第42話 手羽先を取り合って

 【トリニティ】が【鉄十字ペンギン同盟】を破ってから一週間後。


 ペンデュラム行きつけの高級レストランの一室で、調印式が行われようとしていた。

 出席者はたった4人。【トリニティ】からはペンデュラムと副官シロ。【鉄十字ペンギン同盟】からはクランリーダーとその副官である。

 ペンギンリーダーは短い羽を伸ばして契約書を掴み、その内容を確認。その内容が数日前に送られてきたものと寸分たがわぬことを確認してから、副官にそれを手渡す。


 なんでもいいけど、どうしてアバターもペンギンなんだよ。



「……契約の内容は確認しました。要綱では我々は【トリニティ】の……いえ、ペンデュラム。“貴方”の傘下に収まり、以後は貴方が要請するタイミングで戦闘に参加する。その代わりに……」


「我々は貴方がたを庇護する。貴方がたの領地が攻められることがあれば全力で守護しよう。安心してほしい、諸君らの戦力が雪原マップでのみ十全に発揮されるということはこちらも認識している。無駄な戦いを要請するつもりはない」



 ペンギンリーダーに鷹揚おうように頷きを返すペンデュラム。

 ふむ、とペンギンリーダーは小さく頷いた。


 はっきり言えば【鉄十字ペンギン同盟】にとっては、願ってもない提案だった。

 【鉄十字ペンギン同盟】は雪原マップでスキーやスノボさえできればそれでいいプレイヤーの集団である。

 今後は【トリニティ】に庇護してもらえるというのならありがたい話だし、ペンデュラムの言が正しいのであれば自分たちを適正外のマップに連れ回すことはしないだろう。


 それに、とペンギンリーダーは考える。

 恐らく自分たちがまともに戦えているのは今だけだ。リリース1年を待たずして、既にクラン間には大きな技術差が生まれつつある。これからは積極的にレイドボスを狩って技術を育てていくクランが台頭していくだろう。

 のんびりした自分たちのプレイスタイルではその速度についていけない。


 このゲームにおける技術は、プレイヤーの技量を凌駕する。いくら身体能力に優れた原始人がいたところで、石斧で大陸を越えて降り注ぐミサイルに勝てるわけがない。もはや土台が完全に違うのだ。


 それを予見できる程度の戦略眼はペンギンリーダーにもある。スキーとスノボをこよなく愛する者たちを率いる彼だが、やろうと思えばいっぱしの大手クランを率いるだけの才覚はあった。


 もっとも、その道は選ばなかったが。周囲との絶え間ない戦争とクラン内部の政治劇に追われる日々などまっぴらだ。ただでさえ重すぎる荷物を背負っているのに。



「その待遇を受けるための条件が、クランリーダー特権……第七世代7G通信網の利用権と“特典”ポイントを貴方個人に譲渡することですか」


「そうだ」



 クランリーダーという損ばかりの役職を引き受ける数少ないメリット。それは損を軽く吹き飛ばすだけの、とてつもない利益でもある。


 一定以上の規模を持つクランを維持するクランリーダーは、その対価として規模に応じた第七世代通信網を割り当てられる権利を得る。

 わかりやすく言ってしまえば、第七世代通信網のネット回線事業を経営でき、自分たちに世界最高速度の回線を優先的に回す権利を得られるということである。


 秒間テラバイト単位のネット通信網。それはネット社会において生活必需品インフラであるばかりではない。

 率直に言えば西暦2038年の基準においてすらオーバーテクノロジーの結晶であり、現実世界の戦略物資として考えても途方もない価値がある。だからこそ多数の企業が参画し、その利用権を奪い合っているのだ。



 ペンギンリーダーは苦笑すると、肩を竦めた。

 でもペンギン顔なので苦笑してるのかどうかわかんねえ。



「一介のペンギンには重すぎますよ、こんなもの。喜んで譲渡いたしましょう」



 すんなりと承諾され、ペンデュラムはわずかに肩透かしを食った。



「自分で持ちかけてなんだが、随分とあっさりだな。追加で金銭を要求されることも考えていたのだが」


「非営利クランですからね。スノースポーツがやりたいだけなんですよ、私たちは。それに自分たちが勝つことで帯域制限を受ける人たちが出る、と考えると少し心苦しいものもありました。私がスキーをするために、誰かが楽しみにしていた映画が見られなくなる。そんな罪悪感ともこれでおさらばです」



