第60話 首輪付きの魔狼
いつもの時間に間に合いませんでした……。
今回は【氷獄狼】側のお話です。
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【
クランリーダーであるヘドバンマニアが、従属勧告を受け入れたのである。
これまでにもその誘い自体は何度もあった。事実上の降伏勧告を受け取るたびに激怒していたのは、アッシュたち構成員だ。ヘドバンマニア自体はいたって平静を保ち、そのたびに言葉を選びながらやんわりとそれを断ってきた。
アッシュたちは言う。
「またかよ、あのクソども! 素行が悪いプレイヤーだからって追い出しておいて、力を付けたら手綱を握ろうってか? ざけんじゃねえぞ!」
そんな彼らの言い分をもっともだと感じながら、スカルには申し出を送ってくる企業クランの連中の考えがわからないでもない。
要は統制の問題である。
命令されるのを嫌う扱いにくいプレイヤーは確かに企業クランにいられては邪魔になる。だが、彼らプレイヤーを統制してくれる人間がいるのなら話は別だ。
温厚なヘドバンとスカルは、アッシュたち扱いにくいプレイヤーのまとめ役となり、趣味プレイヤーでありながら企業クランと張り合えるほどの大手クランを築き上げている。彼らが統制してくれるのならば、【氷獄狼】を手駒として十分に扱えるではないか。
つまり彼ら自身は必要ないが、ヘドバンがリーダーを務める傭兵集団としてならば十分に利用価値があるという判断だった。
そこまで考えて、スカルはとても不愉快な気分になる。彼ら企業クランの視点は、人間を人間として扱っていない。それは駒として人間を見る考え方だ。
俺たちは自由な人間としてここにいる。それを自分たちの在り様によって主張したいから、自分たちは【氷獄狼】の旗のもとに賛同する仲間たちを集めてきたのだ。
だから何があっても、自分たちの誇りのために降伏勧告など受け入れられない。
今回も、いつもと同じはずだった。
何度断ってもしつこく傘下に入ることを勧めてくる【トリニティ】のカイザーに、ヘドバンがやんわりと断って、それで終わり。
しかし今回は実際に会談の席を設けるので、そこで直に話さないかという。
スカルもアッシュも、そんなものに出る必要はないと主張した。
しかしヘドバンは、相変わらずおっとりとした態度で首を横に振ったのだ。
「いや、ちゃんと顔を見て話してくるよ。俺たちの主義もきちんと説明して、それで納得してもらってくる。そうすればもうしつこく言ってこないだろう」
「だが罠かもしれねーぞ?」
「あはは、罠って言っても何ができるんだい? ここはVR空間だよ? たとえ拘束されたって瞬間移動すればいいし、拷問を受けたって痛覚がフィードバックされることもない。
それもそうか、と思って彼を行かせてしまったことをスカルはずっと後悔することになる。
「今日から【氷獄狼】は【トリニティ】の下位クランになることになったよ。もう調印も済ませてきたんだ。みんなもこれからはカイザーさんの命令をよく聞くんだよ」
戻ってきたヘドバンは、すっかり【トリニティ】の……いや、カイザーのシンパになってしまっていた。それが発覚したのは、匿名掲示板を見たアッシュとスカルが問い質してすぐのことである。
「……何言ってんだヘドバン? 俺らは誰にも縛られず、自由気ままに遊ぶのがモットーだったんじゃねえのか?」
目を丸くしたアッシュが、様子がおかしいヘドバンに詰め寄る。
しかしヘドバンは熱に浮かされたような目をして、こう言った。
「アッシュ、そんなものよりももっと大切なものがあることに気付いたんだ。カイザーさんの思想は素晴らしい。彼こそこれからの世界を担う人なんだよ。彼の手足となって働くことで、世界はもっとよくなるんだ。現実と仮想が混ざり合いつつある世界には、新しい指導者が必要なんだよ」
「そんなもの、だと……!?」
「ヘドバン……お前ちょっとおかしいぞ? なんか宗教にかぶれたみたいになってる。しっかりしろよ、ゲームだぞ……世界を担うとか指導者とか、どうかしちまったんじゃねえのか」
絶句するアッシュに代わり、スカルがヘドバンの肩を掴んで揺さぶる。
だがヘドバンはにっこりと笑って、ゆっくりと首を振った。
「そうじゃない、そうじゃないんだよスカル。これはもうただのゲームなんかじゃないんだ。俺たちは現実に浸食する戦争の真っただ中にいるんだよ。これは経済を、インフラを、文明を、そしてこれからの世界の行く末を左右する戦争なんだ。それもわからずに、ただのゲームと思って参加していた俺たちが子供だったんだ。力を持つ者にはそれを正しく使うための義務が発生するんだよ」
「…………」
スカルとて副クランリーダーである。領土の取り合いによって現実のインフラに影響が発生することも、企業クランが経済戦争を行っていることも知っていた。クランリーダーには現実に“特典”が与えられることも。
だが、ヘドバンと共に「それがどうした」と笑い飛ばしてきたのが彼らだ。仮に現実に影響が出たとしても、それは自分たちには関係ないことだ。
運営が勝手にゲームの勝者に景品を与えていたとしても、慾に目が眩んだ連中がそれを目当てに争っていたとしても、自分たちは気にしない。むしろ莫大な利権をそうやって笑い飛ばすことに、爽快感を感じていた。
それを今更、力を正しく使う義務だと?
