洋燈と障子
Ψ
夕餉の前までは、弟のことを告げなかった
もちろん、これからは可能な限り全てを共有して欲しい。出来ることなら故郷の里にも行ってみたい。だがそれを主張することは、義真の心の傷のようなものを開くことに繋がる危険も孕む。
物思いに耽りながら、寝室に戻る。
「義真さん」
改まった様子に、義真は顔を上げる。きぬの表情を束の間観察し、書物を閉じて身体を起こす。きぬの前に胡坐をかいて腰を下ろした。
「
義真の眉根に皺が寄る。そんな訳ないだろう、と顔を顰める不器用が愛おしい。
「そんな顔しないで。義真さんの家族と会えて、同じ家で暮らせて嬉しいの」
「そうか? 洗濯物が増える、家が汚れる、食費が
「もう、そんな意地悪言わないで」
きぬは笑って腕を伸ばす。意図を察して、抱き寄せられる。温かな胸に頬を寄せて息を吸い込んだ。義真の匂いと高めの体温に包まれて、安らぎを覚える。
「私は何があってもあなたの味方だから」
きっと、宗克さんやご両親もそうだよと、心の中で呟く。それはただの推測だし、もし真実だったとしても、きぬは口にする立場にない。それでも、きぬの気持ちは伝わったのだろう。背中に回された手が背筋を撫でる。
「きぬ」
耳元で、義真は囁く。
「俺の故郷に行こう、一緒に。すぐには難しいが、長期休暇の折にでも」
予想外の言葉に、きぬは顔を上げる。洋燈の陰になり、表情はさほど読めない。言葉が返らないことに気を揉んだのか、義真が身じろぎをする。慌てて、きぬは頷いた。
「うん。……でも、いいの?」
「いい、とは」
「だって」
義真はきぬを家族と会わせたくないのだと思っていた。その言葉を吞み込んで、きぬは微笑む。
「なんでもない。すごく嬉しい」
義真の翼が安堵したように動いたのが、触れた感覚でわかる。微かな微笑みが返ってきたのを見届けてから、きぬはもう一度胸に身を寄せた。その頬を優しく手のひらで包まれ、気づけば唇が重なっていた。歯列をなぞるような動きに、吐息が漏れる。嫌、ではなかったけれど、もっと聞きたいことがあった。きぬは義真の胸を軽く手で押して、身体を離す。
「待って。今日はだめ。だって」
義真は首を傾ける。
「だって、今日は講義の初日でしょう? お仕事の話、聞けてない」
「それは、後で聞いてくれ」
「だめだめ。夜更かしは苦手でしょう」
洋燈の微かな光の中で、義真の顔がやや不満そうに顰められたのが分かったが、きぬは敢えて隣に座り直した。肩に頭を寄せれば、背後から回された手が髪を撫でる。
髪を梳く指先が、不意に何かを思い出したかのように止まり、洋燈の灯りを落とした。夜目が利かない天狗らしからぬ行動に、きぬは瞬きをして暗がりの中に浮かぶ義真の顔を見上げた。
「見える?」
「見えない。だが会話には問題ない」
間違えて消してしまったのかと思い、洋燈を灯すために伸ばしたきぬの指は、手探りの動作で封じ込められる。義真は意味合いの掴めないことを言った。
「洋燈と障子は、良くないから」
「何が?」
答えは返って来なかった。代わりに熱い翼に身体を包まれた。
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