 ペンギンリーダーの言は、現在の混沌としたパイの奪い合いの問題点を表していた。


 領地を他クランに奪われると、通信速度が一時的に6Gや5G相当に落ちてしまうエリアが出てくる。それはネット回線事業者にとっても、回線を割り当てられる顧客にとっても一大事だ。それだけにネット回線事業者に任せず、自社だけの安定した回線を求める大企業は後を絶たない。

 その結果が現在の混沌とした熾烈なパイの奪い合いである。


 古い常識にあてはめれば政府が統制して然るべきものだが、現在においては政府も参画企業プレイヤーのひとつにすぎない。急速に肥大する企業の権勢はもはや政府が統制できる範疇を踏み越えている。



「それに“特典”もね。こんなものもらっても、市井の一般人には何の得もない。むしろ危険なだけですよ」


「ふ……。まあ、そうだな」


「私が何度この“特典”ポイントを譲渡しろと脅迫を受けたことか。本音を言ってしまえば、とっとと誰かに押し付けてしまいたかった」



 ペンギンリーダーはくちばしでストローを咥えてずずーっとアイスコーヒーを啜る。



「これでようやく肩の荷が下ります。こういうものは然るべき人間が管理しておくのがいい。ペンデュラム、貴方がそれにふさわしいことを祈りますよ」


「ああ、任せてくれ。必ず期待に応えよう」


「よかった。どれ、それでは契約といきましょう」



 ペンギンリーダーは契約書に電子署名を行う。

 ゲーム内で交わされる契約書でありながら、それは現実にも法的拘束力を有する代物であった。この時代において、もはや現実リアル仮想ネットの壁がほぼ失われつつある証左といえよう。


 署名に臨むペンギンリーダーは、ようやく肩の荷が下りた安堵と、他社の傘下に入らねば生き延びられない無念が入り混じった複雑な溜息を漏らす。


 契約書を受け取ったペンデュラムは、シロと共にそれを確認して頷いた。



「確かに。これで貴方がたは私の庇護下に置かれます」


「確認しておきますが、あくまでも【トリニティ】のペンデュラムの庇護下ということです。【トリニティ】の他のクランメンバーの傘下に置かれるわけではありません。他の【トリニティ】幹部から出撃要請を受けても、それに従う必要はありません」



 横からのシロの補足に、ペンギンリーダーは頷きを返した。



「ええ、たとえば貴方の弟君……牙論氏には、ということでしょう?」



 目を細めて軽く頷くペンデュラムに、ペンギンリーダーは小さく笑みを浮かべる。もうペンギンアバターにはつっこまねえからな。



「わかっていますとも。ですがそれは牙論氏は我々をも襲いかねないということ。もしものときは庇護をお願いいたしますよ」


「無論だ。逆にもしものときには、我々の側に立って戦ってもらいたい」


「もちろんです。義務は果たしましょう」



 そんな合意をしつつも、ペンデュラムにはこの場での約定にどれだけの意味があるだろうかという思いもある。牙論に説得された者は、みな魔法にでもかけられたように彼の味方をするようになってしまうからだ。



(……たとえそうだとしても、数少ない味方を得る機会を無駄にはしない)



 ペンデュラムは説得の機会を逃すつもりはない。味方を得る機会を諦めてしまえば、負けることが確定してしまう。

 スノウから得た“味方を活かす”という教訓を有効に使わなくては。



 ともあれ、これで契約は成立した。



「さて。では私はこれで失礼しますよ。さっそく安堵していただいたキザキ雪原ですからね、たっぷり滑らせてもらいましょう」


「ああ、少し待ってもらいたい。手土産を用意した」



 短い脚でぺたんと椅子から降りたペンギンリーダーの背中に、ペンデュラムが声を掛けた。

 事前に手渡された契約書になかった内容に、ペンギンリーダーは訝しげな顔をしながら振り返る。



「手土産……ですか?」


「ああ、これだ」



 そう言いながらペンデュラムがインターフェイスを操作して、映像を立体投影する。その内容に、ペンギンリーダーと副官が音を立てて机に詰めかけた。



「こ……これは!?」



 そこに映されていたのは空を裂いて飛翔する小さなエアボートと、そこから延びるワイヤーを腰に括り付けてスキーで空を飛ぶ【鉄十字ペンギン同盟】の機体だった。

 雪に覆われた山々を眼下に、空中ジェットスキーによって蒼穹の空を駆けるペンギン機。これまでにない光景に、ペンギンリーダーはわなわなと震える。



「なんです、これは……!?」


「“グラビティスキーレッグ”と“ジェットエアボート”。グラビティスキーレッグには軽度の重力操作能力が搭載されており、雪上のようにしっかりとした足場を実現。文字通り“空を滑る”ことが可能だ。推進力はジェットエアボートが担保する」


