勝色の羽根、ふわりふわり
Ψ
後日、宗克が回想したことによれば、夕餉の時間は、まさに地獄の様相を呈していたという。
あの後、義真は疑惑の手紙について、詳細に語った。先日、
帰省には、きぬもついて行く予定であった。しかしそんな事情があるのなら、邪魔をするのも気が引ける。きぬは此度の同行を断った。すると義真は何とも呆気なく、「そうか」と答えたのである。
きぬが、どれほどこの年末の訪問を心待ちにしていたのか、知らぬとは言わせない。きぬには記憶がない。家族と言えば、義真とその親族だけである。宗克や、義真の養父母と接することでやっと、己の居場所を実感することができるような気がしていた。そんな事情を抜きにしても、夫のことを良く知りたいと思うのは、当然のことではないだろうか。
それなのに義真は、こんな年の瀬まで手紙のことを告げず、後回しにしてきたのだ。きぬが榊原家からの手紙を発見しなかったら、いつ話してくれるつもりだったのだろう。人との関わりが丸っきり苦手な義真のこと。下手をすれば里へ向かう電車の中や、もっと悪くすれば実家に到着してから説明を始めたのかもしれない。
食後、逃げるように部屋に戻った宗克。義真はいつも通りの寡黙さで、そそくさと風呂に入ったようだ。きぬは食卓を片付けた後、障子の隙間から寝室を覗き、義真が戻っていることを確認してから、自身も風呂に入る。
湯に浸かれば、冷え切った手足に血が戻り、ついでにささくれ立った心も幾らかは温まる。手のひらで湯を
なんとも幼い
「……謝ろう」
ぽつりとつぶやいて、湯から上がる。どう考えても義真が悪いのだけれど、あんな言い方をしたきぬにも、非があるような気がしたのだ。
薄紅に上気した肌から、白い湯気がぼんやりと上がる。布で拭わなくとも、水滴はほとんど蒸発するのでないか、と思うほどだ。きぬは手早く寝衣を纏い、薄暗い廊下の床板を軋ませながら、寝室へと戻る。
「義真さん、あのね」
障子を薄く開いて囁き、視界に入った光景に閉口する。普段なら
けれども今日は、黄色い光も、闇に溶けて揺れる
せっかく折れて謝罪をしようとしたのに、義真の態度を目にしてしまえば、収めたはずの怒りが腹の奥底で再燃する。もう、頭に来た。
きぬは意図して足音を立てながら部屋に入り、ぴったりと隙間なく並んだ二組の布団のうち、空の片方をひっつかんで引きずった。そのままずるずると部屋の隅に持って行き、義真に背を向けるような恰好で、壁に顔を向けて横になる。部屋の真ん中に義真、壁際にきぬが眠る構図である。
鼻息荒く掛け布団に包まるきぬ。目を閉じても苛立ちからか、睡魔は一向に訪れない。仕方なく瞼を上げて、砂壁のざらつきを睨むような目で眺める。小さな
そのまま何となしに視線を下に向け、部屋の角の吹き溜まりに黒い物を見つける。虫かと思い息を吞んだのだが、杞憂である。ほわほわと柔らかいそれは、天狗の羽根。抜け毛ならぬ抜け羽根である。
掃除をしようか、と思ったのだが、義真のせいでこの暖かい布団から出るのも、腹立たしい。きぬは羽根に息を吹きかける。するとそれは簡単に宙を舞い、ふわりふわりとどこかへ漂って、視界から消えた。とりあえず目に入らなくなれば、きぬは満足である。
近頃、義真の羽根が良く抜ける理由は、人間であるきぬには良く分からぬのだが、この際何でも良い。部屋の真ん中に陣取り、
「禿げちゃえ」
思わず飛び出した声が、思いの外反響する。壁に向けて言葉を発したので、跳ね返ったのだろう。さすがに酷い物言いだと思い、すぐに口を閉じたのだが。
背後から、しゅる、と衣擦れの音がした。義真が身じろぎしたようだ。なんだ、寝たふりだったのか、と思えばさらに怒りの炎は燃え盛り、先ほどの発言を撤回する気にもならなかった。
前編 終
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