第49話 美少年、春の目覚め

 昼ご飯を食べ終わった早々に、早乙女さおとめ凛花りんかはちらりと遠く離れた席に座っていた坂本さかもと優也ゆうやに目を向けた。

 遠くのテーブルで友人たちと話していた優也は、少女の視線を受け止めて小さく頷く。それで意図は伝わったと判断して、凛花はさっさと食堂を出て行った。



「優也、飯食い終わったらさっさとサッカーしにいこうぜ! 今日は負けねえからな!」


「悪いけど今日はパス。ちょっと用事があるんだ」


「えー? なんだよ、用事ってさあ」



 口を尖らせる友人を、別の友人がたしなめる。



「おいバカ、やめとけよ。優也はほら、俺らと違ってモテるからさ」


「あー、なるほどね。いやあ、さすがは坂本センセー。羨ましいですなあ」


「やだな、そういうんじゃないよ」



 ニヤニヤと笑う友人の邪推に苦笑しながら、優也は昼食の残りをかきこむ。さっさと腹に収めると、食器を持って立ち上がった。




※※※※※※




「さて、と」



 優也はやや早足気味に建物を出ると、そのまま裏庭へ向かう。毎日サッカーで鍛えた俊足は、多少の早足でも十分なスピードが出る。


 毎日丁寧に世話された裏庭は、季節の花々が咲き乱れる美しい庭園だ。凛花の父親の寄付金によって整備され、多彩な植物が植えられている。

 そんな庭園の中心で、1人の少女がホースを手に植物に水を撒いていた。


 腰まで伸びた艶やかな黒髪で、前髪はぱっつんと整えている。後頭部には赤い紐を蝶々型に結わえてリボンのようにしている。肌は白磁のように白く、清冽な印象を与える。これで着物を着ていれば、まるで市松人形のような佇まい。

 ゲームの中のビスクドールのような姿とはまるで方向性が真逆のお嬢様だなと優也は思う。


 婚約者であり幼馴染でもある待ち人が来たのに気付き、凛花は気の強そうな瞳を彼に向けた。



「あら、やっと来たの。随分ゆっくり食べてたのね、優也」


「君の足が速いんだよ、凛花。サッカー部より早いってどうなってるんだろうね」


「私はいたって普通よ。他の人が遅いんだわ」


「自分を基準に考えるのはやめたほうがいいと思うよ」



 優也は薄く笑うと、庭園のそばに設置されていたベンチに腰掛けて長い脚を組んだ。色素の薄い髪はキラキラと陽光を反射してきらめき、端正な顔立ちが醸し出す雰囲気が周囲の春の花々と相まって、とても爽やかな風情をもたらしていた。


 日頃のスポーツで鍛えた体とのバランスもいい。まるでそこにいるだけで芸術作品として成立しそうだ。

 ゲームの中の安い金髪で繕ったチャラ男なんかよりも、こっちの方がずっと素敵なのになと凛花は思う。


 実際周囲からはとてもよくモテているし、ラブレターももらっているようだ。そんな彼に恋人ができないのは、ひとえに彼と凛花が婚約者であると優也自身が折りに付けて公言しているからであった。


 普通なら凛花にやっかみが向きそうなものだが、凛花自身もまた近寄りがたいほどの美少女であり、さらに気が強く、実家が多額の寄付をしており、本人が若くして武芸を修めているので、とんといじめられた覚えがない。


