万年筆、どこ?
まるで言葉を忘れたかのようなきぬの様子を怪訝に思ったのは、義真だけではなかったようだ。客間に流れる空気の冷たさを察した澄が、団子の残りを口に放り込み、ほとんど飲み込むようにしてから咳払いする。
「
「あ、うん。えっと、義真さん、澄さんをお見送りしよう……」
「いいえ、お気遣いなさらず」
澄はきぬと義真の横を頭を低くしつつ通り抜け、廊下に出てから礼儀正しく一礼した。いつもであれば、澄が何と言おうと見送ったのだが、この時のきぬは大いに混乱していたので、足は動かなかった。
頭の中で、言葉の奔流が渦巻く。まさか、ばれてしまうだなんて。夫婦と言えども、礼儀は必要だ。あからさまに隠してあった小さな木箱。秘密を抱えた物だと気づきつつ、勝手に開けてしまったのは、良心が痛む。いや、しかし。断じて内容は見ていない。きぬは、のぞき太郎ではないのだから。
「あのね、義真さん」
自分でもどんな言い訳を並べようとしたのか、わからないほどの混乱。義真は眉根を寄せて、少し首を傾けた。その仕草が、きぬを責め立てているかのようにも見えて、不意に頭が冷えた。
確かに、勝手に見たのは、きぬが悪い。けれども元はと言えば、前妻の実家からの手紙を隠し、後生大事に箱に入れておいた義真だって、誠実さに欠けるのではないだろうか。あの手紙の中身は知らないけれど。
「ごめんなさい!」
頭の中で組み立てるよりも前に、言葉が口を突いて出た。
「でも、義真さんだって酷い。どうして何も言ってくれないの。隠し事ばかりで寂しいよ。宗克さんのことだって実家の御両親のことだって。あの手紙のことももちろん」
義真は微かに眉を上げただけで、答えない。きぬは目の
「手紙?」
あまりにも
「書斎、『黎明』を探すために入ったよ。でもあれを見たのはわざとじゃないの。あんなところに隠してあったら、誰だって気になっちゃうでしょう」
「隠す?」
「誤魔化さないでよ! 義真さんの馬鹿!」
思わず腰を上げて声を荒げるのだが、当の義真はひとしきり理解が及ばぬ顔をしてから、やっと何かが繋がったのだろう、不意に
「手紙……。木箱に入れていたやつか。見たのか」
答えないきぬ。義真はただ沈黙して、袖の下で組んでいた腕を摩った。寒いのだろうか。
「俺が言いたかったのは」
気が動転していたため気づかなかったのだが、彼の手には古びた
「万年筆がこれしかなかった。もう一本、どこへ行ったか知らないか」
きぬの涙は急速に乾く。怒りに上気した頬が、一転して氷のように冷たくなるのを感じた。血の気が引く、と言うのはこういうことだろう。身を
義真はきぬの顔を見つめながら、いつもの通り回答を待ち、「きぬ?」と呼びかける。
きぬは顔面蒼白になり、踵に尻を戻して俯いた。義真の顔を直視することができない。畳の井草を視線でなぞり、藍色の縁に視線を固定して、しばらく動くことができなかった。
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