照準を合わせろ

 園田の指が指し示すのは、玄関や台所がある方角である。怪人は、庭近くに敵が複数いることを知り、正攻法で玄関か勝手口しか逃げ道がないとでも思ったのだろうか。


 この家から逃がしてはいけない。犯行慣れしている怪人のことである。外に出てしまえば、宵闇よいやみに紛れて姿をくらませることなど、造作ないことだろう。


「兄貴、挟み撃ちだ!」


 宗克は濡れ縁に出てひさしを振り仰ぎ、屋根瓦の上に座っているであろう義真に向かって叫んだ。遥か上方のこと、義真がどのような行動をしているのかは分からぬが、さすがに作戦を告げる声は聞こえただろう。もちろん怪人のぞき太郎の耳にも同様に。


「宗克君、逃げた!」

「ええ、どこどこ」

「今度は庭の方に!」


 かどから不意に駆け戻って来る園田。危うく正面衝突しそうになるが、かかとの皮をすり減らしつつ急停止をし、何とか回避する。そのまま二人して急旋回し、裸足のまま庭に飛び出した。


「待て、この変態」


 薄明りの下、淡く浮かび上がる怪人の姿。彼は竹垣をよじ登り、敷地外に逃げようとしているらしい。逃亡を許してなるものか。


 宗克と園田が、敵の腰に抱き着いて引きずり下ろそうとした瞬間。ばちん、と痛々しい音が背後の上方から響いた。何事かと思う間もなく、子供の拳ほどの大きさの歪な形の石が宗克の頬をかすめて飛来し、竹垣に突き刺さった。台風にも負けなかった竹垣が、あろうことか軽く前後に振動している。


 あまりの風圧で皮膚が切れたかと思ったほどだが、咄嗟に頬を撫でた指先に付着する赤はない。怪我はなかったものの、宗克の身体からは血の気が引いた。


 肩越しに振り返り、屋根の上で月光を背に仁王立におうだちする天狗の影を見る。その手には、古くなった箸を組み合わせて作った、投石機……いわゆるゴムパチンコである。


 几帳面な義真が寸法整えてきっちりと製作したものだから、想定の何倍も威力が高かった。あんなもの、まともに食らえば文字通り身体に穴が開く。さらに忘れてはいけないのは、天狗は夜目が利かないということだ。うごめく気配だけを頼りにあんな攻撃を連発されては、いらぬ被害を招きかねない。


「あ、あああ兄貴! そんなもの使うなよ!」

「いやあ、兄弟は似ますねえ」


 例の茶碗落下型兵器を思い出したのか、のぞき太郎の腰に腕を回したまま、園田が呑気に言った。投石の衝撃から回復したらしい怪人は、緩んだ空気をこれ幸いと、腰をくねらせて拘束から逃れようと奮闘する。無論、逃がしはしまい。腕に強く力を込めた宗克だが。


「うげ」

「ぐわ」


 敵の膝が園田の顎を直撃し、足裏が宗克の顔面を蹴りつける。二人は無様な声を上げて、ひっくり返る。


「へへっ、ざまあねえや」


 捨て台詞を残して、いよいよ竹垣を乗り越えんとする怪人のぞき太郎。馬鹿にしやがって。業腹ごうはらである。


 怒髪どはつ天を衝く勢いの宗克は、後先考えず、柿の木に立て掛けられていた梯子はしごを抱え、大きく振り回した。直撃を受けた可哀そうな竹垣には、さらに穴が開いた。


 束の間ひるんだ様子を見せたものの、怪人のぞき太郎の土踏まずが竹垣を蹴り、とうとう彼は敷地から逃げおおせてしまった。かくなる上は……。


 宗克が次なる策を巡らせるよりも早く、屋根の上から、風を切る音がした。天狗の翼が広げられたのだ。瓦を蹴り飛ばし、義真が滑空する。その手にはゴムパチンコ。あろうことか、のぞき太郎に照準を合わせている。羽ばたきの気配に、町を駆け抜けつつもちらりと振り返った敵は、驚愕に目を剥き、鋭く息を吞んだ。


「わ、待って待って。それ死ぬ!」


 後を追うために玄関から出た宗克が叫ぶのだが、義真の耳には入らないらしい。びよん、とゴムが弾けて、投石機が作動する。


 目を覆いたくなるような惨状が繰り広げられるかと、きもを冷やす。が、幸いにも石は怪人のぞき太郎の袖を掠めて、地面に突き刺さった。ちょうど良いことに、次に踏み出した一歩がその異物に引っ掛かり、敵は前のめりに転倒する。すかさず、上空から舞い降りた義真が男を羽交い絞めにした。


 どうしたどうした、と近所からも野次馬が現れて、いよいよ怪人のぞき太郎はお縄である。


「はあ、よかったね、宗克君」


 園田の言う通り、一見落着したのだが、一切攻撃の手を緩めなかった兄が空恐ろしくなる。いや、きっと最初から足元の地面を狙っていたのだろう。まさかあのような殺傷能力を有する兵器、いくら妻を覗き見されたとはいえ、他人に打つはずはない。多分。


 以降何年経っても恐ろしくて、義真に事実確認を取ったとことはないのである。

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