焼き鳥と烏賊と飴細工

 想定よりも太陽が傾いた頃になり、きぬと宗克は戻ってきた。


「ぐるっと回ったらね、海が見えたんだよ」

「稲穂の田んぼみたいに、黄金色に光ってたんだ!」


 きぬが目を輝かせているのは、今朝から何も変わらない。意外だったのは、宗克の表情も大分明るくなっていたことだ。


 先ほどまで唱えていた妖術使いじみた呪文は引っ込み、いかに眺望が素晴らしかったかと捲し立てている。


 もう成人して数年経っているはずなのだが、時折宗克は、幼子のような純朴さを見せることがある。歳が十以上離れているからそう思うのだろうか。それとも宗克は同年代の人間と比較しても、幼いのだろうか。判断を下すには、義真の対人経験は少なすぎた。


 五人は結局、ひたすら軋んだ叫びを上げる昇降機で階下まで降り、縁日の露店が並ぶ区域に歩を進めた。屋台はちらほらと姿を見せ、天狗や人間が集まり始めている。


 赤いのぼりに記された「焼き鳥」が目に入り、素早く視線を逸らす。幼少の頃、近所の人間一家が鴨を絞めているのを目にしたことがある。手慣れた動作で羽毛がむしられるのを見てしまい、己の翼が傷むような錯覚を覚えたものだ。


 天狗は鳥類ではないけれど、その身に背負う勝色かついろの翼はからすのそれと酷似している。鳥肉を食したとして、倫理上も健康上も問題はないし、実際鳥肉が好物だという天狗に会ったこともある。


 それでも義真は焼き鳥を目にすると、あの日の鴨が脳裏に浮かんでしまう。まさか口にしようなどという気にはならなかった。千賀もこちらの派閥に属すらしく、「趣味悪い店だねえ」と悪態を吐いていた。


 焼き鳥の文字から逃げるように顔の向きを変えたところ、醬油の焦げるような香りが鼻腔をくすぐった。何の食材があぶられているのだろうか、嗅いだことのない匂いだ。


 出どころを探し、それが烏賊いかの一夜干しとやらを焼いている香りだと知る。突起に覆われた細い脚が、熱の影響か好き勝手な方向へ踊っている。海の幸はどうも見た目が奇怪である。


 そういえば以前、大迫家からのお裾分けで浅利アサリを大量にもらった晩は、何の冗談かというほどに、浅利ずくしの献立だった。あの小さな貝に微かな哀れみを覚えるほどに。


 しかし、山暮らしでは食すことがほとんどなかった海の幸に舌つづみを打ち、「海のお魚買って来るね」と笑ったきぬを見れば、あの山を下りてよかったと心底思うのだ。


 義真は静かでさえあれば、どこで暮らそうとさほど気にならない。だが、きぬはきっと違う。澄や宗克と交流をし、きぬは一層明るくなったようだった。人間は群れで生きる動物。その言葉が、すとんと腹落ちする。


「きぬ」


 気づけば呼びかけていた。きぬは脚を止めて、「どうしたの」と顔を上げる。


 人間は他者から排斥されてしまえば、きっと心身を蝕まれてしまうのだろう。ここにきて、きぬを里に連れて行くことを躊躇している己に気づいた。智絵のことをしっかり話し、それからもう一度、里に行くかを問うてみる必要がある。


 だが、それはこの場所で伝えるには何とも場違いだ。突然歩みを止めた二人に、通行人は迷惑そうに眉を寄せて視線を寄越す。言葉が続かない義真の様子に何か思うところがあったのか、きぬが眉を下げる。それから何かを言おうと口を開く。


「ぎし……」


 その声は、突然上がった歓声に掻き消された。喧騒に視線を向ける。声の中心となった屋台には人だかりができて、店主が白い物を仕切りに練っていた。飴細工あめざいく屋だ。


 いつかのように、きぬは背伸びをして、黒山の人だかりの向こう側を覗こうと奮闘している。見守っていると、やがてその顔には、頬でも膨らまし始めそうなほどの大きな失望が浮かぶ。きぬは義真の袖を引いた。


「もっと空いている場所に行こう」


 もういいのだろうか。目で問えば、きぬは首を振る。


「いいの、見えないから……」


 言いつつも後ろ髪を引かれるような、赤茶を帯びた瞳。それを軽く覗き込んでから、義真はきぬの手を引いた。

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