第84話 あこがれの時限爆弾
ジョン・ムウの中の人こと鈴花鈴夏は追い詰められていた。
「鈴花さん、この2カ月私はずっと様子を見てきました。いろいろと厳しいことも言いましたが、それもいずれは戦績を上げてほしいという親心があってのものです」
「はい」
「しかし貴方は未だにどこの部隊にも声がかからないし、遊撃部隊での戦績もパッとしない。多少の戦闘はこなしているようですが、ヘルメス航空中隊に所属できたポテンシャルを考えればまだやれるのではありませんか?」
「すみません」
「謝ってほしいわけではないんですがね。本当にやる気あるんですか? 何故手を抜いているんです」
「すみません」
「…………」
「……すみません……」
鈴夏は電話の向こうの安田に身を縮こませて謝ることしかできない。
完全に心が委縮しきっていた。
1週間に1度の頻度で何故戦果が上がらないのかと詰問されるたびに、鈴夏はさまざまな言い訳をひねり出してきた。しかしもうそのボキャブラリーも限界に達している。
いくら頑張っても頑張っても空回りする努力と焦燥は彼女の心をむしばみ、今の鈴夏は疲弊しきっていた。
この2カ月というもの、【アスクレピオス】の遊撃部隊に配属された鈴夏はさっぱり戦果を挙げられていない。
いや、1カ月ほど前からは心を入れ替えて現状を変えられるように努力はしていたのだ。武器を少しはマシなものに取り換え、射撃の腕を磨き、少しでも多くの敵を倒せるように頑張った。
しかしそれでも彼女をスカウトした安田の目には頑張っていないように映るらしい。エリート部隊に配属されるほどの逸材なのだから、どこでだって戦果は挙げられるはずだと捉えられてしまうのだ。
何故鈴夏が目立った戦果を挙げられないのか。客観的に答えを言ってしまえば、置かれている環境が悪すぎるのだ。
いくらエースパイロットになれる素質があるからといって、豆鉄砲だけ渡してさあ敵の首を獲ってこいと言われてできるヤツはいない。ついでに言えば彼女の中に眠る優れた資質を引き出せるような教師もいない。誰も彼女を育てようとしていない。
遊撃部隊の先輩たちはジョンを元エリートの鼻持ちならない奴だという色眼鏡で見て、新人を助けるどころか露骨に嫌っている。ジョンの戦闘に横入りして、倒しかけた敵を横取りされたことも一度や二度ではない。
ジョンの対応も悪かった。ここで取るべきは徹底的に先輩を糾弾して上に掛け合うか、さもなければ部隊の水に染まって先輩にへつらうかだっただろう。しかし先輩たちのいびりを糾弾するには彼はおとなしすぎたし、部隊の淀んだ空気に染まるには真面目すぎた。
要はロクに抗弁もできない陰キャなので、ガラの悪い先輩にナメられたのである。
健全なクランにいればジョンのような素直で物覚えがよく上からの命令に従順な人材はさぞ重宝されただろう。
しかし【アスクレピオス】にはジョンに目をかけてくれる味方など誰もおらず、先輩からはいじめられ、スカウトマンからは叱られるばかり。ごみ溜めのような部隊に投げ込まれては自力で這い上がるにも限界があり、ジョンの心は萎む一方だった。
「とにかく……鈴花さんには早急に戦果を挙げてもらいたいです。でなければ、入院されているお父さんの面倒をこれ以上看るわけにはいきません」
「それは……」
「私もねぇ、ヒマじゃないんですよ。貴方みたいに成果を出さない小娘にいつまでも付き合っていられないんでね! これが最後通告と思っていただきたい。いいですね?」
「……はい」
いいも悪いも、鈴夏には決定権などない。
声を荒げた安田が電話をガチャ切りするのを聞き、鈴夏はこてんと背中からベッドに倒れ込んだ。実家にあったものよりも随分と固いマットレスが、鈴夏の体を受け止めてわずかに弾む。
「戦果を上げろって言われても……これ以上どうすればいいのよ……」
枕に横顔を埋めながら、鈴夏は昏い目で呟いた。
これでも自分では一生懸命頑張っているつもりだった。それで足りないと断じられてしまったら、もう鈴夏にはどうしようもない。一応カタツムリ程度の速度で前に進んではいるが、それが実を結ぶにはあまりにも時間がなさすぎた。
万事休す。
(……死んじゃおうかなあ……)
心の奥底から浮かんでくる言葉に、慌ててぷるぷると頭を振る。
いや、何を考えているんだ。自分が死んでしまったら残されたお父さんや家族はどうなる。自分が頑張らないといけないんだ。頑張らないといけないんだけど。
