鴉と菊と墓石

 この里の共同墓地は山の麓、寒菊かんぎくの自生地と桑畑の中間辺りに位置する。数年前までは、田舎らしく土葬が主流であったものの、近頃は時代の流れに則り、火葬が増えている。智絵の遺体は荼毘だびに付されたと聞いていた。そのため墓は、こじんまりとしている。


 土葬の土饅頭どまんじゅうの側に、真新しさすら感じさせる白御影石しろみかげいしの墓石。榊原家としての墓を、新たに作ったのだと聞いていた。時が来れば良三りょうぞうら夫婦も、智絵と共にここで眠るのだろう。


 道中は幾らか打ち解けた様子だった二人。けれどもいざ智絵の前に立つと、どちらからともなく口を閉ざす。おごそかな面持ちで線香をあげ、墓石を磨き、蜜柑みかんを供えた。黙り込んだまま、二人は墓石を眺め続ける。


 すん、とイチが微かにはなを啜った。まだ年若かった娘に先立たれるというのは、どういう心境なのだろう。子のない義真ではあるが、榊原の義父母が抱える苦悩の一端は、同じ人として察することができる。


 義真にとって、智絵は過去の象徴であった。それではイチにとってはどうだろう。その答えはわからぬが、きっと今でも彼らの胸の中には、智絵が住んでいるのだろうと思った。


 空気を打ち破ったのは、人ではない。不意に羽音が木々の間に響き、一羽のからすが地面に飛来した。突然の闖入者ちんにゅうしゃに視線を向けて、イチが「あら」と声を漏らす。


「見て、あの鴉。何かくわえてる」


 山里の鴉は都会のそれよりも、やや細身である。とはいえそのくちばしは黒々として太い。嘴の先に、黄色いものを挟んだ鴉は、こちらを恐れるでもなく、墓地を闊歩かっぽしている。もしかしたら単に、供え物を狙っているのかもしれない。


「寒菊を咥えているのね。まるで人みたい。お墓参りの真似事かね」


 まさか、そのようなことはないだろうと思う。墓地に菊という、いかにもな組み合わせを滑稽に思ったらしいイチが、小さく笑い声を立てた。未だ目尻に涙を溜めてはいたが、少しは気が紛れたようで、義真としても安堵する。同時に義真は、妙な錯覚を覚えていた。これは、何かの導きではないか。


 鴉の黒々とした瞳が、義真をじっと見つめている。創作の中、鴉は智絵だった。『還る鳥』のハナは、智絵のもう一つの姿なのだ。しばらく見つめ合った後、鴉が突然土を蹴り、飛翔する。義真は思わずそれを追っていた。


「あ、義真ちゃん?」

「小母さんすみません。少し寄り道をして行く」


 一方的に宣言をして、義真は走る。鴉は義真がついて来るのを理解しているようで、まるで道案内でもするかのように、のんびりとした速度で滑空していた。


 鴉が向かったのは、日当たりの良い山の斜面。墓地から見て桑畑の逆側。遠目にもぽつぽつと見える黄色が目に鮮やかな、寒菊の自生地だ。咥えていたのはここの花だろう。


 智絵は、黄色が好きだった。この自生地は暖かいので、晴れた冬の昼には智絵や他の子供らと、頻繁に日向ぼっこをした思い出の場所だ。


 義真の胸を、郷愁が締め付ける。鴉はもちろん天狗を道案内する意図などなかったようで、とうにどこかへ飛んで行ってしまった。けれども義真は花々の群れから視線を外せない。ゆっくりと思い出の中に身を沈めようとして……、脚が止まる。


 寒菊の間に途方にくれたように蹲る、小さな背中がある。それは微かに嗚咽を漏らし、小さく震えていた。義真は息を吞む。榊原の義父、良三りょうぞうだった。


 彼らにとっても、この場所はきっと、亡き娘との思い出の場所なのだろう。見てはいけないものを目にしてしまった罪悪感が湧き起こる。義真は静かにきびすを返そうとしたのだが。


 不意に鴉が一声鳴いて、良三が緩慢な動作でこちらを振り向いた。過ぎ去りし日々に思いを馳せていたのだろう、ぼんやりとした眼差しが義真を映し、驚きの色を宿す。それから、己が無様にも涙を流していたことを思い出したらしく、慌てたように顔を伏せ、不機嫌に言い放つ。


「何しに来た」


 義真は返答に窮す。鴉について来た。ただ、それだけだった。答えるべく言葉は持ち合わせていない。小さく会釈して、来た道を引き返す。その背中に、有無を言わさぬ声が突き刺さる。


「義真」


 呼び付けられて、自然に脚が止まる。肩越しに振り返り、義父の様子を窺った。良三は昔から偏屈で有名だ。義真は幼い頃から、彼が苦手であった。今や義真の方こそ偏屈天狗になったにもかかわらず。 


 良三は赤い目で義真を睨む。それから、拒絶を許さない口調で命じる。


「ここへ」


 思わず顔を顰めそうになったのだが、辛うじて持ちこたえ、義真は寒菊がまだらに咲く野原へと踏み込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る