 あまり自覚がないようだが、割と完璧超人ぎみのカップルであった。

 もっとも、凛花本人はカップルだと周囲に思われたくないようだが。


 凛花はホースを片付けて、優也から少し離れたところに座る。

 そんな婚約者を見て、優也は苦笑を浮かべた。



「もっと近くに寄ってもいいんだよ? 俺たちは婚約者なんだから」


「私は今でも婚約解消したいと思ってるわ」


「ええ? 昨日は今後の2人の関係についてはゆっくりと考えようって言ったら、同意してくれたじゃないか」



 悲し気に首を横に振る優也に、凛花はツンとした表情を向ける。



「もちろん考えているわよ。婚約を解消する方向に向けて、ゆっくりとね」


「そっかあ。俺は結婚を成立させる方向に向けて、ゆっくりと考えているよ」


「それは決して交わらないんじゃないかしら?」


「人生は長いからね。君の考えが変わって、俺とぜひ結婚したいって思うようになるかもしれないじゃないか」



 優也はニコニコと春の日差しのような笑顔を浮かべながら、手を広げた。



「何しろ俺たちまだ小学生なんだ。結婚できる年齢になるまであと6年もあるんだよ。高校生くらいになればきっとイケメンになった俺に惚れるさ」



 サッカーチームのロゴがプリントされたシャツに、青い短パン。瑞々しいまでの若さと活力を全身の肢体に漲らせた美少年ショタがニコニコと笑う。


 そんな同い年の婚約者を、和風の可憐さを名門小学校の制服にパッケージしたような少女がため息をついて見返す。市松人形名門小学校制服verとしてフィギュアが売られてそうだ。



「あと6年もしたら、きっと私よりも素敵な女の子が現れると思うわよ? 花の世話とゲームしか趣味がない陰気な女よりも、きっともっと似合う女性と出会えるわ」


「それはないと思うな」



 優也は首を横に振って、にっこりと笑う。



「だってあと6年もしたら、凛花ちゃんはもっと魅力的な美人になるよ。そうしたら俺はもっと君に夢中になると思うんだよね」


「ばーか。口説き文句がよくポンポン口から出てくるわね。あんた将来きっととんでもない女泣かせになるわ」



 キラキラとした少年の瞳に見つめられながらの殺し文句に、さすがに少々顔を赤らめる凛花。肌が白いだけに、その紅潮が際立った。

 そんな少女を眺めながら、少年は小首を傾げる。



「ならないよ? 俺は凛花ちゃん一筋だからね。笑わせることはあっても、泣かせることはないんじゃないかな」


「ばっかみたい!」



 顔を見られないようにツンとそむける凛花を見ながら、優也は頬が自然と緩むのを感じていた。ここしばらく、2人でまともに会話することなどなかった。ましてやこんなに近くで笑ったり、からかったりなんてとてもとても。

 2人の関係性がこうまで改善されたのは……。



「うん、昨日戦ってよかった。スノウさんには感謝しないとね」


「スノウライト! あいつマジで許せませんわッ!!」


「口調口調」



 瞬間的にがるると牙を剥いた凛花に、優也が自分の口元をとんとんと人差し指で叩いてたしなめる。

 凛花はこほんとわざとらしく咳をすると、不機嫌そうな顔になった。



「あいつ、私がリミットモード切ったら逃げ回ったのよ! 普通は正面から戦い合う流れでしょ? あんなチキンな戦法で負けたなんて認めがたいわ! しかもなんだかよくわからない妖精みたいなのにアドバイス受けてたし、あんなのズルよズル!」


「自分で30秒間で勝負を付けるって言ったじゃないか。あの妖精みたいなのがいなくても、多分見破られて負けてたと思うよ」


「そんなことないもん! 絶対勝ってたもん!」


「そもそも能力値3倍ってのが破格すぎなんだよ。いや、むしろよく30秒も耐えられたもんだと思うよ。あの子本当にゲームうまいね」



 優也がそう言うと、凛花は腕を組んで何故か得意そうな顔をした。



「まあ、そうね! 本当は得意だっていうあいつの投げ技と、私の合気道のどっちが上か確かめてみたかったけど……まあ私と競り合えたのだから、なかなかのものだと認めてあげてもいいわ!」


「弓術は避けられてたもんねえ」


「あれはまだ私も本気じゃなかったの! 正面から撃ち合えば私が勝ってたわ!」



 唇を尖らせる凛花の拗ねた表情を見ながら、優也は可愛いなあと和む。

 幼馴染が妹を見る兄のような顔をしているのにも気付かず、凛花はまくしたてた。



「あいつがちょろちょろ逃げ回ったせいでとうとう投げられなかったけど、合気道を使えば私が勝ってたわ! だからあれは私の負けじゃなくて、ある意味ドローね!」


 凛花は普段あまり口数が多い方ではない。友達とのセリフもそうね、の一言で済ませてしまうほどだ。親に言われたことは唯々諾々と聞き、反抗も滅多にしない。

 それでいて多彩な才能に秀でており、親にたしなみとして勧められた華道、茶道、書道、弓術、合気道、薙刀術をさらりと身に付けてしまう。


 和風人形のような落ち着いた容姿と口数の少なさも相まって、ミステリアスな少女だと周囲に思われていた。幼い頃からの優也も、その本心をときどき捉えきれないことがあったほどだ。婚約者だと言われていたが、その接し方は妹に対するもののようで、正直優也はあまり乗り気ではなかった。


