第106話 シャングリラ

今日も仕事で外出してたので19時オーバーしちゃった。

今回ちょっと陰惨な描写があるので注意してください。


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「ねえ、【シャングリラ】はいつ再結成するの?」



 上目遣いでそう訊いてきたスノウに、takoは何も答えなかった。

 質問に答える代わりにスノウの頭をもうひと撫でする。



「あの妖精の子、連れてこなかったのね」


「ああ、ディミ? うん、誘ったんだけど何だか怯えちゃってて、機体の中で留守番してるって」


「あら~、私が怖いって言ったの?」


「うん。変だよね、tako姉はすごく優しいのに」



 そう言って、スノウは安心しきった様子でtakoに微笑む。



「ふふ、ありがと。シャインちゃんはやっぱり可愛いなぁ~」


「やっぱりtako姉もそう思う? このアバター、作るのに丸一日以上かかったんだよ。すっごく可愛いでしょ? ボクも会心の出来だと思ってるんだ」



 アバターを褒められたと勘違いしたスノウが、えっへんと薄い胸を反らす。



「そういうところが可愛いのよね~。ふふっ、えらいえらい」


「えへへ」



 何を褒められたのかよくわからないながらに、takoに頭を撫でられて照れ笑いを浮かべるスノウ。

 中の人虎太郎には自分の性格が年上受けするという自覚がまるでない。むしろ自分のことをいっぱしの男だと思っている節があった。

 そうした部分もまた、takoの琴線にビンビンに触れるのである。


 ……なんだかえらいえらいと褒められるままふにゃーと流されそうな雰囲気を出していたスノウだが、しばらくして露骨に話題を逸らされたことに気付いた。



「tako姉、それより【シャングリラ】は? みんなもここにいるんだよね。いつ活動を再開するの? それとも、ボクが知らないところでもう動き出してるの?」


「……」



 takoは眉を寄せ、困った顔を作ってみせる。



「その話、どうしても今しなきゃダメ? 私はもっとシャインちゃんのお話を聞きたいな~。今どこに住んでるのかとか、学校で何を勉強してるのかとか、どんな暮らしをしてるのかとか」


「今してよ! これまでどこのクランにも加入しなかったのは、【シャングリラ】に合流するためだよ。だってボクは【シャングリラ】のトップ7だもん。どのクランでもない、【シャングリラ】だけがボクの本来の居場所なんだから!」



 スノウがそう迫ると、takoはどこか嬉しさが滲み出るような苦笑を浮かべた。



「そっか。そうだよね。シャインちゃんも、【シャングリラ】は私たちのおうちだと思ってくれてるよね」


「当然だよ。私たちは家族だって言ってくれたのはtako姉じゃないか……」



 【シャングリラ】が他のクランとは一線を画する部分。

 それは構成員が疑似家族と呼べるほど強い絆で結ばれている点にある。


 インターネットとの接触が法的に禁止され、あらゆるサブカル文化が言論統制されている“青少年の健全なる文化育成に基づく特別行政区”、通称“特区”。

 そこはこの30年間の急激なインターネット文化の成長に対する反動によって形成された、反ネット思想を持つ人々の居住区。【ネットが存在しない人間本来の生活を守る】というお題目のもと、法の厳重な監視のもとに“健全”な青少年育成が行われている地域だ。


 その根幹は「ネット社会は人間本来の在り方を腐らせ健全な人間関係を破壊する、だから政府は我々にネットのない生活を送る権利を保障するべきだ」などという、普通ならば一笑に付されて終わるような狂った思想。だが、ネットの発達に伴って急激に変わりゆく社会に対して、忌避感を抱いている者は予想外に多かった。これには“ジャバウォック事件”と呼ばれる、世界中に多大な影響を及ぼしたサイバー犯罪事件による影響が大きかったとされている。

 ともあれこのバカげた提案は国会を通過し、現実のものとなってしまう。そして政府にとっても、反ネット主義者を僻地へと社会的に隔離できるのならばいっそ都合がよかったのだ。


 こうして反ネット主義者たちは、念願のネットのない健全な社会で家族と共に幸せな生活を過ごすことができる権利を勝ち取った。まるで20世紀後半に戻ったかのような、人情味あふれるコミュニケーションを楽しめる素敵な毎日よこんにちわ。

 ここは人々が毎日顔を突き合わせて、人間本来の自然な生活を過ごせるユートピア。

 悪影響を及ぼす邪悪な文化から子供たちを遠ざけて、幸せな社会を築きましょう!


