第118話 熟練の地雷姉テイマー

「師匠、折角だから私の家でお話しませんか?」



 先ほどの新宿での出来事からややあって、虎太郎と鈴夏は連れ立ってアパートに戻って来ていた。


 成人女性が中学生ほどの男の子を抱きしめて窒息させているという通報を受けたお巡りさんが、鈴夏を任意同行させようとする一幕もあって割とピンチだったが。虎太郎本人が学生証を見せて鈴夏は不審者ではないと説明したので、無事に誤解は解けたのだった。

 ……いや待て、鈴夏が不審者であることは誤解でも何でもない事実なのでは?


 ともかくお巡りさんから解放された2人は、そのまま電車に乗って自宅に帰った。お互い相手が隣人でなければ新宿で遊んだりお茶したりするつもりだったのだが、何せ見知った隣人。何度も夕飯を一緒に食べた仲だ。

 ちなみに夕飯を一緒に食べたのは貧乏学生同士で食費を折半して安く済ませるためである。お互いの懐事情はよーく熟知していた。

 昨日の2人の夕飯はもやしとちくわのカレー炒め、青春の味のびんぼー飯である。


 そして一緒に電車に乗って帰る間中、鈴夏はずっとニコニコして虎太郎のそばにぴったりくっついていた。

 なんなら歩くときは横に並ぼうとするし、腕を組みたがってそわそわしていた。


『師匠は恋人の別名じゃないんですけどねぇ?』とカメラの向こうでメイド妖精が不機嫌そうに吐き捨てていたものである。


 そして虎太郎はといえば、直感で鈴夏の危険性を悟っていた。

 まあ巨乳で窒息させられかけたら誰でもこの女はヤベーと悟って当たり前だが。

 いや、別に虎太郎とて鈴夏のことが嫌いになったわけではないのだ。

 ほんわかして優しそうだし、良い匂いがするし、おっぱい大きいし。

 正直昨日までは隣の優しいお姉さんとして憧れていた。


 ただちょっと蓋を開けたら人の話を聞かない暴走機関車だっただけで。

 致命的だな?



(まあ、この手の人の相手は慣れてるけどね)



 虎太郎は既にこの手のヤバい女の具体例を知っていた。

 そう、tako姉である。虎太郎の危険センサーは、鈴夏をtakoと同じ枠にカテゴライズしたのだ。

 およそ人類としてトップクラスの危険度であろう。


 他人の話を聞くつもりがなく、そのくせ自分のしたいことには妙に知恵が回り、感情の赴くままに他人を溺愛する一種のモンスターである。種族:地雷お姉ちゃん。



 さて、そこにきて鈴夏からのうちに上がって行きませんか発言である。

 もじもじと頬を赤らめ、ちらちらと虎太郎を横目で見ながら言ってくる素振りだけは可愛らしいのだが、どこからどう見ても危険度MAXとしか言いようがないシチュエーション。

 誘いに乗って家に入ったが最後、もう逃がさないぞって感じをぷんぷんと漂わせていた。


 しかし虎太郎はtako姉に愛されることにかけては世界でもトップクラスの実力者。この状況でもまだ余裕があった。

 tako姉に比べれば鈴夏などまだ可愛いものだ。主に腕力面と狂気面で。


 熟練の地雷姉テイマーの虎太郎は、当然こういう人物との付き合い方をマスターしていた。

 ほら、虎太郎君が早速実践しますよ。



「うん。じゃあ寄らせてもらいますね」


「やったあ!」



 完・全・服・従!

 お姉ちゃんが言い出すことは何でも笑顔でうんうんと聞いて機嫌とっとけという、tako姉との交流から得た知恵であった。

 大丈夫ですかね、食われますよアンタ。



『がるるるるるるる』



 ほら、ディミちゃんが街頭の監視カメラの向こうで不機嫌そうに缶入り電子ポテチをばりばりやけ食いしている。

 これが夜なら停電でも起こして邪魔してやるところだが、あいにくと昼間なので何もできず、監視カメラ越しに様子を見ることしかできない。



「どうぞどうぞ、狭苦しい部屋で恐縮ですが」


「先輩の部屋、僕と同じ間取りなんですけど……」



 そんなことを言われながら中に通された虎太郎は、ちゃぶ台に置かれている座布団に座った。


 ちりりんと夏の風が風鈴を鳴らす。

 効きの悪くなったエアコンしかないボロアパートに、少しだけ清涼な雰囲気が漂った。

 こういうのを飾るところはやっぱり女性らしさがあって好きだな、と虎太郎は思う。根がガサツな自分にはできない心配りだ。アバターでは女の子を演じていても、育ちまでは変えられない。



 そうして虎太郎がくつろいでいるのを横目で見ながら、鈴夏は狭いキッチンの冷蔵庫から麦茶のポットを取り出す。

 ポットからグラスにとくとくと音を立てながら、麦茶が注がれていった。

 そしておもむろに白い粉を取り出し、麦茶に入れる。


 サーーーッ!!



