健気なきぬは腰を上げる。


「お帰りなさい」


 聞き慣れぬれた声に、義真はやや顔をしかめるが、その言葉が紛れもなく、眼前の着ぶくれ達摩だるま……いや、きぬから発せられたことを知ると、彼は小さく首を傾けた。


「きぬ、か?」

「うん、きぬです」


 義真は黙ったま眉根を寄せる。きぬは今にも眠りに落ちるのではないかというほど、ぼんやりとしたまなこで義真を眺める。普段から掴みどころのない義真と、発熱で意識が朦朧としているのだろうきぬ。二人のやり取りが、滑稽だ。そのまま妙な沈黙が訪れたので、宗克は軽く咳払いをした。


「兄貴、今日は外食にしよう」


 きぬをおもんぱかって言ってみれば、義真は首を傾けたままこちらに視線を向けた。決して仲が良いとは言えぬ二人である。「どういった風の吹き回しか」と、義真の射干玉ぬばたまのような瞳が問う。伊達に長年兄弟をやってはいない。宗克には、兄天狗の目を読むことなど、造作ない。


「別に、兄貴と出かけたいとかじゃないけどさ、風邪ひいている義姉さんに負担かける訳にはいかないだろ」

「熱があるのか」


 やっと合点がいった、という様子の義真。そしてその口から、恐ろしい言葉が発せられる。


「では、俺が夕餉を作ろう」

「あ、ううん。大丈夫!」

「いや、外食にしよう!」


 きぬと宗克の必死の声が重なって、二人は顔を見合わせる。この時ばかりは、きぬの意識も明瞭になったようだった。


 義真は、何をどうしたらそうなるのだろうか、というほど、料理が下手である。米を炊かせれば歯が折れるほどのおこげ煎餅せんべいを作り出し、味噌汁を作らせれば気づいた時には干上がっている。幾つ釜と鍋をだめにしただろう。そして何より悪いことに、義真本人には料理下手の自覚が一切ないのである。


「遠慮するな」


 いや、遠慮とかじゃなくて、と口をついて出かけた言葉は、きぬののんびりとした声に阻まれた。


「二人こそ遠慮しないで。それより、おいしいお土産買って来てね」


 にこやかに言われてしまえば、実は尻に敷かれている義真のことだ。素直に頷く他ないのである。宗克は今宵の晩飯として、無事文化的な料理を食すことができるとわかり、胸を撫で下ろして兄を促す。


「ほら、義姉さんもああ言っていることだし、早く行こう」


 義真はせぬ、という表情を崩さないのだが、弟に追い立てられて、玄関に向かう。途中、「粥を作るのは得意だ。以前きぬはぺろりと完食した」という趣旨のことを口走っていたが、冗談ではない。


 きぬは、出されたものが人間用の食材であれば、何でも胃に放り込むのだろう。例えそれがのりのような粥であったとしても。義姉の食に対する熱意には感服する。宗克には無理な芸当である。

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