後編
屋台を巡る
その日は日中から快晴で、鮮やかな空には、綿飴のような入道雲が浮かぶ。それらは地平線から沸き上がったように空の青を切り抜き、一寸たりとも動かない。風のない、花火大会日和である。夜の催しへの期待に、街は明るい喧噪に包まれていた。
「
待ち合わせの河原に着き、見慣れた後ろ姿に声を掛ければ、千賀とその夫は満面の笑みで振り向いた。天狗用の浴衣の切れ目から覗く翼が、未だ明るい夕方の夏空から降り注ぐ光に煌めく。
「ああ、お二人さん。思ったよりも早かったね」
朗らかに言った千賀は、右膝を
「山道を歩くのが速くなったみたいなんです。だから思ったよりも早く着けました」
「そうかいそうかい」
高齢ゆえか、いつものんびりとした所作の俊慶が、目尻の皺を深めて頷いた。
「天狗は山暮らしが多いからねえ。天狗の嫁になるのなら、足腰は鍛えないとね」
「あんた何言ってんだい」
間髪入れず千賀が言うが、俊慶はなぜ諫められたのか分からないようだった。天狗の嫁。俊慶の目にはそう見えるのだろうか。
「悪いね、この人
千賀は冷たく言い放ってから、提案する。
「まだ時間があるんだから、屋台でも見て回って来な」
「千賀さんたちは?」
千賀は、ぴしゃりと右膝を叩いた。
「もう歳だから、ここで場所取りしておくよ」
本大会は、この近辺では比較的規模の大きい花火大会のようで、人出が多い。そんな中、場所取りをしてくれるという申し出は、大変ありがたい。だが、騒がしいことを好まない義真が進んで人混みに出たがるだろうか。改めて視線を向けてみれば、きぬの懸念をよそに、義真は躊躇いなく頷いた。
「ありがたい。きぬ、行くか」
「あ、はい」
手を振り送り出してくれる千賀と俊慶に会釈をして、義真と並んで雑踏に繰り出す。
川に沿って並ぶ屋台が目に新しい。色鮮やかな品を飾るお面屋、夏でも思わず食べたくなるような出汁の効いたおでん屋、絵草紙屋にゴム風船。
しばし山に籠っていたものだから、人工の物が目新しいというのもあるだろう。きぬは幼子のように目を輝かせて、屋台の間を練り歩いた。一つ、ひと際人だかりができている屋台を見つけ、きぬは義真の袖を引いた。
「ねえ、あれ、なんだろう」
街に下りるようになって気づいたが、きぬはどうやら、同世代の人間女性と比べて身長が低いらしかった。人だかりの先に何があるのか、きぬの背丈では窺うことができない。そうでなくとも、人間よりも体格が良い天狗の男女も人垣の一端を形成していたのだ。
きぬにせがまれた義真は少し背伸びをして黒山の人だかりの向こうを覗く。踵を地面に戻し、彼は言う。
「飴細工だな」
「飴細工!」
白い晒し飴を手で
きぬは背伸びして、何度か飛び跳ねてみたのだけれど、人の頭を越えられない。飴細工は、その製造過程を見守るのも楽しみの一つである。けれども背丈が足りぬのだから、どうしようもない。いまさら己の発育不良を嘆いてもどうにもならない。
時々診てもらう医者からは、きぬはもう、とうに成人している年齢だろうと聞いていた。今後いくら栄養と休養を取っても、もうこの身は伸びないだろう。早々に諦めたきぬは、義真の袖をもう一度引く。
「……もう少し
言ってみると義真は、おや、と眉を上げた。先ほどまで目を輝かせていたきぬが、急に興味を失ったのが怪訝だったのだろう。きぬは首を横に振る。
「良いんです。見えないから」
義真は小さく首を傾けて、短く「そうか」と呟いただけだった。
人垣を離れたのは良いのだが、どの店も大いに繁盛している様子。整列戦争の後、辛うじておでんを四人前確保して、二人は千賀と俊慶の待つ場所へと早々に戻ったのである。
思いの
聞き終えると千賀は、いつもの調子で義真を「使えない男だね」と批難した。飴細工くらい人垣を搔き分けて買ってこい、ということだろう。義真は、なぜ使えないと評されたのか全く腑に落ちぬ、といった顔で、千賀を見ていた。
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