どうして破談にならないのだろうか
Ψ
見合いは、前回
室内には三人。澄と、
悪評高い割には整った容貌で、よく手入れされた爪や適度な長さに切り揃えられた頭髪からは、清潔感が滲み出る。園田と並べて「どちらが良いでしょう」と十人に訊ねてみれば、きっと九人は矢渡と言うだろう。我ながら失礼なことを考えた澄であるが、彼が一度口を開けば、幻想は地に落ちる。
「ご趣味は?」
「お茶とお花。あとは
定型文を返してやる。一方、矢渡の形の良い唇からは
「なるほど、醜さを補うためには、多才であらねばなりませんからね」
「みにく……」
初対面とは思えぬあまりの暴言に、澄は呆気にとられる。矢渡は、遠慮も容赦もない。
「異国人というのは奇妙な容姿をしていますからね。澄さんもお可哀そうに。ご祖母様が異国の方だとか。うん、見れば見るほど残念ですね、その瞳。なんでしょう。濁った堀の古水に浮かぶ藻のようで。ああ、ですがご安心を。私があなたを妻に迎えてあげますから」
絶句を超越する。目の前の男の妙に爽やかな笑顔も、心地の良い低さの声も、全てが偽物なのではないかと思ったほどだ。澄の現実逃避も空しく、矢渡は何の
「そういえばこの近くに天狗、住んでいますよね。昨年、変質者逮捕のお手柄で新聞に載っていました」
「え? ええ……」
「お可哀そうに」
「何がですか」
「ご近所に天狗など、お嫌でしょう。いつ頃からこの町に住んでいるんですか?」
「誰が」
「天狗ですよ。ほら、通り向こうの」
「確か一年くらい前ですけど、それが何か」
矢渡は顎に手を当てて何やら思案する。困惑した澄は仲人に目を向けるが、なんと彼は半分眠っているらしかった。狸寝入りなのか本気で夢の世界に落ちているのか判然としないが、あまりに無責任ではなかろうか。仲人は父の職場のお偉いさんだと聞いていた。そうでなければ張り倒していたかもしれない。
「あの家、何人家族ですか?」
澄よりもむしろ
「人様のお家のことを、良く知らない人にお話しする訳にはいきません」
すると矢渡は、
「良く知らないだなんて寂しいことを。将来
「誰がそんな約束しましたか!」
思わず声が高くなり、澄は慌てて口を閉ざす。壽々子の控える部屋まで聞こえてしまったかもしれない。失態だ。後で何を言われるやら、わかったものではない。澄は軽く咳払いをしてから、半ば浮いていた腰を戻し、言い放つ。
「とにかく。真面目にお話するおつもりがないのなら、もうお帰りになっては?」
「大迫のお嬢様は案外芯がお強いみたいですね」
矢渡は柔らかく微笑みながら、皮肉たっぷり
の言葉を放つ。けれどもその抑揚には、咎め立てるような響きはない。
果たして嫌味を言われたのか、それとも意図せずそう聞えてしまっただけなのかさえ、わからない。この男は性根が腐りきっているようである。それゆえきっと、口を開けば彼の意志によらず、全ての発言が人を
相手が取るに足らない男であるならば、こちらとて、遠慮をしてやる義理もないのだ。澄は挑戦的な眼差しで、矢渡を睨む。
「ええ、私は気が強い女だと良く言われます。正直、家庭に入るだなんてまっぴらごめんです。生涯独身でも気にしません。自分の力で生きていきます。ですから無理して私をもらってくださらなくても結構です。もうおわかりでしょう。この縁談はなかったことに」
いつ出ていくのだろうかと期待しながら相手の表情を観察する。けれども予想に反し矢渡は、微笑みを崩さずに座していた。それから奴は、耳を疑うようなことを言ったのである。
「ええ、よくわかりました。またお会いしましょう、澄さん。あなたのことが気に入りました」
私は気に食わない、と言葉が飛び出しかけた澄だったが、ふと視線をやった先で、襖が指二本分ほどの幅だけ開いているのに気付き、背筋が凍る。僅かな隙間から、こちらを覗く翠を帯びた瞳があった。壽々子である。
いつから見ていたのだろうか。物の怪の如く怪しい所作に、我が母ながら呆れを通り越し、空恐ろしさすら感じた澄であった。
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