兄弟と夕餉
きぬの号令で茶の間に移動する。箱膳の上には、浅利ご飯に豆腐の味噌汁と根菜の漬物、残り物の菜の花のお浸しと塩鮭が並ぶ。鮭は明日の朝に食べようと思っていたのだが、急な来客ゆえ、数を揃えるために献立を変更した。
「先ほどは失礼しました、義姉さん」
鮭を箸で切り分けながら、意外なほどの殊勝さで
「実は今春から、帝都大学に通えることになったんです。それで下宿先を探していたんですが、なかなか見つからなくて。父に相談をしたら、ちょうど兄貴が帝都に越したって聞いたんで、下宿先が見つかるまで泊めてもらおうと訪ねて来たんです」
そうだったのか、と頷きかけて、違和感を覚える。兄の転居を父から伝え聞くものだろうか。そもそも、「父に相談をしたら」というのもやや他人行儀な語り口だった。きぬの怪訝そうな表情に気づいたらしい義真が、浅利ご飯を嚥下して補足した。
「宗克は母の弟、つまり叔父の家で暮らしている。昔から母の身体が弱くてな」
「そうなの。お義母様のご体調は」
「母は……」
「元気に過ごしてますよ。なんとかね」
言葉を引き取ったのは、宗克だった。言葉尻からは、実家に寄り付かない兄への不信が滲み出ているようにも思える。義真は黙って味噌汁を飲んだ。
義真の家族のことを聞くのは、新鮮な気分だ。彼はきぬと出会ってから一度も実家に帰っていないらしかった。そしておそらく、その前もずっと帰っていない。六年前、というのは義真の最初の妻が亡くなった時期だったはずなので、それ以降、家族との付き合いがないということだろうか。
義真は自らのことをあまり語らない。それが少し寂しくもあるが、きぬとて己の過去を語らない。いや、正確には語るべき過去がない。義真なりの気遣いで過去の話を避けてくれたのかもしれないと思いつつも、弟がいることくらいは言ってくれても良いのにと拗ねる気持ちもある。
きぬは改めて宗克を観察する。きぬよりは若いだろうが、年の頃はそう変わらない。帝都大学に進学、ということは、故郷でも利発であると話題だったのだろう。義真は天狗の集まる都市にある大学を出ていたはずだが、この兄弟は共に秀才だということか。それに、実家は金銭的にも比較的裕福な家庭であるはず。
それにしても帝都大学とは。奇しくも義真が非常勤講師として勤める学府だ。兄弟揃って妙な縁もあるものだ。と、そこまで考えてきぬは首を傾ける。帝都大学の新学期は本日からではなかったか。だとすれば、まさにちょうど今日、故郷から帝都に出て来たという訳ではないだろう。
「宗克さん、昨日はどちらに滞在していたの」
宗克は束の間箸を止めてから、すぐに箸先で
「昨日はちょっと」
「ちょっと?」
「いや、お宅を訪ねはしたんですが、別の家かと思ってしまって。ほら、兄貴が結婚したこと知らなかったから」
つまり、きぬの姿を見て、別の
「じゃあ昨日は野宿?」
「いや、まあ、そんな感じ」
今朝には全て溶けていたが、昨日は竹垣の上に残雪があったことを思い出す。春とはいえ花冷えの季節。道端で夜を越すだなんて、想像するだけで寒気がしそうだ。
「ごめんなさい、気を遣わせてしまって」
「いえ、俺が勝手に。というより悪いのは兄貴だから」
「きぬのことは手紙に書いた」
「父さんと母さん宛てだろ。俺にも手紙出せよ」
「天狗の兄など」
言いかけて、義真は口を
「……お前は俺の手紙など喜ばないだろう」
「勝手に決めつけるなよ」
もはや呆れたような口調で言い、宗克も米粒を完食する。ご馳走様でした、とそっくりな所作で手を合わせる兄弟を見て、きぬは思う。「天狗の兄など」。きっとその先に呑み込んだ言葉はもっと違う物だったのだろう。
人間に育てられた天狗。そしてその血の繋がらない弟。家族なのだから仲睦まじくあってほしい。だがそれは、彼らの問題であり、きぬが深く干渉すべきことではない。幾らか打ち解けた空気で夕餉は終わる。
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