ああ、心が沈む。
絶望に打ちひしがれた鈴夏は何もする気が起きず、ベッドに身を横たえた。日課のストレッチもしないまま瞳を閉じる。何もかもがどうでもよくなりつつあった。
ふと、手にしていたスマホからピロンと電子音が鳴った。
怒りがぶり返した安田からのお叱りか、家族からの不安そうな連絡か。そのどちらかなら取らずに寝てしまおうと思いながら、それでも根が生真面目な鈴夏は物憂げに画面を見る。
【フレンドのスノウライトさんが配信を開始しました。
『チンパンでもわかる! 超絶簡単“腕利き”養成講座』】
「何やってんのあの子。チンパンでもわかるって……ふふっ」
鈴夏の疲れた顔に、ほんのわずかな笑みが混じる。
2カ月前に知り合った異常なパイロットの少女は、また何か変なことを始めようとしているらしい。
密かに匿名掲示板の常連である鈴夏は、ちらちらと見る噂からスノウが結構有名になりつつあるらしいとは知っていた。しかしあえて具体的には知ろうとせず、連絡を取ったこともない。
それは自分より後に始めた少女が瞬く間に自分を追い越していくことへの嫉妬と、いつか自分が自力で苦境から這い上がったときに改めて自分の変化を見てもらいたいという憧れが入り混じった想いによるものだった。
だが今の鈴夏は疲れていて、何か心に変化をもたらすものを求めていた。“腕利き”養成講座という響きに惹かれたというのもある。
動画を見ただけでそうそう技術が身に付いたりするわけないでしょと内心苦笑しながらも、あの無鉄砲で滅茶苦茶な子にもう一度会いたいという思いが鈴夏に視聴アプリを起動させた。
率直に言うと、目から鱗が落ちた。
そこで展開されていたのは、かつて見たこともないようなプレイ動画だった。
確かに配信者のトークは拙いし、視聴者への配慮もない。視聴者からの反応が怖いのか、コメント欄にすら目を向けていないようだった。だがそんなことはどうでもいい。視聴者の度肝を抜くその超絶プレイの前では、どんなトークであれ霞んでしまう。
『武器や物資はトランスポーターで運んできているんですけど、大体前線から下がったこのへんにあるんじゃないかと思います。まず初手でここを潰して武器を調達します』
「!? そ、そっか……!! こちらの手持ちの武器がショボくても、強奪しちゃえば何とでもなるんだ……!!」
かつてのエリート部隊にいたジョンなら、盗むという行動に無条件に眉をひそめ、正面から挑まない強襲に不快感を抱いただろう。しかしこの2カ月、とことんまで泥を舐めて底辺を這いずった今のジョンにはそれは受け入れられる行動だった。
そこからのスノウの行動は迅速だった。あれよあれよと視聴者たちが見守るなかで、トランスポーターを守る防衛部隊を出し抜いて装備を奪い、返す刀でトランスポーターごと防衛部隊を叩き潰していく。
その手口はとてつもなく鮮やかで、これまで幾度も同じことをやる中で洗練されてきたことがうかがえる。
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『はえー、簡単に墜とすなあ』
『敵ザッコwww マジで何も反応できてねえwww』
『いいねー俺も長距離武器作ってみよっかな』
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あまりにもサクサクと段取りを進めていくのでライト層が楽観的なコメントを残していくが、何をヌルいこと言ってるんだとジョンは舌打ちしたい気分だった。
同じことを何人ができるものか。単身で敵地を強襲して、武装を奪いつつ施設を破壊するなど、一流のテロリストの芸当ではないか。
さあ見本は見せたぞ、お前も真似しろと言われてできれば苦労はない。
だが……今のジョンにとっては、それは福音にも思えた。
孤立無援でロクな装備も与えられず、たったひとりで成果を残せと無理強いをされている彼にとって、目の前の光景は“唯一の最適解”だ。
姿勢を糺してベッドの上で正座してスマホを覗いていたジョンは、慌てて起き上がるとバタバタと勉強に使っているPCを起動した。
この貴重な映像をスマホの小さな画面なんかで見るわけにはいかない。もっと大きな画面で、ほんのわずかな漏れもなくすべてを吸収しなければ!