 そんな彼女が、ゲームの中の世界だと人が変わったようにおしゃべりになると優也が知ったのは最近のこと。


 現実リアルの自分とは正反対の西洋風お嬢様というアバター仮面を手に入れた彼女は、皮肉にも仮面を被ったことで素の自分をさらけ出せていた。

 好戦的で負けず嫌い、勝負の結果に一喜一憂し、傷付きやすく表情豊かで、負けてもいずれ挫けずに立ち上がる。

 現実の彼女が心の中に押し殺していた、その内面の鮮やかさ。その彩りを、優也は大好きになった。


 しかし優也がその好意を露わにすればするほど、なぜか凛花は嫌がって距離を取ろうとする。それが優也のここしばらくの悩みだった。

 それを解消してくれたスノウには、感謝しかない。いや、あのキックだけはちょっと思うところもあるのだが。



「凛花はスノウさんのことが随分気に入ったんだね」



 優也がそう言うと、凛花は目を丸くした。



「はあっ!? ありえませんわ! 誰があんな身勝手でちゃらんぽらんで、雇い主に攻撃するような嘘つきなんて!」


「そうかなあ。スノウさんのことになると、すごく楽しそうだよ」


「フンッ! 今度会ったら今度こそ容赦しませんわ! 絶対にギッタギタのズッタズタにしてさしあげてよ!」


「口調口調」



 はっと口を手で押さえる凛花を見て、優也はクスッと笑う。

 つまりまた会いたいってことなんじゃないか。



「あの子、どうやったら再戦できるかしら」


「私と戦ってくださいって依頼したら?」


「……でもあの子のデータがもっと欲しい。今度は完璧にデータを押さえて、再戦して確実に勝利を収めたいわね。一体どうしたらいいのかな……」



 あの子のことが気になって仕方ないんだなあ。

 優也は朗らかに笑いながら、こんな提案をした。



「そんなにあの子のことが気になるなら、ファンクラブでも立ち上げちゃえば?」


「ファンクラブ? どういうこと?」


「ファンクラブ会員を増やして、スノウさんの目撃情報を集めるんだよ。そうしたら情報が自然に集まってくるだろ? その情報を元に、対策を立てればいいじゃん」


「そ、それだぁ!!」



 凛花はガタッと音を立てて立ち上がると、白い肌を真っ赤に染めて興奮を露わにした。



「それなら私は指一本動かさずに情報を集められるわ! 優也はやっぱり天才ね!」


「ふふふ、ありがとう」


「あ……でも、ファンクラブって会員集まるかな……」


「大丈夫だと思うよ、なにしろ美人だし。とんでもなく尖った性格だから、良くも悪くも目立つ子だもの。ほっといても注目を集めると思うし、潜在的なファンクラブ需要はあると思う」


「でも、あの子性格めっちゃくちゃ悪いわよ?」


「だからそんなに執着してるんだろ?」



 優也は人差し指を凛花に向け、にっこりと笑う。



「単に腕が良いだけでも、顔が良いだけでもない。性格がとんでもなく悪いからこそ、逆にファンが付くということもある。ただ単に強いだけの相手なら感情のないCPU殴ってるのと変わらないじゃないか。負けて悔しい相手だからこそ、執着というものは湧くものなんだよ。それに」



 予想外の指摘を受けてぱちくりと瞳を瞬かせる凛花に、優也は鼻の下をこすった。



「悪ガキもあそこまで突き抜けられたら、いっそ爽快だよ。自分にない自由さを見出したからこそ、凛花ちゃんはあの子を気に入ったんじゃない? 俺もそうだよ。あの子には、あの自由さを失わないでほしい。だからファンクラブを作ることで、あの子を守れたらとも思うんだ」


