最終話 天狗先生は甘々でとっても幸せな結婚生活を送りたいので山で美女を拾いました

あんみつよりも甘くなりませんように

「じゃあ、暴力者だというのは勘違いだったんですか」


 奄天堂えんてんどう家の客間にて。障子を開け放ち、卯月の陽光を招き入れれば、途端に春を感じる陽気である。桜の名所では満開の薄紅が咲き誇っているらしいのだが、あいにく奄天堂家の庭には柿の木しか生えていない。あの子は相変らず素っ裸である。


 今日もあんみつを咀嚼しつつ、膝元に『黎明』を置き、澄は上品に微笑んでいた。


「そういえば、暴力の話は園田の小父おじ様が言っていただけで、元の噂は『家庭内で問題がある』でしたね」


 きぬは頷いて、匙の上に寒天を乗せた。油断をすると、つるりと粒あんが滑り落ちてしまい、匙上の比率が難しい。視線を向ければ澄は、苦も無く絶妙な加減で甘味を頬張っている。いつの間にか宗克と比肩ひけんするくらいの、匙使いになっていたと見える。


「澄さん、聡一さんとの縁談の復活は」

「のぞき太郎はお断りです」

「違うよ、聡一さんはのぞき太郎じゃくて、その従兄いとこだよ」

「そうでしたっけ」


 あまり興味がないのだろうか、澄は矢渡の名を聞くと、思考を遮断してしまうようだった。きぬは苦笑しながら、粒あんを掬う。


「そういえば、楓木かえでぎ家の件はありがとう。澄さんがあの寄木よせぎ細工を持ってきてくれたから、実家の場所がわかったの。来月、落ち着いたら義真さんと行って来るね」

「いいえ、お役に立てて良かったです」


 澄が軟禁されていた頃、大迫家の女中である光江が実家から持参した、手紙道具の一式。その端に、きぬの巾着と同じ抱き楓の紋を見つけた澄は、寄木細工の製作者を探り、楓木家の場所を突き止めたのである。


 実家の家族とはまだ顔を合わせていないけれど、すでに手紙のやり取りを始めたところであった。直近のきぬの課題は、実家への訪問日程の調整である。何やら呑気な仕事だ。対する澄は卒業後、とある出版社に秘書として就職したらしい。


「澄さんは、これからどうするの?」

「そうですね。先日母に啖呵たんかを切ってくださった通り、宗克さんが私の縁談の面倒を見てくださるとのことですので、宗克さんのお知り合いが適齢期になるまでは、仕事をしながら独身を貫き通します」


 そんなことをすれば、澄がいたずらに年を重ねてしまうのでは、と思ったが、若くして家庭に入るなど、この少女には似合わない。いかにも澄らしい回答である。


「園田さんは?」

「今でも変わらず良くしてくれます。小父様はいつも過保護なんですよ。私の小説が載った先月号の『黎明』、小父様ったらどうしたと思います」

「うーん、仏壇に飾ったとか?」

「残念。小父様は独り身三男なので、仏壇は持っていないんです」


 澄は首を振ってから、なんと、と声を張った。


「何十冊も買って、同僚に配って歩いたんです。私恥ずかしくて」


 いかにも園田らしい行動である。きぬは束の間言葉を失い、澄と顔を見合わせる。それから、どちらからともなく笑い声を上げた。


「園田さん、良い人だね」

「ええ、人柄はとっても良いんです。あ、そうだ。今日はきぬさんと奄天堂さんにお願いがあって」

「私と……義真さんに?」


 澄はあんみつの竹筒を膝に置き、姿勢を正す。きぬもつられて背筋を伸ばした。


「実は私、もう一度黎明に小説を載せられそうなんです。ありがたいことに、前回の物語を評価してくれる読者さんが多かったみたいで」


 きぬは目を丸くし、腰を浮かせる。急な動作だったので、危うくあんみつをひっくり返すところであった。


「す、澄さん! それって、すごい……! 義真さんが作家さんを監禁した時の、奇跡の代筆よりも、ずっとすごいことだよ!」


 不意に書斎から、義真の大きなくしゃみが聞こえた。まさか声が高すぎて聞こえたのだろうか。いや、書斎の壁はそれほど薄くないはずだ。客間の会話がだだ漏れになるなど、そのようなことはない。……はずである。


 澄は頬を赤らめて、もじもじと手を揉んでいる。


「ありがとうございます。きぬさんたちが、私を励ましてくださったおかげです。……でも、高評価は小父様の根回しじゃないと良いんですけれど」


 雑誌を配り、読者調査で高い評価を書いてくれと言って歩いたのなら……いやいや、国民的雑誌のことである。さすがにその程度では評価は操縦されないだろう。


 きぬは気を取り直し、澄の華奢な手を握り締める。それを上下に大きく振り、続いて首を傾けた。


「じゃあ次回作はどうするの?」

「はい、実はもう詳細を決めているんです。そこで、きぬさんにお願いがありまして」


 澄は小さく咳払いをする。


「奄天堂夫妻を題材にしたいんです。あ、もちろん名前は伏せますし、物語の背景や人柄は変えて書きます。でも、人間と天狗の夫妻だなんて、素敵じゃないですか」

「それは……全然問題ないけど、私たちの物語なんて、面白くなるかな」

「大丈夫です! 間違いありません! もう題名も決めているんですよ『天狗先生は甘々でとっても幸せな結婚生活を送りたいので山で美女を拾いました』って」


 それは、何とも斬新ざんしんである。いや、そもそもあまりにも誇張され過ぎてはいないだろうか。


 指摘しようにも、やる気に満ち溢れた澄を見る限り、翻意ほんいさせるのであれば今日ではないだろうと思えた。とりあえず、題名を心配していることだけは伝えておこう。そうすれば、自身で正気に返り、新しいものを考えてくれるかもしれない。


「えっと澄さん、それはあんまり……何だろう、上手く言えないけれど」

「え、そうですか? あ、もしかして矢渡とか色々と障害もありますし、手放しで幸せとは言い切れないから? そうか。創作とはいえ、そういう切ない要素も入れておいた方が」

「あ、ううんそうじゃなくて」


 きぬの言葉は、耳に入らないらしい。眉間に皺を寄せ、やがて澄は絞り出した。


「『天狗の夫妻の二度目の結婚』、いや、転がりが悪いですよね。いっそ、『天狗先生、二度目の結婚』!」

「澄さん、ちょっと恥ずかしい……」


 騒がしい声が庭に響く。通りを行き交うご近所さんが、いったい何事かと首を傾げたかもしれない。一方の書斎では、もう一度くしゃみが響いた。


 きぬはひたすら肩をすぼめながら、澄の小説があんみつよりも甘い恋愛物になりませんように、と祈った。そんなことになれば、顔から火が出そうである。


 なにやら気合い満点で構想を語り続ける澄の顔を眺めながら、きぬはふと、物思いにふける。


 この町に来て、もう一年になる。何気ない日常だけれど、濃密な日々だった。きっと次の一年も、泣いて笑って、みんなで歳を重ねていくのだろう。


「きぬさん、聞いてますか?」

「うん。聞いていたよ。ええと、『甘々を拾いました』?」

「それはさっき却下しました!」


 少し騒々しくて、心から愛おしい。変わらぬ日々が、これからもずっと、続いていく。



天狗先生、二度目の結婚 終


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天狗先生、二度目の結婚 平本りこ @hiraruko

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