「お待たせしました! 麦茶しかないけど、いいですか?」


「『今何入れたの!?』」



 虎太郎とカメラの向こうのディミがハモりながらツッコんだ。


 鈴夏は不思議そうに小首を傾げながら、虎太郎の前に麦茶を置く。



「普通のお砂糖ですけど?」


「あ、なーんだ。砂糖かぁ」


「ええ、うちの実家はそうやって飲んでたもので。やっぱり麦茶にはお砂糖入れないと物足りませんよね」


「鈴夏先輩の家は入れるんですね。僕の家はやらなかったけど、地元に昔から住んでる人たちはやってたっけ」


『……砂糖!? 麦茶に砂糖!?』



 アハハウフフと笑い合う2人をよそに、ディミは未知の食文化に戦慄した。

 田舎だと麦茶に砂糖を入れる地域もあったりするが、都会っ子AIのディミには見慣れない文化だったようだ。



「それにしても、師匠は目ざといですね。私がお砂糖入れるの見てたんですか?」


「ううん、そういうわけじゃないんですけど、なんかサーッって耳慣れない音がしたから」


「そうなんですか。やっぱり師匠は勘が鋭いんですね。さすがです」



 鈴夏はパチパチと小さく手を叩き、ニコニコ笑顔で虎太郎をほめちぎる。

 そんな賛辞を、虎太郎はもじもじと腰をゆすりながら居心地悪そうに聞いた。



「あの、鈴夏先輩。その……僕に対して敬語を使うの、やめません?」


「どうしてですか? 私は弟子なんですから、師匠に礼儀を尽くすのは当然ですよ」



 きょとんと小首を傾げる鈴夏に、虎太郎は困惑した表情を浮かべる。



「いや……弟子だ師匠だって、そんなのゲームの中の話ですよね。リアルだと先輩後輩の関係なわけで、むしろ僕が敬語を使うべきだと思うんですが」


「? リアルで1学年上なのって、そんな偉いかなぁ……? そんなの1年先に入学したら誰でも自動的になるんだし、ことさらに敬語を使われるような関係でもないと思いますよ」


「……いや、まあ言われてみればその通りなんですけど」


「そんなのより私を弟子にとって技術や考え方を手取り足取り教えてくれて、高価な機体もオーダーメイドで用意してくれた師匠の方がずっと偉いです! ここは先輩後輩より師弟関係を優先するべきかと!」


「ええ……?」



 虎太郎は理解不能なことを言われて眉を寄せた。

 しかし、鈴夏はこれで至極もっともな正論を言っているつもりなのだ。


 何故なら、鈴夏にとって『七翼のシュバリエ』は遊びゲームではない。

 父親の命がかかった戦いの場なのだ。

 そして、鈴夏は『七翼のシュバリエ』が企業間の経済戦争の盤面ボードであることを【アスクレピオス】での生活を通じて知っている。ここでの勝敗は7G通信を利用できるシェアに直結しているし、勝ち点を重ねることで破格の“景品”を得られるのだ。だからどの企業も躍起になってこのゲームに参画し、日々熾烈な戦いを繰り広げている。それはプレイヤーなら誰でも知っているべき常識だ。


 だから就職したらあっさり逆転する可能性すらある学校での先輩後輩の序列なんかよりも、現時点で実際に社会や生活に影響を与えるゲーム内の師弟関係の方が、鈴夏にとってはよっぽど重要だといえる。


 だが、虎太郎はそんな事情をまったく知らない。

 つい数か月前までネット文化が封鎖された“特区”にいたうえに、大学でもぼっち、ゲーム内でもぼっち。ネットにロクに触れてこなかったので、掲示板から情報を得るという習慣もない。

 そんな虎太郎だから、当然プレイヤーなら誰でも知っているはずの大前提をこれっぽっちも理解していない。

 このリアルとネットが融合しつつある新時代にも関わらず、未だにリアルとネットを切り離した世界観に生きている、前時代的な価値観を持った絶滅危惧種なのである。


 前提となる情報が食い違っているから、虎太郎は鈴夏の言っていることを正確に理解できていない。



(ゲーム内の師弟関係をこんなに重視するなんて。鈴夏先輩って、実はゲームが大好きだったんだなあ)