「ジェットエアボートには脳波による遠隔操作機能が搭載されています。これによって最速で時速300キロを維持しながら、機敏な小回りが可能ですよー。ジェットスキーの爽快感と、スキーの直感的な操作を両立した新時代のVR空中スキーなんです」


「VR空中スキー……!?」



 ごくり、と2人のペンギンが唾を飲み込む。

 かつてないスポーツの登場に、胸が高まっていた。


 期待通りの反応を示すペンギンリーダーたちに満足げな笑みを浮かべながら、ペンデュラムは語る。



「先日我々は“怠惰スロウス”系統のレイドボスを撃破した。それによって、新たに重力操作系統のパーツが開発可能になったのだ。もっとも、これはまだ技術ツリーの解放段階としては少し先にあるためイメージ映像だ。ツリーとしては行き詰まりにあるし、実用できる部隊も少ないとして開発優先度も高くない」


「そ、そうですか……まあそうでしょうな」



 クエーと肩を落とすペンギンたちに、ペンデュラムは笑いかける。



「だが、諸君らが望むのであれば私の肝煎りで開発させることが可能だ。成果物を諸君らに贈与することもな。ただし……」


「対価を支払えと。私たちが空を滑ることを望むのであれば、忠実な猟犬として参戦しろというのですね?」



 じっと見つめてくるペンギンリーダーの視線を、ペンデュラムは正面から受け止める。ペンギンリーダーの視線は先ほどまでと違い、今度こそペンデュラムの資質を見極めようとしていた。



「そうだ。参戦するのはこの装備を贈与された者だけで構わない」



 どうだ……?

 ペンデュラムは密かに唾を飲み込む。

 彼にとっては、今日の本題はこれだった。降伏勧告など確実に成立させられる自信があったが、これは別だ。


 ペンデュラムはどうしても自分のために戦ってくれる戦力が欲しい。

 ペンギン兵たちの雪上での強さは折り紙付きだ。見逃す手はない。

 だがペンギン兵たちは必要のない争いを好まない。余程魅力ある提案ができなければ、彼と共に戦ってくれるとは思わなかった。


 そこで前回の戦いを通じて得た適材適所という教訓を踏まえて考えたのが、自分を苦しめたペンギン兵たちを空を滑る航空戦力として活躍させるという発想だった。

 スノースポーツに執着する彼らならば、この提案を受け入れてくれるのではとみたが……どうだろうか?



「ペンギンに空を飛ばせるとは諧謔ユーモアに満ちている、気に入りました」


「おお! では……!!」


「我々【鉄十字ペンギン同盟】はこれより閣下の戦力となりましょう。どうぞ自由に使っていただきたい。信頼が失われない限りにおいて、貴方の往くところ我々は空を裂く刃となって舞い降りましょう」


「ありがたい!」



 ペンデュラムは席を蹴立ててペンギンリーダーの手を握った。

 ん? 手……? 羽……? くそっ、また突っ込んじまった!!



「その代わり、空中スキーはたくさん用意してくださいよ? ぜひやってみたいとクランメンバーがこぞって手を挙げるのが目に見えていますからな」


「ああ、もちろんだ。こんなに心強いことはない!」



 悪戯っぽくウインクするペンギンリーダーに、ペンデュラムが頷く。


 こうしてペンデュラムは敵対クランから領地を得て、クランを傘下に収めただけでなく、強力な私兵を手に入れるという大金星を挙げた。

 ここからしばらくの間、ペンデュラムは空中スキー開発案を通すために【トリニティ】内部での暗闘を繰り返すことになる。






「……ところで気になっていたのだが……。諸君らの機体が『クワワワワワワ』と合唱する機能は何のために搭載されているのだ?」


「えっ? だって楽しいじゃないですか。みんなでクワクワ鳴きながら滑るのは一体感があって最高ですよ! そうだ! 閣下の軍にも取り入れてみては!?」


「え……遠慮するわ……」



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あとがき特別コーナー『教えて!ディミちゃん』


回線速度が日によって左右されるということは、俺が負けたのもラグのせいだよな!


ご安心ください、『七翼のシュバリエ』は常に7G回線接続でのゲームプレイが可能なタイトルとなっております。


また、VRポッドはグレードによって快適性や筋力維持機能などの副機能に差がありますが、ゲームプレイに関しては一切性能差が設けられていません。


つまり貴方が負けたのは完全に貴方の実力以外の何物でもなく、ラグのせいにするのは超みっともない行為です。


もっと腕を磨いて出直しましょう。もしくは課金をオススメします♥

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