映像に心奪われた鈴夏は、完全にジョンになりきっていた。
その後もスノウの動画講座は続く。
リスポーン地点の設備を破壊することで、敵の回復能力を弱めながら敵の動きをコントロールする動きには、思わず声が漏れた。
「ボードコントロール……! たった1人で戦場全体を手玉に取れるんだ!?」
敵がそろそろ戻ってきそうと思えば、さっさとその場を離脱する読みも冴えている。コメント欄には頭がおかしいという感想が乱舞しているが、ジョンもまったく同感だった。
しかし経験次第でその勘が身に付くというのなら、スノウにできて自分にできない理由があるだろうか?
【ジョン・ムウさんが10万JCでこの配信を応援しました!!】
気付けばジョンはなけなしのJCを投げ銭していた。
本当に大切なお金だったが、この動画への評価としては妥当だと思える。財布の中にもっと余裕があれば限度額まで投げ銭したいほどだったが、今のジョンに出せる精一杯の金額がこの金額だった。
この動画には全財産出すだけの価値がある。見るだけで視聴者の技量を何段階でも引き上げる情報が秘められている。
ジョンが食い入るように画面を見つめる中で、スノウはもう片方のクランの弾薬庫を破壊していく。
『よわよわおにいちゃんのみなさん、何やら大変そうですねぇ。後方で何かありましたかぁ? みなさんの大事なリスポーン拠点や弾薬庫を焼き払ったのは、ボクの仕業でーす!』
そして自ら両陣営が激突する最前線に向かうと、高らかな煽りセリフと共に両軍に向けて宣戦布告した。
もうこれは完全にイカれている。単騎で戦場の全員を相手どろうなど、正気の沙汰ではない。コメント欄はこぞってこのメスガキは頭がおかしいと連呼しているし、自分もそう思う。
だが、これだ。これこそがジョンの“答え”だ。
たった1騎で戦場すべての敵を叩きのめす。それこそがジョンが求められている無理難題への究極の回答ではないのか。
ジョンは無意識に拳を握りしめながら、「頑張れ……頑張れ……!」と画面に向けて口走っていた。どう考えても人間には不可能な行為。しかしそれができるのならば、人知を越えた大戦果。
果たしてそれが本当に人間に成しうるのか。そして成しうるのならば……それがどれだけ化け物じみた技量を前提としていても関係ない。いつか自分にも同じことができる。スノウは化け物ではなく人間であり、自分も同じ人間なのだから。できない理由がないのだ。
少なくともジョンはそう思いながら、まばたきも忘れ、真っ黒な瞳で画面を見つめ続けている。
「突然の自由落下でロックオンを切ってる……なるほど……」
ブラインドタッチで思ったことを間髪入れずコメントしながら、ジョンはスノウの戦いぶりのすべてを全身全霊で受け止めていた。
特殊な腕パーツを使い敵を捕獲して人質にする手口自体は真似できそうもない。
「でも敵の部位を破壊……たとえばスラスターや銀翼、脚パーツを破壊すれば、似たようなことはできるんじゃないか?」
メモ帳アプリを起動して、思ったことはすべてそこに書き連ねていく。スノウが教えてくれることのすべてを細大漏らさずに記していく。
鈴花鈴夏という少女に特異性があるとすれば、その吸収性にある。鈴夏の特性を一言で表すなら“優秀な生徒”だ。
それがどんなに理解困難な理論でも、人間離れした行為でも、鈴夏は決してそれを自分には不可能だと思わない。解体し、分析し、模倣して、それを自分にも可能なものへと落とし込む。