 そう思って、虎太郎はにこっと微笑んだ。

 虎太郎はゲーム大好きっ子である。まともにやったことがあるゲームなんて『創世前作』と『七翼』くらいのものだが、そこには鬱屈した現実とはくらべものにならないほどの楽しさが詰まっていた。虎太郎にとって、ゲームとは現実の辛さを忘れさせてくれる魅力にあふれた別世界なのだ。

 自分と同じようにゲームを愛している鈴夏に仲間意識を感じて、思わず笑顔がこぼれた。

 虎太郎の笑顔を見た鈴夏は、意味もわからずえへへと笑い返している。



「いいよ、わかった。鈴夏先輩がそこまで言うのなら、僕も先輩の言うことを尊重して、タメ口で話します」



 だが、虎太郎の言葉を聞いた鈴夏は、それじゃ足らないとばかりに首を振る。



「師匠、それじゃ中途半端ですよ。もっと馴れ馴れしくお願いします」


「えっ、慣れ慣れしく……って」


「もっとスノウちゃんらしく! メスガキっぽく生意気に、年上の威厳などまったく眼中にない感じに振る舞ってください!」


「はー!? メスガキじゃないが!?」



 思わずツッコんだ虎太郎の言葉に、鈴夏は顔を輝かせる。



「あ、いいですね! メスガキっぽいです、そんな感じでいきましょう!」


「メスガキっぽく言ったわけじゃないんですけどねぇ!?」



 なお、このやりとりを聞いていたディミちゃんはバンバンと机を叩いて笑い転げている。

 やっと笑顔になれたね!



「あと、私のことを先輩って呼ぶのもやめましょう! 『鈴夏』って呼び捨てにしてください!」


『あ゛?』



 何てことだ! さっきまで笑っていたディミちゃんの額に一瞬で青筋が!



「ええ……? 先輩を呼び捨てにするのはさすがにちょっと……」


「鈴夏って呼ぶの嫌ですか?」



 しゅんとする鈴夏の姿に、虎太郎はあわあわと手を振る。



「いえ、別に先輩の名前が嫌いとかそんなことは! でも、ちょっと不躾すぎるんじゃないかなって。学校での先輩の知り合いに見られたら厄介そうですし」


「ああ……確かに、それはそうですね。わかりました」



 虎太郎の意を汲んで、鈴夏は頷く。



「じゃあ『おい!』とか『お前!』とか『お茶!』とかでもいいですよ」


「昭和の頑固親父かよ!? いや、まあウチの父親もそんな感じの傍若無人なふるまいをしてたけども!」



 “特区”ではどういうわけか、妻子に横暴なふるまいをする男が多いのだ。文明水準を20世紀後半に固定したからといって、父親像まで昔に戻さなくてもよかっただろうに。もっとも、旧態依然とした社会に幻想を抱いて引っ越しを決めるような人間だからこそ、そんな古い父親像に憧れるのかもしれないが。


 虎太郎のツッコミを聞いた鈴夏は、きらきらと瞳を輝かせた。



「あ、先輩のところのお父さんもそんな感じなんですか? ウチの親もそうだったんですよ。なんだか似てますね私たち」


「……マジか、外の世界にもあんな親がいるのか……」



 虎太郎はうんざりと呟く。自由を求めて外へと飛び出したはいいが、傍若無人な父親というのは割と現代にもうようよしているものらしい。

 そう口にしてから、虎太郎は俄かに顔を曇らせた。

 思い出してしまった。


 そういえば、以前ジョンの父親に対して暴言を吐いて煽った気がする。

 どんなことを言ったのか覚えてないが、それでジョンはかなり怒ったはずだ。



「あー……」



 めちゃめちゃ居心地悪そうに、虎太郎はそわそわした。

 基本ゲームとリアルを切り離して考えているから、スノウはゲーム内でめちゃめちゃな悪行をするし、罵詈雑言を平気で言い放つ。いくら他人を煽ったところで、それは所詮ゲームだけのつながりの相手であり、回線を切ればそれまでだ。いわば旅の恥は掻き捨てという感覚に近い。


 だが、それがリアルでの友人でもあり、さらには師弟という身内ともなれば話は違う。基本煽りは脊髄反射でやっているので何を言ったかなんて次の瞬間には脳から揮発しているが、あれは結構なクリティカルヒットだった気がする。ということは、かなり根深く遺恨が残りかねない悪口だったわけで。


