第3話 凸撃はじめまして

 バイザーを外すと、室内はもう夕焼けの赤に染まっていた。

 少年は六畳間の隅に設置されたVRポッドから出て、うーんと伸びをする。


 西暦2038年にもなって畳敷きのボロアパートには、近未来的なVRポッドはいささか以上に場違いだが、もうこの数カ月で見慣れた風景になった。



「いやー、今日も稼いだなー」



 スノウの中の人・大国おおくに虎太郎こたろうは、汗だくになった体をタオルで吹き、冷蔵庫で冷やしておいたスポドリをごきゅごきゅと飲み干した。


 季節は既に夏。エアコンは効かせておいたものの、VRポッドは熱が籠るので熱中症対策は万全にしておかなくてはいけない。

いくらゲームの中で無敵の騎士様パイロットであっても、操作する人間の体は脆弱なのだ。


 汗を拭き終わったタオルを洗濯かごに放り込んだ虎太郎は、ふと洗面台の鏡に映る自分の顔を眺めた。


 生まれたままの黒髪はあまり手入れがされておらず、ちょっとボサボサ気味。美形でもなければ不細工でもない地味な顔立ち。

強いて特徴と言えるところもなく、集団に埋没しがちな容姿の彼は、実際今年入学した私大でも友達がいないぼっちである。

 もっとも、別に友達が欲しいとも思っていないのだが。


 虎太郎はそんな地味な容姿の自分を見て、ククッと笑った。



「この僕が、ゲームの中では美少女キャラで男から金をむしり取りまくりだもんな。ホント世の中みんなカワイイ女の子に弱くて、笑えてくるよ」



 これまで傭兵・スノウ(通称シャイン)としてさまざまなクライアントの元を渡り歩いてきたが、どの依頼主もスノウが戦った後に笑顔で交渉すると二つ返事で報酬として金品をくれるのである。

 これが姫プレイってやつか、と虎太郎は感動した。男キャラだったらこうはいかないよなあ。


 これも自分のキャラメイクが神がかっているからだな、と虎太郎は密かに自慢に思っているのだ。カワイイは正義! 正義はカワイイ!



「しかしどのクライアントも、自分と専属契約を結んでくれって迫ってくるのが玉に瑕だよな……。やっぱりかわいい女の子は手元に置いときたいもんなのか。

 別にヤレるわけでもないだろうになあ。

 いや……それも悲しき童貞のサガ……か……!」



 めちゃめちゃ失礼だなお前。


 もちろん虎太郎は遠慮なく童貞の悲しさと自キャラの可愛さを利用して儲けるつもりである。



「しかし、まさかゲームしてお金をもらえるなんてことがあるとは、地元にいた頃は思ってもみなかったよな。ホント美少女キャラに作ってよかったよ」



 おかげで上京してこのゲーム『七翼しちよくのシュバリエ』を始めてからは、バイトする必要もなく学校とゲーム三昧の日々を過ごせている。ありがたいことだ。


 なお、具体的な資金源としては某通販サイトで使用できるギフトカードを利用している。

通販サイトでそのまま使ってよし、やや目減りするがちょっとロンダリングして現金に変えてよし。贈り主にこちらの住所を知られることもないので、匿名性もバッチリ保持できるのだ。

唯一の問題はあまりやりすぎると脱税に問われるかもしれないってことカナー。まあ学生の小遣い稼ぎ程度、許してもらえるっしょ!


(注意:贈与控除額を把握して法律の範囲内でやりましょう)



 お金入ったら何に使おうかな……たまには美味しいものでも食べるかな。

 そういえばこの前もらったギフトカードで注文した雑貨とか、そろそろ届くんじゃなかろうか。

 小遣いの使い道をウキウキと考え始めたとき、



 ピンポーン



 ボロアパートのチャイムが鳴った。



 ……誰だろう?


 こんな夕暮れ時に来る客が思い浮かばず、虎太郎は首を傾げた。

 隣の鈴夏すずか先輩が料理を作りすぎておすそ分けに来たとか?

 それとも宗教の勧誘だろうか。アレ帰ってもらうの面倒なんだよなあ。



「大国さーん。茶川ちゃかわ急便でーす。ご注文のお届けに来ましたー」


「あ、はいすぐに出ます!」



 ドアの向こうから聞こえてきた女性ドライバーの声に、虎太郎は慌てて玄関へ向かった。この前注文した雑貨、今日届くのか。メールではお届け日がまだ少し先だったような気もしたけど。



「すみません、お待たせし……て?」



 ドアの向こうに立っていたのは、20歳くらいのスーツ姿の美人だった。

 やや赤みがかった艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、顔立ちは美少女というよりも美人。

 背はそれほど高くはないが、背筋の通った気品のある立ち姿は、清冽な百合の花を思わせる。並みの人間には決して手が届かない、高嶺に咲く花。


 街を歩けば十人中九人が振り返るような、そんな美人は



 明らかに運送屋じゃねえだろ!!



「えっ、誰……?」



 虎太郎が戸惑っていると、美人はガッとドアの隙間に足を差し込んできた。指はチェーンを掴み、ドアノブを背中に納めて完全侵入。


 やだこの清楚美人、ぐいぐい来る……!!