「ふざけてんのか? 俺らがそんなタマかよ。好き放題に暴れるだけ暴れ、略奪したいだけ略奪する。誰にも縛られず、自由に過ごす。それが【氷獄狼】のポリシーだっただろうが」
「可哀想に」
詰め寄るアッシュに、ヘドバンは哀れみの視線を向けた。理非もわからずに暴れる聞き分けのない幼子を見るかのような目。
「俺も今日までそう思っていた。だがそれではいけないことを、カイザーさんが教えてくれたんだ。正しく力を使う方法を自分たちで判断できないのなら、それを知る者に教えを乞うべきなんだよ。彼こそがふさわしい指導者なんだ」
「……なんだ、その眼ッ……!」
見下されたと感じたアッシュが、瞬間的に沸騰する。
「ふざけんじゃねえぞアホが! ペテン師にまんまと騙されやがって! 何が指導者だッ! テメエが掲げた看板に込めたプライドを腐らせて、何を囀ってんだよ!」
パアンッ!!!
アッシュの右頬が強く張られて、その衝撃のままに床に倒れ込む。
暴力を振るわれたアッシュは、呆然とヘドバンを見上げた。
「ガキがッ!! 言うに事欠いて、カイザーさんを悪く言ってんじゃねえぞボケッ!!」
「がッ!?」
顔を真っ赤に紅潮させたヘドバンは、倒れ込んだアッシュの腹を何度も靴の先で蹴り付ける。
無論、VR空間なので痛みはない。しかし前作時代からを通じて兄のように慕っていたヘドバンから暴行を受けたという事実を受け入れられず、アッシュはなすがままに蹴り付けられるままになった。
同じく信じられないことに一瞬呆然としていたスカルは、すぐさま我に返ってヘドバンを羽交い絞めにして制止しようとした。
「何してんだ!! やめろ! やめねえか!!」
「ああッ!? 止めんのかスカル!! テメエもか! テメエもカイザーさんを悪く言おうってのか、アアッ!?」
「ヘドバン……」
喚き散らすヘドバンの凶相。目が真っ赤に充血し、その瞳孔は開き切っていた。
明らかにこれまでの温厚な彼ではない。一日にして人が変わったようだった。
スカルはその眼光に身震いし、ごくりと唾を飲み込む。
(洗脳を受けている……? 何かのプログラムがあるのか? いや、バカな。これはゲームだぞ。いくらリアルそっくりだと言っても、そんな機能があるわけない)
VRゲームは所詮ゲームだ。
ゲームが現実のプレイヤーの思考に影響を及ぼすなんてことがあるわけがないのだ。そんな事実があれば、とっくに社会問題になってVRポッドなど販売中止になっているはずだ。
VRポッドが出回り始めた数年前から触れてきたスカルも、そんな事実は聞いたこともなかった。
「離せ! 離せよ!!」
「アッシュをこれ以上傷つけないと約束するならな」
「チッ……クソが。おい、アッシュ。二度とカイザーさんに逆らうなよ」
床に倒れたまま嗚咽を漏らすアッシュを、ヘドバンは憎々しげに睨み付けた。
ぽたぽたと雫が床を濡らす。
それを見ながら、スカルはゆっくりと頭を振った。
※※※※※※
それから1週間で【氷獄狼】はすさまじい速度で様変わりしつつあった。
【トリニティ】からの技術供与と資金提供によって、一気に構成員の機体は強化されていく。
元々【氷獄狼】は構成員が多い大手クランではあったが、レイドボスの撃破ではなくクラン対抗戦ばかりやっていたので、技術ツリーの発展が遅れていたのだ。その技術格差は最近になって目につくようになり、武器やパーツの性能差で負けることも多くなっていた。その問題が一気に是正されたのだ。
クランの唐突な路線変更に反感や戸惑いを抱く構成員は多かったが、武器やパーツが一気に強化されたことにはみな喜んだ。元々“力こそ正義”を地で行くアホが多かったので、機体が強化されたことで不満を抑えこんだ形である。
それでもクランの路線変更に不満を抱く者については、ヘドバンマニアが直々に面談を行った。
スカルの目からすると不気味極まりないことに、ヘドバンが部屋に連れ込んだメンバーはみな熱心なカイザー信者になってしまった。まるでヘドバンの瞳に巣食った熱が伝染したかのように、カイザーを褒め称えるのだ。