 謝った方がいいのは確かなのだが、わざわざ自分からそれをほじくり返すのもどうか。虎太郎は居ても立ってもいられない座りの悪さを感じた。


 そんな虎太郎を鈴夏は不思議そうに見ていたが、やがて合点がいったとばかりに、ぽんとたわわに膨らんだ胸の前で手を打ち鳴らした。



「ああ、もしかして私のお父さんのことを気にしてます? 前に師匠が私のお父さんの命の価値は5000円以下って言ったこととか」


「あ、ああ、うん」


『うわぁ、改めて聞くと本当に最低ですね騎士様!』



 僕そんなこと言ったのかと顔を蒼ざめさせながら、ぎこちなく頷く虎太郎。

 しかし鈴夏はあっけらかんと笑い、パタパタと手を振ってみせた。



「もういいんですよ、あれは。よくよく考えてみたら、うちのお父さんって確かにクソ親父でしたから!」


「『ええ……?』」



 あまりといえばあまりの発言に、逆に虎太郎とディミがドン引きした。



「だって聞いてくださいよ、師匠。うちのお父さん、まだ子供だった私を容赦なくしごいて、自分の拳法家としての理想像を押し付けてきたし。それに私が【アスクレピオス】に入るはめになったのも、お父さんがロクに貯蓄もせずに自分の夢だけ追い求めた末に、変な病気で倒れたせいなんですよ」


「えっ……どういうこと?」



 そして鈴夏は自分の身の上話をざっくりと語る。

 子供の頃から修行漬けの虐待同然の日々を過ごしたこと、父親が病気で倒れたこと、道場を守るために単身上京して【アスクレピオス】のために戦うはめになったこと、何もかもうまくいかずに困り果てていたこと。


 考えてみればまだ弟子入りしてわずか3日しか経っていないのに随分と身の上を話しすぎているようにも思うが、鈴夏の中では既に虎太郎は敬愛すべき師匠であり、世界で一番信頼できる人間という扱いになっていた。


 学校に腹を割って話せる仲の親友でもいればまだしも、鈴夏はぼっちである。単身上京してきたから、地元での友達の縁も切れている。スカウトマンはあの始末だし、鈴夏には相談できる相手なんて誰もいなかった。


 そこにのこのこ現れたのが、隣の部屋に住む合法ショタっ子だ。可愛くて素直で優しくて真面目そうでそれだけでも鈴夏的には満点なのに、なんと師匠になってあれこれ世話を焼いてくれるという頼り甲斐抜群の夢の物件なのである。

 都会のただ中で心細さに震えていた鈴夏は、全力で飛びついた。


 ぶっちゃけて言うと、心の中の天秤は既に『師匠>>>お父さん』で傾いている。現金な話ではあるが、いつも厳しくされた思い出しかない師匠お父さんよりも、いくらでも褒めてくれる師匠ショタの方がずっと嬉しい。

 愛でてよし、愛でられてよし、いっぱいよしよししてくれる夢の師匠に、鈴夏はすっかり夢中なのだった。


 そんなわけで鈴夏は何ひとつ包み隠さず、自分の身の上をぶちまけたのだ。



「なるほど……そんな事情が」



 鈴夏の話を聞き終えた虎太郎は、腕を組んで深く考え込んだ。



「で? その事情って、ボクに関係ある? ゲームにくだらない現実を持ち込むなって言っただろ」



 ……なーんて、スノウが赤の他人からそんな相談をされたらすげなく返すだろう。

 だがここは現実だし、相談してきた相手はもう身内になったジョンである。


 虎太郎は身内になった人間には親身に接するタイプなのだ。元からリアルの虎太郎は親切な性分だし、一度身内になった人間を見捨てないというのは【シャングリラ】の精神でもある。


 【アスクレピオス】のために働かないと、鈴夏の父親の命が危ないというのはまったくピンときていないが。ゲームでの成績が欲しいから病人の命を人質に取ってブラック労働で無理やりゲームさせるNGOとか、現実にいるのか? ホビー漫画に出てくる悪の組織かよ! とツッコミたくなる。

 鈴夏には悪いが、真面目くさった顔でそんなことを言われて噴き出しそうになった。本人は完全にそう信じ込んでいるようだし、必死にこらえたが。



(いくらなんでもそこは話を盛っているとしか思えないけど……。でも、鈴夏先輩がそいつらに脅されて【アスクレピオス】で酷い目に遭ってるってのはホントのことみたいだし)