 悲惨なのはそんな親のエゴでディストピアに付き合わされた子供たちだ。

 ゲームもねえ。マンガもねえ。アニメは夕方再放送。通信手段は電話だけ。

 それでもそれが当たり前の社会なのだと信じこまされているならよかった。

 もっと悲惨なのは、外の世界には多種多様な娯楽が溢れているのに、親のエゴのせいでそれを取り上げられていることを知ってしまった子供である。


 禁止されているからこそ、その味はより甘美に思えるものだ。

 彼らはどうにかしてゲームやアニメ、サブカル文化といった魅力的な刺激を味わえないものかと考えた。

 その結果、警察の目をかいくぐって地下ネットカフェなる闇営業が誕生した。


 【シャングリラ】はその地下ネットカフェのひとつを母体とするクランである。


 何しろネット文化は法的に禁止されており、警察によるガサ入れが入ったら一巻の終わりだ。

 だから地下ネットカフェ関係者の口は堅い。彼らは決して身内を売らない。裏切るならお前のコレクションをかーちゃんの前にぶちまけられる覚悟をしろ、とは現地の地下カフェ関係者の決まり文句である。


 その中でも【シャングリラ】構成員の絆の強さは折り紙付きだ。

 彼らのほとんどは、家族仲が冷え切った家庭の出身者という共通点を持つ。


 それはたとえば、ゲームをすると頭が悪くなるという考えの元、娯楽を禁止されてガチガチのエリート教育を施された子供だとか。代々相伝する格闘技に打ち込ませるためにネットのない生活を強いられた子供だとか。

 逆に子供の頃から引きこもってゲームだけを与えて育つと、どのような人間に育ってしまうのかという異様な社会実験の犠牲になった子供なんてのもいた。


 【シャングリラ】はそんな親に恵まれない子供たちの居場所であり、自らが選んだ新しい家族であった。

 自らが選んだというのは、文字通りの意味だ。彼らは自分と同じように親に恵まれなかった子供を新たな仲間としてスカウトして、構成員を増やす。選んだ仲間同士は義兄弟同然の絆で結ばれ、決して裏切ることはない。


 そしてそんな子供たちから親のように慕われていたのが……オーナー兼店長を務めるtakoと、クランリーダーの教授だった。


 tako、本名は根之堅ねのかた美咲みさき。2年前の時点で25歳。

 根之堅家は地元の名士の家柄だ。“特区”が制定されるずっと以前から、この土地に根付いていた大地主一族の娘である。

 彼女がわざわざ親に恵まれない子供たちの居場所となるクランを作った理由は誰も知らない。

 男女問わず年下の子供が大好きで、身内と認めた者にはとても愛情深い人だから、構成員たちはきっと自分たちに同情したんだろうと思っていた。


 ……きっと、本当は腹が立って仕方がなかったのかもしれない。

 自分たちがひっそりと暮らしていたこの土地に“特区”などと名前を付けてずかずかと入り込み、不幸な子供たちを増やしていく身勝手な大人に。

 だから彼らのやり方に反抗するように、子供たちの居場所を作ってやった。そういうことなのかもしれなかった。


 takoの本心がどこにあったにせよ、彼女がオーナーであったことが構成員たちを守ったのは確かだ。

 根之堅家の地元での権力は大変強く、元から暮らしていた地元住民の代表者となっていた。政府のお墨付きがあるとはいえ、後からやってきた者たちはその機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

 他の地下ネットカフェがたびたび摘発を受けるなか、【シャングリラ】だけはただの一度もガサ入れを受けなかった。“特区”行政府がその存在に気付いていなかったわけはない。


 【シャングリラ】に集まった子供たちは、どういうわけか凄腕プレイヤーに成長していた。特に『創世のグランファンタズム』では最強クランの一角と呼ばれるようになったほどだ。電気使用量や通信量を見れば絶対にバレる。

