のぞき太郎がいっぱい
「何事ですか。奄天堂さん。警察を呼びますよ」
壽々子の視線が義真、きぬ、宗克、と進み、ついでに、はだけ太郎を一瞥してから再び宗克へと向かった。
「娘をどこへ
宗克が「え、ばれてる」と声を漏らした。この人は何を言っているのだろう。宗克は、大迫の奥様に顔が割れていたことに驚愕したようだが、近所なのだから当然のことなのに。つくづく、宗克はどこか抜けているところがあるな、と思う澄である。
「ええと、その」
しどろもどろになる宗克をちらりと見遣り、澄は一歩踏み出した。
「お母様、失礼なことを言わないで。宗克さんは、私を助けてくれたの。のぞき太郎から」
同意を求めて視線を向ければ、宗克は何度か瞬きをしてから、
「え、ええ。そうです。変質者がお宅に入り込むのを見たので、注意を呼び掛けなければと思い、咄嗟に失礼しました。そうしたら澄さんの悲痛な……ええ、それはもう、この世の終わりかのような悲鳴が聞こえまして。声を辿ってみれば、蔵の鍵をこじ開けた中年男が澄さんを攫おうとしているのを見つけ、張り倒したんです」
さすがに、わざとらし過ぎるのではないかしらと気を揉む。案の定、壽々子の表情は依然険しい。だがそれは、何も宗克の演技下手だけが原因ではなかったらしい。
「あの鍵はそう
「え! ……いやいや、でも実際に。ね、澄さん」
「ええ? あ、はい。そういえば、宗克さんが扉を開けてくださる前に、ガチャガチャと鍵を弄る音が聞こえました。きっと、のぞき太郎が鍵を開けたのよ。多分」
「鍵は
たった今判明した事実。澄は助けを求めて宗克に視線を向ける。青年は眼鏡の下で目を泳がせた。何て無責任な人だ。宗克に話を合わせた結果、墓穴を掘ったというのに。失敗しかけているとはいえ、助けてもらった恩すら忘れて恨みがましく宗克を睨む。その視線の先に、もぞもぞと動く者を捉え、澄は声を上げた。
「あ、逃げる!」
地面に吸い付くように這いつくばった姿勢のまま、
「義真さん、だめだよ!」
きぬが再び制止するも、投石機が狙うは、はだけ太郎の頭頂ただ一つ。義真は一寸も悪びれず言う。
「当てるつもりはない」
「兄貴、良く見えないんだろ。危なっかしい」
「え、見えないんですか」
思わず言葉が飛び出した澄である。言われてみれば、天狗の血筋を持つ者は、程度の差こそあれ夜目が利きづらいのだった。それは澄も良く知っている。生粋の天狗である義真は、なおいっそう闇夜に不便を覚えるのだろう。
さすがにご近所さんから殺人犯を出す訳には行かない。宗克は口だけ達者なものの、結局傍観しているだけだし、きぬは義真の制止に手いっぱい。澄は拳を握り締め、大股ではだけ太郎に歩み寄る。そして、だらしなく開いた衿元を、鷲掴みにした。
到底年頃の娘とは思えぬほどの力で、不審者の身体を引き寄せる。
「あなた、いったい何のために奄天堂さんに……え……?」
鼻と鼻を突き合わせてみて、澄は絶句した。見知った顔である。
相手は咄嗟に顔を
「や、矢渡」
「どうも、澄さん。月が綺麗な晩ですね」
ふてぶてしくも好青年然として微笑みを張り付かせるのだが、あいにく今晩の月は糸くずのよう。妙な文句を口走った様子から察するに、余裕
「皆さんお騒がせして申し訳ございません。ああ、大迫の奥様。その節はどうも。また後日、澄さんも含めお食事でも」
「ちょっと、何を丸く収めようとしているんですか」
澄の言葉に、矢渡はわざとらしく笑い声を立てる。
「ははは、澄さんはやはり面白いお方ですね」
「気が振れた男が何を」
「澄」
壽々子が眉間を拳で解しつつ、鋭く呼び付けた。五対の双眸が、同時に一か所へ向かう。壽々子は激情を抑え込むような、低い声音で言った。
「澄、言葉が乱れておりますよ。矢渡さん、こちらはいったい、どうしたことでしょう」
口が悪かったのは確かである。澄が羞恥に俯き、矢渡が動揺に呻いた時である。大通りの方から喧騒と、真昼の如く眩い光線が差し込んだ。
強い光を真っすぐ眼球に向けられて、澄は咄嗟に手で遮り、目を細める。光度に目が慣れると、現れたのは警察の詰襟制服を着込んだ男らだと知った。
「何事ですか。近所から通報が入ってる」
「良かったお巡りさん。実は怪人のぞき太郎が」
「失礼!」
警察に答えようとしたきぬを遮るように一方的に叫んだ矢渡は、
「ひゃ!」
不意に、張りつめたゴムが弾かれる痛々しい音が響き、矢渡の袖を掠めて拳大の石が地面に突き刺さる。矢渡は少女のように甲高い悲鳴を上げて、脚が鈍る。その機会を逃す警察ではない。
鞘に入ったままとはいえ、
状況や話の流れから、矢渡は奄天堂家に現れたのぞき太郎だったのだろう。その理由は解せぬのだが、見合いの場でも奄天堂家の情報を聞き出そうとしていた男だ。もしや最初から、きぬが目当てでこの街にやって来たのだろうか。もしくは、義真か宗克になにやら不埒な情を覚えてしまう
「お巡りさん、こっちこっち」
「お父様」
門から、父清嗣がやって来た。風呂上りらしく、衿元から微かに湯気が上がっている。呑気な表情で現れたのだが、その手に掴んだものには目を疑う。清嗣は柔らかな表情を崩さずに言った。
「ここにも、のぞき太郎がいるんですよ。捕まえてもらえます?」
清嗣が首根っこを掴んで引き摺って来たのは、蔵の前で昏倒していた中年男だった。理解が及ばない。もしや怪人のぞき太郎は、複数名の犯行だったのだろうか。
大迫家に現れた方ののぞき太郎は意識がないこともあり、いとも簡単に連行されて行く。無様な叫びを上げる矢渡と二人、仲良く警察に囲まれて消えて行くのを、事情聴取を受けながら見送った澄たちだった。
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