大根をぶった切るかの如く

 きぬが部屋に戻った頃には、澄はすでにめぼしいページに目を通し終わっていたようだ。手持無沙汰てもちぶさたに紙の端を指でたわませて、何やらぼんやりとしている。


 指先の陰、微かに紙面に見えたのは、正月らしい挿絵。門松とお雑煮とおせちである。どうやら、地域ごとのお雑煮の味に関する内容が記されているらしい。すこぶる興味をそそられる。いやいや、それは後で読もう、と心の中で呟いて、きぬは湯呑に茶を注ぎながら、問いかけた。


「最終回、どうだった」

「あ、はい。面白かった……ですけど」

「けど?」


 澄はやや口ごもってから、声を落として言った。


「賛否両論、あるかもしれません」


 作者の自宅である。本人の姿は見ていないとは言え、義真の所作は静かなので、いるのかいないのか判然としないことがある。澄が気遣わし気にこちらの顔を覗き込んだので、きぬは微笑んで首を振った。


「いないから大丈夫だよ。賛否両論ってどうして?」

「一言で言えば、結論出ず、です」

「結論」


 呟いて、前回までのあらすじを反芻はんすうする。


 そもそもの物語は、天狗の女性ハナが、不慮の事故で亡くなってしまうという衝撃的な場面から始まる。ハナは気立ての良い娘で、村の人気者である。翌月には好いた男との祝言しゅうげんを控え、幸福の絶頂にあった。そんなハナが事故の後で目覚めた時、まず感じたのはちくちくと身体を刺す藁の感触。目が上手く開けず、耳元では雛鳥の声がやかましく響く。そう。ハナは、からすに生まれ変わったのである。


 そのまま鳥として成長するハナ。天狗であった頃の記憶はおぼろになり、すっかり忘れかけていたのだが。たまたま通りかかった墓地で、己の墓を見つけて家族に出会い、奇跡が起きる。ハナは、天狗であった頃の記憶を取り戻すのだ。


 月日が過ぎ、元天狗鴉と、元家族、元友人らの心温まる交流が続く。人々はまさかこの懐っこい鴉がハナだとは思わないのだが、両者の間には確かな情が生まれていく。しかし、鴉という生き物は一般に、畑を荒らすのだ。農村の大敵である。ハナは、彼女を快く思わない住民らの手によって、村を追い出されてしまう。


 しばらくして、元許嫁の弟が急病に罹ったことを聞きつけ、隣町から医者を呼び寄せるために、再度村へと向かうハナ。その際に、許嫁であった男に正体を勘付かれてしまったのである。


 男はハナの死を乗り越え、別の女性と祝言を挙げる予定だったのだが。ハナが側にいると知った今、果たしてどのような決断をするのか……。


 と、ここまでが前回のお話であった。元々『還る鳥』は、鴉と人の日常を描く温かな物語である。それが、ハナが村を追い出される辺りから、ここ一年ほどで急展開を見せており、これがまた、人気に拍車をかけていた。その集大成である最終話。結論出ず、とはつまり不完全燃焼か。


「きぬさんも読んでみてください。私は、想像を掻き立てるこういう最終話も好きですけど……。いえ、投書で佳作の私なんかが言える立場にはないですよね」

「そんなことないよ。私なんて、筆を持つだけで気分が滅入っちゃうくらいだし」


 言って、雑誌を受け取る。最終回は見開き一頁。相変らずおもむきのある鴉の挿絵が、つぶらな瞳で読者を眺めている。文面に目を通す。義真の綴る文字は、寡黙な彼らしく短文である。しかしその短い中に、情景や心情が凝縮されていて、目の前に光景が映し出されるように思えるのだから不思議だ。ただし今回について言えば、それが仇となっているのかもしれない。


 美しい景色と、心揺さぶる天狗と人間の感情の機微が、まるで大根を真ん中から包丁で叩き切ったかのように途切れている。そんな印象だった。


 綴られた最後の一段落。祝言の朝、朝靄の中、男は家を出る。「彼女のところへ行こう」、それが最後の言葉だった。彼女とは誰なのか。妻となる女性なのか、それとも深く愛し合ってきたハナなのか。はたまた、話の途中に出て来た全く別の者のことなのか。想像にお任せします、と言われているかのようだった。


 これがただ、顔も見たことのない作家が書いたものならば、それほど深くは思い悩まなかっただろう。しかし、これを綴ったのは義真だ。きぬは思い至る。『還る鳥』をこんな尻切れ蜻蛉とんぼにしてしまったのは、きぬだろう。


 定石じょうせき通り、万人受けする展開を繰り広げるのなら、男は鴉となったハナのところへ行くだろう。もしくは、死を乗り越える感涙ものの物語とするのなら、ハナを忘れ、彼は人としての幸せに手を伸ばすだろう。けれどもそのどちらでもない。義真の心を文字に透かし見れば、智絵ときぬの間で揺れ動く彼の心中が浮かび上がるようだった。


「あの、きぬさん?」


 澄に顔を覗き込まれて、自分が紙面に目を落としたまま石になっていたことに気づく。慌てて平静を取り繕い、きぬは意識して口の端を上げる。


「ぼうっとしてしまってごめんね。うん、澄さんが言う通り、ちょっと物足りないかも。なんだろう。次が最終回、みたいな感じ」

「やっぱりそう思いますよね。続きが気になるんです。奄天堂さんも意図があってこういう展開にしたんでしょうけど……。きぬさん、機会があったら先生に、続き書いてくださいってお願いしてみてください」


 きぬは曖昧に微笑む。見た目にたがわず頑固なたちの義真。そうでなくとも此度の件は、繊細な問題なのだろう。きぬが助言をしたところで、義真が筆を執るとは思えない。けれども澄は、その辺りの奄天堂家の事情はもちろん知らない。他人様に伝えるような内容でもないのだから。


 聡明な澄は、きぬの様子から何かを感じ取ったようだったのだが、彼女が口を開く前に、玄関で戸を引く音がして、質問の機会は失われた。

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