混沌の街で甘味の気配
二人は
政府はこの街を洋風赤煉瓦の街並みにしたかったらしいが、住民の反対運動が盛んになり、全面的な改修は出来ぬまま、月日が流れて都市計画は流れてしまったそうだ。なんでも、煉瓦の家に住むと病気になるという噂が、
「あ、いた!」
もう一つ先の角に
「君は付き合ってくれなくても」
「いいえ、私も気になります。きぬさんには良くしていただいていますので」
宗克は肩を竦めるが、同行を拒否はしない。
義真が再度角を曲がってから数秒ほど遅れ、二人も右折する。先ほどの通りよりも人の壁が厚い。まるで神隠しにでもあったかのように、天狗の姿は忽然と消えていた。
「嘘だろ」
澄は背伸びをして人混みの間から通りの先を覗き込むが、追跡対象は本当に消えてしまったようだ。それならば近くの店にでも入ったのだろうかと考え、店先を見回す。そこは、菓子屋が並ぶ区域だった。一軒、店内にて甘味を提供しているらしい瓦屋根の店に人だかりができているが、行列の中にも天狗はいない。二人はその他の店頭にも目を向けてみたが、やはり義真の姿はない。
「何であんなに目立つ奴を見失うんだよ」
「翼も目立ちますけど、そうでなくとも背が高いですからね」
「おまけに帽子なんか被って。これ見よがしに体格がいいことを見せつけやがって」
別にそんなつもりで帽子を被っている訳ではないのでは、と言いかけて、澄は口を
必要以上に兄との
意図せず微笑んでしまい、宗克の怪訝そうな視線が注がれる。澄は小さく咳払いをしてから、和洋折衷の建造物群を見回した。
「とにかく、この辺りにはいないようですね。どこかのお店に入った様子もないですし。路地に入ったのでしょうか」
建物の間には、ほんの小さな隙間が残された場所もある。そこから隣の通りに抜けたならば、この道から忽然と姿を消した理由も納得ができるのだが。もし義真がそのような行動をとったのだとすれば、それは尾行されていたことに気づいていたということだろう。
「まさか本当に、やましいことが……」
「君もそう思うだろ。兄貴、いったい何を考えてるんだ」
宗克は、どこかに小さな手がかりでもないだろうかと、建物の端々を覗いては、首を横に振った。やがて気が済んだのか、不機嫌顔で戻ってきて、帽子を取って頭を搔き乱した。
「だめだ、逃げられた」
「今日はもう無理でしょうか」
「不本意だが仕方ない。腹いせに、そこの行列ができている菓子でも買って帰ろうか」
「腹いせに、お菓子?」
「君ももう帰る時間だろ」
「私は」
澄は風呂敷と一緒に胸に抱いていた雑誌を引き寄せた。そうだ。不審者を見つけてしまったので念頭になかったが、今日は『黎明』を読むまでは家に帰れない。
「私はその辺りの河原で本を読んでから帰ります」
「河原で?」
「はい。大迫家では雑誌は禁止されているので」
言って、宗克の顔を窺う。彼ももしかしたら、女が読書……しかも低俗な大衆雑誌など、と思うかもしれない。だが、その頬に浮かんだ表情が、微かに哀れむような色を宿したのを見て、澄は意外な心持ちになった。
「家の方針は様々だからね。それなら、奄天堂家で読んだらいいよ。義姉さんも歓迎してくれるさ」
「でも、きぬさんも私がこんな雑誌読んでるって知ったら戸惑うかも」
「いや、大丈夫だよ」
宗克は澄の腕の中の四角い雑誌を見遣り、淀みのない口調で言う。
「うちにもその雑誌毎月届くから」
「定期購読しているんですか?」
「購読というか……。うん、まあそんな感じかな」
途端に歯切れ悪くなった宗克は、話を逸らすかのように、菓子屋の行列に向かう。店先には、「絶品 みつ豆」の
それにしても宗克は、みつ豆が好物なのだろうか。心なしか、彼の目が輝いているようだった。
「俺は澄さんの分も買って後で帰るから、先に家に戻って着替えておいで。寄り道していることがばれたら面倒だろ」
想定外の配慮に、澄はありがたく首肯する。案外この青年、悪い人ではないのかもしれない。
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