第七話 囚われの姫君を救出せよ
怪人の気配、再び
「あれ、澄さん来てないの?」
帰宅早々言ったのは、
「うん、そうなの。いつもなら、もうとっくにいらしている時間だけれど」
宗克は少し首を傾けてから、「まあそのうち来るか」と呟いて、台所へ引っ込んだ。手には
澄がやって来る日、宗克は時折こうしてお菓子を用意する。もちろんきぬや
透き通る寒天、滴るのは艶やかに煌めく黒蜜。やや塩味のある赤えんどう豆が、味に彩りを加える。素晴らしきかな、あんみつ。
甘味のことを考え出してしまい集中が途切れたきぬは、時計を見遣った。午後三時を過ぎていた。かれこれ二時間以上も針と睨めっこをしていたらしく、少し目が疲れてしまった。きぬは大きく伸びをして、濡れ縁に出る。
「さむ……」
呟いて朱色の
柿の木を眺めると、
「もうすぐ一年経ちますね」
きぬの視線を追ったのだろう、いつの間にやら戻って来ていた宗克が感慨深げに呟いたので、きぬは同意する。
「そうだね。宗克さん、最初家に来た時はつんつんしてたね」
「いつの話ですか」
きぬは小さく笑い、頬を微かに赤く染めた宗克の顔を見上げる。真向からの視線を受けて、宗克はふい、と視線を逸らした。本当は可愛らしい性格をしているのに、わざと硬派に装うのがいっそう愛くるしい。
宗克は先ほどまで、身長を伸ばすためにミルクホールで牛乳珈琲でも飲んでいたのだろう。大人になったら牛乳を飲んでも背は高くならないのだと、先日義真がこっそりと教えてくれた。きぬは頬が緩むのを堪えながら、宗克の努力に水は差すまいと、その事実は心のうちに留めているのである。
けれども宗克がミルクホールに通うのは、何も牛乳のためだけではないのだ。本当の目的は、新聞である。特にここ数日はきぬが頼んで、昨秋に現れた変態、怪人のぞき太郎についての記事を調べてもらっている。
「宗克さん、例の件はどうだった?」
声を潜めるきぬ。宗克も軽く周囲を見回して、声を低くした。
「やっぱり時々出るそうですよ。それも熟女ばっかり狙って」
「じゃあ、去年宗克さんたちが捕まえてくれたのぞき太郎さんは、偽物だったのかな」
「どちらが元祖のぞき太郎なのか、もはや分かりませんけどね」
二人は額を突き合わせ、悩ましく呻いた。事の始まりは先週のこと。道端でばったりと出会った澄から、不穏な話を聞いたのである。
何でも最近、誰かに見張られているような気がするのだという。最初はただの気のせいだと思っていたのだが、それにしては妙に鮮明な気配を放つ。朝方や夕方の薄暗い時間帯を中心に、庭を見慣れぬ影が横切り、風呂場の扉が不自然に揺れ、夜な夜な廊下を裸足で歩くようなひたひたという音がするらしい。
それは人ではなく、何か霊的な存在ではないのかと言ってみたのだが、澄は身震いをして「お、お化けなんていません!」とやけにきっぱりと否定したのである。
根拠は不明なのだが、澄がああも強く言うのだから、間違いはないのだろう。だからきぬは不審者の代表格である怪人のぞき太郎が、また現れたのではないかと心配しているのだった。
昨年逮捕されたはずののぞき太郎だけれど、年末ごろから再び、同様の事件が発生している。皆で捕まえた胸毛男は、偽物だったのだろうか。それとものぞき太郎は複数名による犯行なのか……。
「あのう、
不意に、間延びした男性の声が呼びかけた。どこか聞き覚えのある声である。きぬと宗克は顔を見合わせてから、玄関へと向かう。途中、茶の間で湯呑を傾けていた義真が何事かと視線だけ寄越したが、いつも通り
玄関扉を開けば、客人は髪に白い物が目立ち始めた年代の男性だった。
「あ、
門前にぽつんと立っていたのは、澄の偽許嫁である園田だった。彼とは先日の変態事件の折に共闘したきり、顔を合わせていなかった。幾らか気心知れた戦友とはいえ、何の前触れもなく一人でやって来るとは意外である。
「今日はどうされたんですか。澄さんは一緒ではないんですね」
何気なく聞いてみれば、園田は「うっ」と顔を歪めた。それから消え入りそうな声で、言ったのだ。
「突然申し訳ございません。実は、助けていただきたいのです。澄ちゃんを」
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