今は教会で日曜日にミサが開かれるように、ヘドバンがカイザーの思想を伝える勉強会を夜な夜な開催している。信者が新たな信者自発的に増やしたがるように、友人を勉強会に連れ込んではシンパを増やしつつあった。
(たった1週間で【氷獄狼】は別物みたいになっちまった……)
信者が新たな信者を勧誘する姿を眺めながら、スカルはため息をついた。
その横ではアッシュが元気のない顔で肩を落とし、コーヒーを啜っている。
彼に目を向けて、スカルは尋ねた。
「……お前、これからどうする」
「どうするも何も……ここにいるよ。ヘドバンが正気に戻るかもしれねーし」
「そうか」
落ち込むアッシュを見て、らしくないなとスカルは思う。
前作では妹分、今作では弟分のこいつが何か元気になることを言おうと、スカルは口を開いた。
「そういえば、昨日掲示板で見たんだが……【
「へえ。あいつらは変わらず元気みたいだな」
アッシュが力なく笑みを浮かべる。
【騎士猿】は【氷獄狼】にとっての宿命のライバルである。
大手クランとして実力が拮抗していたのに加えて、趣味プレイヤーの集団であること、そして“自由にやりたいことをやる”というモットーが似通っていた。
違う点といえば、プレイヤーの傾向であろうか。
どっちも
モラルに自由なのか、熱意に自由なのか。
その点が大きく異なるために住み分けがなされ、だからこそお互いに相いれない
だが、プレイヤーがその壁を乗り越えられないというわけではない。
ときにはプレイヤーが相手先のクランに移籍することもあった。
【氷獄狼】がこうなってしまった今、【騎士猿】に移籍するプレイヤーも出てくることだろう。
「その【騎士猿】のレイドボス狩りに、お前がご執心のシャインが雇われたそうだ」
「マジか!!」
アッシュが顔を輝かせ、ガタッと立ち上がる。
そしてすぐに我に返ったように椅子に座り直し、不機嫌そうな顔を作った。
「ケッ、あのガキ最近はどこにでも顔を出しやがってよ。調子くれやがって、マジでムカつくぜ! 今度という今度は身の程を教えてやらねえとな!!」
「フフ……お前は本当にあの子が好きなんだなあ」
「ハァ!? ナメたこと言ってるとスカルでも容赦しねえぞ!!」
牙を剥き出した狼のように、ガルルと喉を鳴らすアッシュ。
スカルはわかったわかったと頷き、ソーセージを頬張るとビールで流し込んだ。アルコールの酔いがプレイヤーにフィードバックされることはないが、味は現実のビールそのものである。
「だってあいつムカつくだろ? スカルだってあいつに何十回とリスキルされてるしよ。人の心がねえ。あんな凶悪なプレイヤーは野放しにしてちゃいけねーよ」
「まあ俺は正直別に……といった感じだがな。相手を殺すんだ、殺されもするさ」
「坊主ってのは中途半端に悟ってんな」
「坊主じゃねえよ」
スカルは確かにアバターはドクロをモチーフにしているし、リアルもハゲだが、僧侶というわけではない。
リアルでは食品管理に関する仕事に携わっているため頭を剃り上げており、「寺の息子だから」とか「人間に食べられる動物を供養するため」とか周囲からいろんな噂を立てられて困っている。僧侶ではないというのに。
だが……もしかしたら自分が、いつか【氷獄狼】を弔う役目を担うことになる日が来るのかもしれないな。
発展を遂げ活気に満ちる【氷獄狼】を見ながら、なぜか彼はそんなことを思った。
「……レイドボスに横殴りすっか、アッシュ」
「やるやる! おっしゃ、なんか元気出て来たぜ!!」
狼が尻尾をぶんぶん振り回すように、アッシュが歓喜の表情を見せる。
その笑顔に微笑みを返しながら、スカルは呟く。
「【騎士猿】の邪魔をしてやりたいし、恐らく奴らが狙うのはまだ討伐報告がないウィドウメイカーだろう。寡占技術を得れば、ウチの影響力も大きくなる……」
そうなれば、【トリニティ】から一方的な子分扱いされにくくなる。
ヘドバンもカイザーへの傾倒を控えてくれるかもしれない……。
スカルの淡い期待を胸に、【氷獄狼】がその牙を剥こうとしていた。
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