作戦実行?

Ψ


「ご無沙汰しております。園田そのだ小父おじ様」


 指を揃えて会釈してみれば、園田の小父様……もとい、本日の見合い相手である壮年は、人の良い笑みを返した。


「澄ちゃん、久しいね。もう二、三年ぶりだろうか。少し前まではこんなに小さかったのに」


 自分の腰の辺りで身の丈を示すように手をひらひらとさせた園田。さすがにそんなに小さくはなかっただろうと思えども、余所行きの笑みは崩さない。


 大迫家の客間にて。床の間には、澄の父親がだいぶ昔に購入した自慢の掛け軸が、堂々たる筆跡を誇る。その斜め下方、藍色の水盤すいばんには、薄紅の百合が枝ものと共に天井に向けて背伸びをしている。澄が生けた花である。


 障子が開け放たれて、中庭からの光が差し込むその部屋は、池で鯉が跳ねた気配すら微かに届くような静謐せいひつさを保っている。少なくとも、表面上は。


「感慨深いですわね。ほんの何年か前までは、小父様小父様、と無邪気にはしゃいでおりましたのに」


 紅を引いた口元を袖口で隠しながら、母である大迫壽々子すずこが軽やかに笑う。澄は心の中では疎ましく思いながらも、そこは社交辞令で、上品に聞こえるように笑い声を立てた。


「まあ、お母様。おやめください。恥ずかしいですわ」

「この子ったら、照れてしまって」

「いやいや。私もこんな日が来るとは思いませんでしたよ」


 園田がのんびりとした口調で言うのだが、澄もまさかこんな展開は予想だにしなかった。


 園田は、澄の父の学生時代の後輩にあたり、現在勤めている役所の同僚でもある。


 父と園田は交友が深く、澄のことは幼少の頃より、まるで娘か姪のように可愛がってくれた。澄の稀有けう血筋すら何でもないことのように受け入れてくれる園田のことは、決して嫌っていない。むしろ、好いてすらいるのだが、その情は異性に対する物ではなく、近所の小父様に対するそれなのである。


 この縁談の発起人ほっきにんは誰なのか、未だ釈然としないのだが、この際それは些細な問題だ。澄はしばらく会話が続き、場の空気が温まった頃合いを見計らい、猫を被ったまま、小さく首を傾げた。

「ねえお母様、久しぶりにお会いしたのだから、小父様と二人でゆっくりお話しがしたいのだけれど」


 母が口を開く前に、すかさず園田に流し目を送る。


「良いでしょう、小父様?」

「私は構いませんよ」

「ですが園田さん」

「ご心配には及びません。良く知った仲ではありませんか」


 朗らかに言われてしまえば、壽々子は何も言い返せないようだった。「おかしなことはしなさんな」とばかりの視線を澄に注いでから、壽々子はしずしずと客間を後にする。


 釘を差すような視線を向けるのであれば、曲りなりにも殿方とのがたである園田に対するのが道理だろうと思ったが、壽々子は夫の同僚をいたく信頼しているらしかった。対して、じゃじゃ馬娘がいつ綻びを出すか、気が気でないようである。


 壽々子の鈴を転がすような笑い声が消えた客間には、途端に沈黙のとばりが落ちる。鯉がまた水を跳ねた。水音に耳を傾けてから、澄は腹に力を入れて、覚悟を決めた。やや前傾し、園田に向かって、潜めた声音で捲し立てる。


「小父様、申し訳ございません。私、あなたと結婚はできません。いえ、叔父様が嫌な訳ではないんです。まだ、家庭には入りたくないんです。叔父様ならわかってくださいますよね。私には主婦なんて無理だって!」


 別室にいるだろう母の耳に届かぬよう、小さな声量だったものの、気迫は伝わったのだろう。園田は束の間呆気に取られて口を半開きにすらしていたが、やがて澄が前傾姿勢を解いて、尻が踵に落ち着いた頃になって、予想外の笑みを浮かべた。


「良かった。澄ちゃんは変わらないねえ」


 言葉の意図が掴めず、思わず眉間に皺が寄る。園田は澄の眉根をおもしろそうに眺めて、さらに笑みを深めた。それから、耳を疑うような言葉が飛び出す。


「女学校に通うようになって、お嬢様文化に染まってしまったかと思ったよ。壽々子さんはそう仕向けるのだろうけど、僕は昔のままの澄ちゃんが好きだな。あ、誤解しないでくれ。この縁談は、偽装だから」

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