黎明に載る

Ψ


「そうだきぬさん、聞いてください!」


 雑誌を手渡すなり、澄が満面の笑みで言った。


「私、『黎明』に小説の投書をしていたんですけど、先日佳作に選ばれたんです。来年、『還る鳥』が掲載されていた枠に、載せてもらえるんですって!」


 突然の吉報。きぬは目を丸くして、澄の上品な顔立ちを見つめる。何度かまばたきをしてからやっと思考が追い付いて、腰を浮かせて膝立ちになった。


「え、本当!? あの『黎明』に載るの?」


 澄が躊躇ためらいなく頷くので、思わずその華奢な手を掴み、上下に振る。自分のことのように嬉しい。きぬは、感涙すら浮かぶのを感じた。


 澄は、古風に過ぎるきぬなどとは違い、前進的で、新時代女性の見本のようだった。偽許嫁いいなずけ園田と結婚するのかはわからぬが、どう転んでもきっと、澄は家になど籠らないのだろう。


 きぬにとって、義真の妻として彼を支えることはとても幸福だったけれど、それでも時々思うのだ。陰の存在ではなく、自らが日の当たる場所に立ち、見回す世界はどんなものなのだろうかと。


「すごい。すごいよ、澄さん! すっごく素敵!」


 我ながら語彙力の欠片もない称賛。けれどもその偽りのない祝福の気持ちは伝わったようで、澄はやや頬を朱に染めて、手元の雑誌を撫でた。


「ありがとうございます。もちろん奄天堂さんみたいに連載をしたり、人気が出たり、ということにはならないでしょうけど」

「そんなの分からないよ。義真さんだって最初は、代打で小説を書いたの」


 澄は、可愛らしい声で笑った。


「担当していた連載作家さんが出奔したんですよね。あの噂、本当だったんですか」


 義真は元々、出版社勤めの企業人であった。『黎明』には及ばぬが、一定の発行部数を誇っていた、とある月刊誌に連載中だった戦記物小説作家が、「続きが書けぬ」と騒ぎ立て、失踪を繰り返すようになったことがある。困り果てた義真が取った策はあろうことか、作家を家に閉じ込める、だったらしい。


 我が夫ながら、突拍子もないことをやってしまったなというのが感想である。結局二人の間には軋轢あつれきが生じ、作家は窓から逃げてそのまま姿をくらませた。相当こたえたのか、未だに行方知らずである。


 当然、編集部は騒然とした。当時から月刊誌の読者は、連載小説を目的に購読する傾向にあったのだ。


 人気作家の出奔は、経営の危機にも繋がりかねない。責任を取れと命じられた義真。上司としては、何とかして作家を探し出し、続きを書かせろという意味合いでの指示だったのだが、なんと義真は、自ら続きを執筆してしまったのだ。それが意外にも上出来だったので、義真はそのまま連載を引き継ぐことになり、作家としての頭角を現したのであった。


「あの人ね、時々誰もがびっくりするようなことをするの」

「ええ、園田の小父おじ様もそう言っていました」

「園田さんが?」


 園田に何かしたのだろうか。首を傾けたきぬに、澄はなぜか慌てて両手を振った。


「あ、いえ。何でもないです。お気になさらず。……さて、最終回はどうなるのかしら」


 はぐらかすような様子に不審な印象は拭えないけれど、間髪入れず、澄の白い指先がページを捲り出すので、問い詰めるのもはばかられ、きぬは腰を上げた。


「じゃあ、お茶を淹れて来るね。ごゆっくりどうぞ」


 部屋を出る直前、澄の方へと視線を遣る。何気なく目を向けただけだったが、視界の端、座布団の側に黒い物を捉える。紛れもなく天狗の羽根である。お客様を迎えるために掃除はしたはずなのに、義真の抜け羽根が転がっているだなんて恥ずかしい。当の澄は全く気付いていないようだから、きぬはあえて触れないことにした。


 しかしあの羽根、いつから落ちていただろうか。ぼんやりと思い返してみれば、澄が両手を振った時にふわりと舞ったように見えたのだが。……いや、そんなはずはない。人間一家である大迫家のこと。澄の袖口に天狗の羽根が紛れ込むなど、あるはずがないのだ。

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