だからこそ彼女は齢12歳にして、父の武術の真髄を理解できたのだ。あまりにも理解が良すぎる娘に恐れを抱いた父が、最早教えることはないとそれ以上の伝授を打ち切るほどに。親として、師として、自分をあっさりと越えられる恐怖を抱いてしまうほどの吸収性。
ジョンの不幸は、その特性にも関わらず誰も彼に戦い方を教えてくれない状況に追い込まれていたことに尽きる。
思えばジョンがエリート部隊でいじめられていたそもそもの原因は、あまりにも学習力が高すぎるジョンを見た部隊長が、自分を追い抜かしていくのではないかと恐れたこと。そしてその秘めた才能が自分たちごときの技量よりも圧倒的に優れていることに気付いたことにあった。
優れた師を
そして今、配信を通してスノウの戦い方を伝授されることで、ジョンの中の特性が目覚めようとしていた。
「すごい……すごいよ、スノウ。そんなことができちゃうんだ。人間にはそんな可能性が秘められていたんだ。このゲームではそんな動きもできたんだ」
画面の中ではスノウとゴクドーの一騎打ちが展開されている。
腕ごと刃を飛ばすという人知を越えた剣術を駆使するゴクドーと、それを見切って多彩な技を繰り出していくスノウ。
スノウには不意打ちが通じないと判断するなりストロングスタイルに切り替えていくゴクドーの判断も見事なら、射撃に投げ、プロレス技、フェイントと変幻自在に
武術の達人同士の演武動画のような……あるいは籠った殺意の分だけ一層真に迫った、
武術を戦いに積極的に用いるという発想。そこまではジョンの中にもあった。
だがスノウもゴクドーも、武術に囚われることなくあくまでもそれを武器の1つとして扱っている。そこまでの域に達するのに、相当な苦労があったはずなのに。苦労があればこそ、そこに拘ってしまうものなのに。
スノウにもゴクドーにも技に拘らないそれぞれの理由があるのだが、ジョンの目にはそれは達人の境地ゆえの精神性だと映る。そして一層スノウへの感銘を深めた。
「スノウ……君はすごいよ。僕よりも始めたのは遅いのに、たった2カ月でもうそんなに強くなったんだね……」
画面を見つめるジョンの真っ黒な瞳に炎が揺らぐ。紅い炎よりも高熱で、ときに自らをも焼き尽くしかねない嫉妬の蒼い焔。
しかしそれは自身の身を焼く前に変質する。
「なら……僕にもできるよね。君と同じことが僕にもできるはずだ。僕は……君になりたい。君と同じことを僕もやりたい……!」
それは憧憬の輝き。どんなに不可能に見えても、先人が成したのならば自分もできると信じて疑わない、若人を成長へと導く燃料。
やがてスノウの勝利をもって動画は終わる。
ぶつ切りの終わり方も、神業だと言いながらもまったく理解できなかったと笑い合うコメント欄も、もはやジョンの目には入っていなかった。
自分が書き留めたメモ帳をじっと見つめながら、それをことごとく模倣するための方法を見出すことに優秀な脳のエネルギーすべてを費やしていた。
ジョンは決意する。
求めていた“答え”はここにあった。
あとは走り出すだけ。
目的地はスノウと同じ境地まで。
「今からそこに追いつくよ。待っていてね、スノウ」
あらゆる光を吸い込むような、真っ黒な瞳で鈴夏は微笑む。
忘れてはいけない。
たとえその心に燃える炎が嫉妬から憧憬へと変化しようが、熱量は変わらないことを。扱い方を間違えれば、その炎はたやすく自らの身を焼くだろう。
……師匠もろともに。
この夏、時限爆弾が起動しました。
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