「こんにちわ。リアルでは初めまして、シャイン。ペンデュラムよ」


「え……?」



 楚々として微笑みを浮かべる美人に、虎太郎は呆けた声を上げた。



「ぺ、ペンデュラムって……さっきまでゲームで話してた?」


「ええ、傭兵シャインちゃんのお得意様のペンデュラムよ」



 頭が真っ白になった。

 えっ、これがペンデュラム? あのオレ様系イケメン指揮官の?

 マジで? リアル女ネナベなん?

 何しにここへ? どうやって僕の住所を?



 ぐるぐるとまとまらない思考を回した結果、虎太郎は笑い声をあげた。

 こたろうは こんらん している!



「ざ、残念だったな! 僕がネカマだと知ってこれまでの報酬を取り返しに来たんだろう? 生憎、とっくに全部使っちまったよ! 貧乏学生ナメんな!」


「ん? どういうこと? 凡骨ポンコツなの?」



 ペンデュラムを名のる清楚美人は、きょとんとした表情を浮かべた。



「何って、ネカマ姫プレイがバレたから、怒って金を取り返しに来たんだろ?」


「……えっ? もしかして貴方、姫プレイでお金を貢がれてると思ってる?」


「それ以外になんでお金をもらえる理由があるんだ?」



 ペンデュラムはウソでしょ、こいつリアルは凡骨なの? と呟いた。


「いや、まあ凡骨でも凡愚でもいいか。

 私がここに来たのはシャイン、貴方を私の右腕としてスカウトするためよ。

 これまで何度も何度もな・ん・ど・も! 

 この私が直々に勧誘してるというのに、貴方と来たらその価値もわからず袖にするから、こうしてリアルに直談判に来てあげたってわけ」


「来てあげたと言われても、頼んでませんが」


「なんで私が貴方の都合に合わせるのよ。貴方が私の都合に合わせなさい」



 リアルでもオレ様キャラなのかこいつ!?

 いや、リアルの方がむしろひどいような気さえする。



「帰ってくれません……?」


「だーめ。貴方ときたら散々私を翻弄してくれたわね……凡骨の分際で!」



 ペンデュラムはニコッと誰もが見惚れるような美しい笑みを浮かべると、バッグから一枚の書類を持ち出した。



「なんスかそれ」


「終身雇用契約書よ! 貴方はこの私、天翔院てんしょういん天音あまね傘下の専属プレイヤーとして、私が命令するときに戦うの!」


「奴隷契約書じゃねーか!?」



 天音とかいう美麗なリアルネームにふさわしい清らかな笑顔で、とんでもない爆弾を持ち出してきた。

 ドン引きする虎太郎の反応を見て、ペンデュラムは自らの間違いに気付いたらしい。



「あ、大丈夫よ安心して。戦闘は1日6時間までに収めるつもりだし、それ以外は好きに過ごしてもらっていていいわ! 社宅の面倒も見るし、それなりの待遇も約束するわ! ウチはホワイト企業を目指してるの!」


「ホワイトを目指してるってことは、今現在はブラックってことですよねえ!?」


「努力目標って大事だと思わない?」


「永遠に実現されない目標は絵に描いた餅同然なんだよなあ!」


「年棒1千万出すから!」


「えっ1千万!?」



 虎太郎はびっくりして聞き返した。

 その反応にペンデュラムは確かな手ごたえを感じ、にっこりと微笑む。



「そうよー。プロ野球でドラフト1位入団された選手と同額よ。今時、貴方と同年代でいきなりそれくらい年収稼げる人ってどれだけいると思う? それが毎日ゲームできる生活についてくるのよ? こんないい話ってないでしょ」


「う、ううむ……」


「想像してみて? 一千万あれば何が買えるか」


「想像してと言われても、一千万なんて全然ピンとこないんだけど……」



 しかし貧乏学生には実感のない数字だった!



「……ええと、ほら。車とか? 家とか? 多分買えるんじゃない?」



 おおっと! 説得する側も逆の意味で金銭感覚に疎いと見える!


 ペンデュラムはごほんと咳払いした。



「とりあえずこんな貧乏臭い部屋とはおさらばして、もっといい暮らしはできるわよ。さあ、私の手を取りなさい。優れた人材にふさわしい人生を歩むのよ!」


「…………」



 虎太郎は差し伸ばされた手を見て、しばらく考えた。

 そしてゆっくりと頭を横に振る。



「その手を取ったら、もう自由に遊べないんだろ? それは嫌だな。

 僕は自由にゲームがしたい。好きなときに、好きな相手と戦いたい。

 僕にとっては、自由さこそがゲームの真髄だ。それを奪うことは誰にも許さない」

「……そう」



 ペンデュラムは穏やかに微笑んだ。

 透き通るような、優しい笑顔だった。

 虎太郎は安心して、にこりと笑い返す。



「わかってくれた?」


「それで納得するようなら、こんなところまで来ないんだよなああ!!」



 ペンデュラムは突然飛びかかると、虎太郎を壁に押し付け、ドン! と顔の横に手を突いた。これはまさか……伝説の壁ドン!?

 キスするような距離まで顔を近付けたペンデュラムは、虎太郎の耳元で囁く。




「もう逃がさねえぜ? 私のモノになれよ……!」



 オレ様キャラが漏れてるうううううう!?

 とんでもない状況に意識を遠のかせつつ、虎太郎は何故こんなことになったのかをゆっくりと思い返していた……。


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ここまでがプロローグです。


次からは時間が巻き戻り、主人公とこのゲームとの出会いから回想していくことになります。


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