どうして破談にならないのだろうか

Ψ


 見合いは、前回園田そのだを迎えたのと同じ部屋で行われた。掛け軸は相変わらず堂々たる筆跡であり、藍色の水盤の上には河津桜かわづざくらが生けてある。生け花は澄の作品ではなく、壽々子すずこの手によるものだ。こんな状況では澄は、花を生ける気分にはなれなかった。


 室内には三人。澄と、矢渡やわたり青年と、仲人なこうどの中年男性である。初対面の矢渡は、切れ長の目をしたさっぱりとした印象の青年であった。


 悪評高い割には整った容貌で、よく手入れされた爪や適度な長さに切り揃えられた頭髪からは、清潔感が滲み出る。園田と並べて「どちらが良いでしょう」と十人に訊ねてみれば、きっと九人は矢渡と言うだろう。我ながら失礼なことを考えた澄であるが、彼が一度口を開けば、幻想は地に落ちる。


「ご趣味は?」

「お茶とお花。あとは洋琴ピアノを少々」


 定型文を返してやる。一方、矢渡の形の良い唇からは定石じょうせきを大いに外れた言葉が飛び出る。


「なるほど、醜さを補うためには、多才であらねばなりませんからね」

「みにく……」


 初対面とは思えぬあまりの暴言に、澄は呆気にとられる。矢渡は、遠慮も容赦もない。


「異国人というのは奇妙な容姿をしていますからね。澄さんもお可哀そうに。ご祖母様が異国の方だとか。うん、見れば見るほど残念ですね、その瞳。なんでしょう。濁った堀の古水に浮かぶ藻のようで。ああ、ですがご安心を。私があなたを妻に迎えてあげますから」


 絶句を超越する。目の前の男の妙に爽やかな笑顔も、心地の良い低さの声も、全てが偽物なのではないかと思ったほどだ。澄の現実逃避も空しく、矢渡は何の脈絡みゃくらくもなく続けた。


「そういえばこの近くに天狗、住んでいますよね。昨年、変質者逮捕のお手柄で新聞に載っていました」

「え? ええ……」

「お可哀そうに」

「何がですか」

「ご近所に天狗など、お嫌でしょう。いつ頃からこの町に住んでいるんですか?」

「誰が」

「天狗ですよ。ほら、通り向こうの」

「確か一年くらい前ですけど、それが何か」


 矢渡は顎に手を当てて何やら思案する。困惑した澄は仲人に目を向けるが、なんと彼は半分眠っているらしかった。狸寝入りなのか本気で夢の世界に落ちているのか判然としないが、あまりに無責任ではなかろうか。仲人は父の職場のお偉いさんだと聞いていた。そうでなければ張り倒していたかもしれない。


「あの家、何人家族ですか?」


 澄よりもむしろ奄天堂えんてんどう夫妻のことが気になっているらしい矢渡。澄はいよいよ怪訝な表情も隠さずに、顔をしかめた。


「人様のお家のことを、良く知らない人にお話しする訳にはいきません」


 すると矢渡は、大仰おおぎょうなほどに目を見開いてから、心底悲しそうに眉を下げる。この男、大根役者である。


「良く知らないだなんて寂しいことを。将来夫婦めおとになる仲でしょう」

「誰がそんな約束しましたか!」 


 思わず声が高くなり、澄は慌てて口を閉ざす。壽々子の控える部屋まで聞こえてしまったかもしれない。失態だ。後で何を言われるやら、わかったものではない。澄は軽く咳払いをしてから、半ば浮いていた腰を戻し、言い放つ。


「とにかく。真面目にお話するおつもりがないのなら、もうお帰りになっては?」

「大迫のお嬢様は案外芯がお強いみたいですね」


 矢渡は柔らかく微笑みながら、皮肉たっぷり

の言葉を放つ。けれどもその抑揚には、咎め立てるような響きはない。


 果たして嫌味を言われたのか、それとも意図せずそう聞えてしまっただけなのかさえ、わからない。この男は性根が腐りきっているようである。それゆえきっと、口を開けば彼の意志によらず、全ての発言が人をあざけるような調子になるのだろうと、一人納得することにした。


 相手が取るに足らない男であるならば、こちらとて、遠慮をしてやる義理もないのだ。澄は挑戦的な眼差しで、矢渡を睨む。


「ええ、私は気が強い女だと良く言われます。正直、家庭に入るだなんてまっぴらごめんです。生涯独身でも気にしません。自分の力で生きていきます。ですから無理して私をもらってくださらなくても結構です。もうおわかりでしょう。この縁談はなかったことに」


 啖呵たんかを切ってやった。さぞかし困惑した顔をしているだろう。痛快だ。一人すっきりとした気分の澄は、矢渡が気分を害して部屋を飛び出すさまを想像した。


 いつ出ていくのだろうかと期待しながら相手の表情を観察する。けれども予想に反し矢渡は、微笑みを崩さずに座していた。それから奴は、耳を疑うようなことを言ったのである。


「ええ、よくわかりました。またお会いしましょう、澄さん。あなたのことが気に入りました」


 私は気に食わない、と言葉が飛び出しかけた澄だったが、ふと視線をやった先で、襖が指二本分ほどの幅だけ開いているのに気付き、背筋が凍る。僅かな隙間から、こちらを覗く翠を帯びた瞳があった。壽々子である。


 いつから見ていたのだろうか。物の怪の如く怪しい所作に、我が母ながら呆れを通り越し、空恐ろしさすら感じた澄であった。

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