「優也……」



 凛花は思わず優也の手を両手で取り、ぎゅっと握りしめた。

 思わぬ同志を見つけた喜びに、その瞳がキラキラと輝く。

 ぼっと顔を赤くする優也に構わず、凛花は勢い込んだ。



「私も同じ気持ちだわ! 作りましょう! いつかあの子に勝つ日まで、あの子を守るためのファンクラブを! 私が会長、貴方が副会長よ!」


「う、うん!」



 ドギマギしながらも、優也は頷く。

 凛花は彼の手を握りながら、やれやれ仕方ないなあと言わんばかりに肩を竦めた。



「何しろあの子ったら、社会のことなんて何もわかってなさそうなんだもの。いつか悪い大人に騙されて、家に押しかけられたり誘拐されたりするんだわ! 同年代のよしみで、私たちが守ってあげなくっちゃね!」



 おやぁ?



「うん、そうだね。少なくともあの子が中学生以上なんてことはまずないと思うよ。あの社会常識の皆無さは、絶対に小学生だよ。多分3年生くらいかな?」


「私たちはもう6年生だものね。年下は守ってあげなきゃ!」



 【悲報】スノウライトさん、小学生に年下だと判定されるwwwwww



 盛り上がる凛花はワクワクした表情を浮かべる。



「さあ、そうと決まれば何から始めよう!?」


「とりあえず【白百合の会】や【俺がマドリード!!】内部から会員を募ろうか。スノウさんと戦ったことがあるクランから範囲を広げたいな。専用のチャットチャンネルも作って、情報を共有しよう」


「ゆくゆくは会報を出したり、まとめ動画なんかも作って布教したいわね!」


「それはおいおいね。まずは人集めだ」


「うん!」



 そんな会話をしながら、ふと優也は凛花の足元に目を向けた。

 制服のスカートと黒いハイソックスに挟まれた、陶器のように白い太もも。



「…………」


「優也? どうしたの?」


「あ、いや!」



 食い入るように見つめていた優也は、凛花に声を掛けられてハッとしたように目を離す。なんだか落ち着きがなく、挙動不審な様子だった。

 熱でもあるのかな、と凛花は少し心配そうな表情を向けた。

 心臓のあたりを右手で押さえながら、優也は頭を横に振る。



「な、なんでもないよ! 本当になんでもないから!」


「そう? ならいいけど……あ、そうだ。そういえばあのサッカーゴッドのアバター、本当にすごく趣味悪いから早く変えてね。あれが副会長とか正直ないから、ファンクラブやるなら整形と改名よろしく」


「えっ!? カッコいいでしょ!?」


「心底カッコ悪い。大人に憧れるのはいいとしても、あんなのが理想の大人像とかヒく。本当はサッカー趣味全開もどうかと思うけど、それはまあ見逃してもいいわ。とにかくあのチャラ男アバターはダメ。サッカーだけにして」


「うう……」



 しゅんと頭を下げて落ち込む優也。

 そこにキーンコーンカーンコーンと昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。



「あっ、昼休み終わっちゃった。まだ水を撒き終わってないのに……しょうがない、放課後にやろうかな。さ、行きましょ優也!」


「あ、待ってよ凛花ちゃん! だから足速いよぉ!」



 深窓の令嬢のような外見に似合わない健脚で前を走っていく凛花。

 その後を追いかけながら、優也はちらちらと彼女の白い太ももに目を向けた。


 結局彼は口に出すことはなかった。言ってしまうと、2人の関係は確実に壊れるとまだ幼い彼にも理解できたから。



(……凛花ちゃんのあの綺麗な脚で踏まれたら、どんな気分なのかな……。スノウさんとどう違うのかな……)



 一瞬昨日のバトルでシャインに踏まれたことを思い出し、ぞくぞくと背筋を震わせる優也。それがどんな意味を持つのか、この絶世の美少年はまだ知らない。



 メスガキに性癖を狂わされた者が、ここにまた1人。

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