止まらぬ啄木鳥、黒い影

 屋台の角に、辛うじて一人分の空間をねじ開けて、きぬを押し込む。されるがまま、驚いた様子でまばたきをしていた彼女は、義真の意図を察してくすぐったそうに微笑んだ。背後に立つ義真の胸に、きぬは背中で軽く寄りかかる。温もりが愛おしい。


 白い晒し飴がこねくり回される。案外無骨な印象の男の指先で練り上げられたのは、金魚だった。


 筆先に浸した食紅で軽く色を付け、歓声を上げて手を伸ばした天狗の少年にそれを渡す。「よかったな」と声を掛け、少年の背を押したのは父親だろうか。その背には翼がない。親子の姿に、人間の父母に育ててもらった幼少期を重ね見た。なぜだろう、今日は情けないほど、感傷的だ。


 そして、その感傷を良くも悪くも打ち砕く老女がいる。


「どこ行ったかと思ったら、また飴細工!」


 振り返るまでもない。千賀だ。


「ほんと好きだね、これ。そういえば宗克知っているかい。あんたの兄は飴細工で求婚した男なんだよ」


 かしましい声に、周囲の視線が集まる。きぬがやや俯き、頬を朱に染めている。義真は仏頂面で、きぬを連れて屋台から離れた。


「小母さん」


 義真の低い抗議の声にも、千賀は止まらない。


「いい歳した大人が何を持って来たかと思ったらね、まさかお菓子だよ」

「それは……何とも兄と義姉らしいですね」


 答える宗克は周囲に気を遣いながら、小声で言うのだが。初めて聞いた馴れ初め話に、興味自体はあるようだ。


「その場に千賀さんと俊慶さんもいたんですか」

「そうだよ。なんたって現場は」

「小母さん」


 もう一度呼びかけてみれば、千賀はやっとくちばしを閉じた。


 何事か、と注目を浴びてしまい、居づらくなってそそくさと川辺に移動する。まだ屋台は出揃わない時刻。客の顔ぶれが変わったら、また行ってみれば良い。


 宗克と老天狗夫妻は、未だ飴細工の話をしているらしい。隠すことではないので宗克に告げるのは良いのだが。


 別に飴細工で求婚をした訳ではなく、あれはただの土産だった。それでもきぬは義真の耳に顔を寄せ、未だ紅潮の余韻が残る頬のまま、囁くのだ。


「ねえねえ。兎の飴細工、また買ってくれる?」


 義真は頬を緩めて、ああ、と頷く。きぬは例のごとく義真の肩周り、翼が影を落とす辺りを眺めた。それから満足そうに、そしてやや思わせぶりに笑みを深めたのであった。


Ψ


 さて、やかましい一行が去った屋台の並び。ほとんどの者らが、天狗老女の大声のことなど忘れた頃。二人の若者が、川辺に並ぶ柳の木を見るともなしに眺めていた。


「さっきの、やっぱり……」

「ああ、おそらく。だがしかし」


 見るからに後ろ暗いことがありそうな鋭い眼差しが注がれるのは、よくよく観察してみれば、柳の木ではない。水辺で何やら話込んでいる様子の、天狗三人と人間二人。飴細工がどうの、と騒ぎ立てていた田舎者然とした集団である。


 先程屋台を練り歩いていた折にすれ違い、あまりの騒がしさに苛立ち、一つ睨みつけてやろうと目を遣った際、若者らは何かに気づいたらしいのだ。


「確証はない。念のため報告をしておこう。だが」


 二人組のうち、兄貴分らしい方の男が、気崩した着物の袖の下で腕を組み、柳の辺りに不穏な視線を向けた。


「まさか、な」


 呟きは、飴細工屋を囲む歓声と、ちんどん屋のかき鳴らす太鼓の音、そして遠い路面電車の警笛に溶け込んで、結局誰の耳にも届かなかった。


第四話 終

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