 それでも摘発を免れたのは、やはり根之堅家のお嬢様に配慮したということなのだろう。


 口うるさい大人たちの束縛を逃れ、自分たちが自分たちでいられる場所。

 互いを認め合う兄弟姉妹がいて、尊敬できる親代わりの人たちがいた。

 一緒に作戦を立てて腕を磨き合うことは何より楽しかったし、家庭で受けた心の傷を慰め合うこともできたし、将来の相談にだって乗ってくれた。

 ここで勉強を教わって高卒認定を取り、大学に進学した者もいた。そういった者は年下の子供たちに勉強を教え、後に続く者に道を開こうとした。


 そこはまさしく彼らの【楽園シャングリラ】であった。

 そのことを何より喜んでいたのは……オーナーであるtakoだったはずだ。



 だからこそスノウには不可解なのだ。

 オクトが率いていたクラン【ナンバーズ】に、恐らく【シャングリラ】出身のプレイヤーは混じっていなかった。いれば必ずスノウは気付いたと思う。

 あれほど子供たちから慕われていたtakoに、誰ひとりとしてついていかなかったなんてことがあるんだろうか? 彼らはいったい、どこに行ってしまったのか?



 2年前のあの日。

 放課後に【シャングリラ】の店の近くまできた虎太郎は、なんだかとても胸騒ぎがした。

 なんだか周囲の様子がおかしいと心のどこかで思った。

 目に映る範囲では何も変わったことなんてないのに、とても嫌な感じがしたのだ。本人も何がおかしいのか説明できないけど、ここにいてはいけない気がした。


 だから、虎太郎は逃げた。

 くるっと踵を返して、そのまま家に帰ったのだ。

 その日はお店の創立記念日で、みんなで集まってtako姉をサプライズでお祝いしようと約束していたのに、すっぽかしてしまった。

 きっとこんなのは気のせいで、明日になったら何ごともなくて、みんなに急にお腹が痛くなっちゃったと謝ろうと思いながら寝付けない夜を過ごして。


 そして次の日、何もかもが終わっていた。

 お店があった場所は、焼け落ちた廃墟になっていた。


 火事があったのだと。みんな逃げ遅れて死んでしまったのだと。

 その場に崩れ落ちた虎太郎の耳に、近所の人がそう噂しているのが聴こえた。


 それから2年。

 バーニーと再会したあの日まで、虎太郎は【シャングリラ】メンバーの誰とも会ったことはなかった。



「……嘘だよね」



 いつの間にか、スノウの瞳からうっすらと涙がこぼれていた。



「みんなが死んだなんて、嘘だよね。だってtako姉はここにいるもん。バーニーだって、元気だったもん。本当は、みんなどこかで元気にしてるんでしょ? “特区”の外に逃げ延びて、楽しく遊んでるんだよね? そうだよね?」


「…………」



 takoは重々しく口を閉ざしていたが、すがるように見上げてくるスノウの眼差しに耐え切れず、ついにその疑問に答えた。



「……みんな死んだわ。あの日生き残ったのは私と、難を逃れた貴方だけ」


「嘘だ!」



 スノウは震える手でtako姉の胸元を掴む。

 takoはそれを振り払うことはなく、少女の泣き顔をただじっと見つめ返していた。



「嘘だよ! バーニーに会った! アバターは変わっていたけど、あれは確かにバーニーだよ! じゃああれは幽霊だったとでも言うの!? ……そうだ、直接会わせてあげる! お店に行けばいつだって……」


「バーニーちゃんには私も会った。話もしたわ。……そうね。あれは、確かにゴースト幽霊と呼ぶべきものなのかもしれない」


「ゆ、幽霊って……。そんなバカな。ボクをからかってるんだよね?」


「あれはAI。稲葉恭吾と呼ばれた人間の記憶を引き継ぎ、この電脳世界に焼き付いた残影ゴーストなのよ」



 動揺するスノウに、takoは淡々と呟く。

 その口調が、彼女がただの事実を口にしているということを否が応にも感じさせた。



「AIって……嘘だよ。だってどう見てもバーニーだった。ネットだけじゃない、リアルでのことも全部覚えていた。そんな精巧な複製を作れるわけないじゃないか。人間の意識はデジタルじゃないんだよ」