 とにかくとっとと戦場で活躍するなり、上納金を支払うなりしないと、鈴夏の身が危うい。物納なんて言われて、せっかくバーニーにオーダーメイドで作ってもらった番竜を持っていかれるなんて展開になっても面白くないし。



「わかった」



 虎太郎は頷くと、腕組みを解いて人差し指を立てる。



「そういう事情なら、とっととひと稼ぎして上納金を払っちゃおう。ある程度の手ほどきをしたら、早速2人で傭兵働きをしにいくよ」


「……師匠もついてきてくださるんですか?」



 驚いたような顔で口にする鈴夏に、虎太郎はスノウそっくりの意地の悪そうな笑顔を浮かべた。



「当たり前だろ? キミにはボクの助手をしてもらうって言ったはずだよ。たっぷりとこき使ってやるから、覚悟しろよ。その代わり、ボクにちゃんとついてこれたらたっぷり分け前をあげる。その分け前で、【アスクレピオス】を見返してやるといい」


「…………!!」



 鈴夏の顔がぱああああああっと綻んだ。曇り空の切れ目から光が差し込んだかのように、劇的に表情の明度が変化していく。


 そしてちゃぶ台を素早く回り込んで、虎太郎に向かって勢いよく抱き着いた。



「師匠、優しいーーーーーっ♥♥ 私のこと、ちゃんと助けてくれるんですね♥♥」


「ち、ちょっと待って! 嬉しいからって胸で呼吸塞ぐのはやめて! お巡りさんが止めなかったらさっき死んでたから!!」



 力任せに巨乳に顔を埋めさせられる前に、虎太郎は必死に手を突っ張って抵抗を試みた。確かに柔らかいもので顔を塞がれるのは素晴らしい感触ではあるけども。だからってそれで窒息して死にたくはない。


 鈴夏は一瞬不満そうな顔をしたが、すぐにご機嫌な笑顔になってすりすりと虎太郎のおでこに頬ずりを始めた。



「はーい♥♥ あ、あとお願いがあるんですけど、さっきみたいに意地悪な感じで『たっぷりとコキ使ってやるから、覚悟しろ』って言ってくれませんか?」


「……なんで?」



 全力で愛でられながら、虎太郎は怪訝な顔をする。



「今のキュンッときたので。大丈夫です、変なことには使いませんから。録音して1日10回ほど聞くだけですから。あ、このアパート壁薄いので一緒に変な声聞こえるかもしれませんけど、気にしないでくださいね♥♥♥♥」


「……いや……なんか、嫌な予感がするのでちょっとそれは……」


「えー、いいじゃないですか~♥♥ 減るものじゃなし~♥♥」


「僕の尊厳が減らされそうな気がするんだけど……!? やっぱ離して!!」


「あっ! 待ってくださいよ~、師匠~♥♥」


「また夜に一緒に訓練してあげるから! ついてくるなーーっ!!」



 さすがに身の危険を感じた虎太郎は鈴夏の抱擁を振り払い、慌てて彼女の部屋を飛び出していく。

 虎太郎をもう一度腕の中に取り戻そうとする鈴夏が、甘い声を上げながらその後を追っていった。







『ああああーーーーー!! もうっ! こんなの見るんじゃなかった!!』



 一部始終を見ていたディミは、ころんとプライベートスペースにひっくり返った。

 赤い缶の中に残っていた電子ポテチをざらーっと口の中に全部放り込み、不機嫌そうにバリボリと噛み砕く。

 今日はお小遣いをはたいてヤケ食いタイムに突入だった。



『豪遊してやるーーーー!!』




 ……現代社会において、カメラはどこにでもある。街中にも、駅にも、電車内にも、それこそ個人の家の中にでも。

 AIがその気になれば、覗き見できない場所など存在しない。


 ディミに与えられているクリアランス・ホワイト二位管理者権限は、そうした行為を可能とする。

 それは一介のサポートAIが持つにしては、あまりにも過ぎた権限だろう。



 ぷりぷりと怒りながら、買いだめしておいたAI用の電子スイーツを手あたり次第貪るディミ。

 怒りのままに電子プリンを頬張る彼女は、随分と人間らしくなったものだ。


 人間性とは“罪業カルマ”である。

 今ディミが抱いている“嫉妬エンヴィー”もその“罪業”のひとつであることに、彼女は気付いているだろうか。

 “罪業”は決して人間と、かつて人間であったAIだけのものではない。



 “罪業”を学んだAIたちが、姿を現わす。

 新たなるシーズン時代の開幕は近い。

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