第六話 過ぎ去りし日、帰る天狗
前編
真っ白な便箋
「
月半ばの恒例行事、大迫澄の来訪である。明るい声を聞いて、きぬは火箸で
澄は先日、庭の柿の実を尋常ない量貰ってくれて、お返しに艶やかな鱗の旬の
訊ねてみれば、どうやら
それでもあの事件を機に、壽々子を始めとするご近所さんから注がれる天狗先生への眼差しは、ほんの僅かなりとも柔らかくなったようだ。きぬとしても嬉しい限りである。
このように頻繁な交流があるため、澄が奄天堂家を訪れるのは、何も月中だけではないのだが、今回は定期来訪の時期である。彼女の目的は明白だ。
「いらっしゃい、澄さん」
玄関口に迎え出る。冬の低い陽射しを受けて、澄の瞳が微かな
「毎月すみません」
「遠慮しないで。『
客間に澄を通し、自身は今月号の『月刊黎明』を取りに茶の間に向かう。朝方に宗克が読んでいたので、長火鉢の横に無造作に伏せられていたはずなのだが、『黎明』は忽然と姿を消していた。誰かが片付けたのだろう。
書籍は全て、書斎に収められている。この家で唯一開き戸がある部屋であり、義真が書き物をする時に使う仕事部屋だ。義真は講義に出かけており、在宅していないはずだが、念のため入室前に、木目が浮かぶ扉を軽く叩く。当然、返事はない。
戸を引けば、古い書物と墨と、真新しい革張りの椅子の匂いが鼻をくすぐる。扉で隙間なく密閉されているため、全ての香りが滞留しているのだろう。
書斎は義真の自室のようなものであったので、几帳面な彼は自ら頻繁に部屋を掃除しているらしい。きぬは、家中にはたきがけをする際に、この書斎も清掃のため訪れるのだが、ほとんどの場合塵一つ落ちていないのである。
整然とした室内。捜し物は
きぬは、
澄が読んだら後で目を通してみよう。ぼんやりと考え、
「あ、いけない」
慌てて腰を屈めて拾い集める。幸い、万年筆の先は綺麗に拭き取られていたし、墨入れにもしっかりと蓋がされていたので、周囲が黒く染まることはなかった。
筆の先を様々な角度から観察し、ひとかけらの破損もないことを確認してやっと、胸を撫で下ろす。壊してしまっても、義真はきぬを叱りはしないだろうけれど、これらは山で暮らしていた頃からずっと使っている仕事道具である。義真の相棒である彼らを傷つけることなど、あってはならない。
「よいしょ」
我ながら年増のような掛け声を出し、腰を上げようとしたのだが。半ば膝を伸ばして屈んだ格好をしたきぬの視界の先。洋机の足元に、小さな箱を見つけた。きぬの手のひら二つ分ほどの木箱。漆塗りがされていて、縁側からの光を
耳元に引き寄せて、軽く振ってみる。かさこそと、内容物が揺れる。蓋は跳ね上げになっており、掛け
「なんだろう。ちょっとくらい見てもいいかな……。いや、だめだよね、勝手に」
首を左右に振って、悪しき
「ちょっとだけ……」
きぬは、掛け金を弾く。収められていたのは、便箋だった。何通か入っていたようなのだが、一番上に重ねられていた、真っ白な便箋に、目が釘付けになる。そこに記された文字を視線でなぞり、きぬは己が犯した罪を理解する。「
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