「じゃあ、あのとき。お店が警察の特殊部隊SATに襲撃されたあの日、警官隊に撃たれて私の腕の中で冷たくなっていった稲葉君は何だったの?」


「け、警察が……?」



 スノウの顔は青くなっていた。

 takoはぎゅっと拳を握り、その日の光景を口にする。



「みんなが私を驚かそうと明かりをつけた瞬間、お店に真っ黒な特殊装備に身を包んだ警官隊が突入してきた。射殺命令が出ていたんだと思う。私たちを武装したテロリストだと呼んで、片っ端から撃ち殺した。叫んだ子から先に殺された。泣きながら床に伏せた子も殺された。おかしいだろうと言って話し合おうとしたハルパーも。恐怖で動けなくなったエッジを逃がそうと、盾になったバーニーも」



 当時起こったことを淡々と呟くtakoの瞳は、何も映していない。

 彼女の意識は、惨劇が起こった2年前の日にいる。



「私は誰かひとりでも逃がそうと暴れたけど、誰も救えなかった。高圧電流を流されて麻痺した私が見ている前で、最後に机の下に隠れていたエッジが殺された。あの子は悪いことなんて何もしていなかったのに。あのお店にいた子供たちの中で、誰ひとりとして殺される理由なんてなかったのに。大人たちに迫害され、傷付けられ、私のお店をようやく見つけた最後の居場所だと思って愛してくれた……。その子供たちは、私の目の前でひとり残さず殺された」


「…………」


「全員が死んだのを確認したあと、奴らは私のお店にガソリンを撒き、火を放った。そうして私が愛した【シャングリラ】は、この世から抹殺された」


「……tako姉は……」


「どうして生きてるのか、かな~?」



 フフッとtakoは自嘲するように笑い、両手で自分の体を抱いた。



「私の体は特別だから。そういう血なのよ、先祖代々ね。殺されても死なないの」



 スノウにとっては信じがたい話のオンパレードだった。

 何から反応していいのかわからない。


 だけど……。

 決してtakoが嘘をついていないことだけはわかった。

 あの記憶の中の惨劇を語るときの、この世の何をも映していない瞳。

 その瞳の奥に、炎が宿っていた。燃え盛る憎悪に彩られた真っ黒な炎が。


 そしてバーニーが既に死んでいるという、takoの言葉も否定できない。

 何故なら、スノウはずっとバーニーに訊けないでいたから。



「あの日何があったの?」

「みんなはどこに行ってしまったの?」

「……キミは、本当にバーニーなの?」



 それを訊いてしまったら、折角再会できた親友が途端に目の前からいなくなってしまうような気がしたから。

 マッチ売りの少女が夢見た幻のように、決して手を触れず、ただ温かな光景に身を浸すことしかできなかった。

 いつかバーニーが話してくれる日を待つべきだと自分を騙し、問題を先送りにしたのだ。


 どう考えたって絶対おかしいのに。24時間いつお店に行ってもログインしていて、誰にも会うことなくお店に閉じこもっていて。

 そんなプレイヤーがいるわけないじゃないか。

 だけど真実を知るのが怖くて、当然の疑問から見て見ぬふりをしたのだ。


 そんなスノウの耳に、喉の奥から絞り出すようなtakoの声が聴こえてくる。



「私は、あいつを決して許さない……」



 幽鬼のように呟く彼女に、スノウは恐る恐る問いかけた。



「警察を?」


「子供たちを殺した警官隊はもちろん憎い。だけど、もっと先に殺さないといけない奴がいるの。警官隊を連れてきて、みんなを殺させた裏切者」


「……誰?」



 ああ、聞きたくない。

 この話の続きは絶対に知りたくない。

 だって、わかりきったことじゃないか。


 さっきtako姉が話した中で、真っ先に出てこないといけない名前が出てこなかった。なら、その人が裏切者のはずで。

 だけどその人は、虎太郎にとって大切な人で。

 だからこそ、聞かないわけにはいかなかった。



「“教授”。貴方たちからの信頼に背き、警官隊に売り渡した、【シャングリラ】のクランリーダーだった男」



 takoはそう言って、力強くスノウの肩を抱いた。



「奴こそは私たちの共通の敵。シャイン、一緒にあいつを殺しましょう」

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