第54話 Q.処女がネナベになったらどうなりますか? A.童貞になります。

「ん~!」



 カフェを出たスノウは、大きく伸びをした。

 街はもう暗くなりつつある。デートの時間も終わりだ。


 思えばこうやって遊んだことなんて高校時代以来だった。

 バーニーがいなくなってからは、ろくに遊んだ覚えがない。あんな田舎から逃げ出そうと、受験勉強に一生懸命だったのだ。

 今日は実に楽しい1日になった。ゲームもいいけど、たまにはこうして友達と遊ぶのも悪くない。いや、これだってゲームの一部ではあるのだが。



「楽しかったか、スノウ?」


「うん! 久々に全力で遊んだ感じあるかも!」



 スノウは振り返り、満ち足りた笑顔をペンデュラムに向ける。

 半ば営業のつもりで彼の誘いに乗ったが、結果的には大正解だった。


 そんなスノウの笑顔が夕日に照らされてペンデュラムの瞳に映る。

 可憐な花が綻ぶような、あどけない微笑み。それが夕日の光と相まって、なんだかとても儚いものに感じられた。


 だからペンデュラムは発作的に思ったのだ。

 その花が誰かに摘み取られてしまう前に、自分が保護しなければならないと。



「えっ……?」



 ペンデュラムはスノウの腕を掴むと、無言で彼女を路地裏に引きずっていく。

 突然の行動に、スノウは戸惑いながらもその後ろを付いていった。まだ何か見せたいものがあるのかな? などと思いながら。



「どうしたの、ペンデュラム? なんか無言で怖いんだけど……!?」



 ガシッ!!


 ペンデュラムはスノウの両腕をつかむと、かがみこむように彼女の顔を覗き込んだ。

 熱の籠った眼差しでスノウの瞳を見つめる。その頬はやや紅潮していた。



「シャイン……。誰にでもそんな無防備な顔を見せているのではないだろうな」


「無防備って……どうしたの、ペンデュラム? なんか変だよ。顔近いって」


「変か。確かにそうかもしれんな」



 ペンデュラムの内部で異常が起こっていた。

 ただの商売相手でしかないはずのスノウが、なんだかすごく可愛らしく思えたのだ。

 それは今日のデートで初めてスノウの内面を知って身近に感じたせいかもしれないし、人生で初めてのデートをしたという高揚感のせいだったかもしれない。あるいは、これまで気を許せる対等の友達というものがいなかったせいかもしれなかった。


 一言で言うなら、ペンデュラムは舞い上がってトチ狂っていた。



「シャイン……俺はお前が欲しい」


「まーたその話? さっきクランに入るのは嫌だって言ったじゃん」


「そうじゃない。お前を独占したいんだ」


「えっ……」



 ペンデュラムから熱い眼差しで見つめられ、スノウの胸の奥がひと際強く脈打つ。



(……? なんでこんな、心臓の鼓動が早くなってるんだ?)



 何かうるさい音が聞こえると思ったら、自分の心臓の音だった。

 スノウはかつてない鼓動をする自分の心臓の音に怯えながら、ペンデュラムの顔を見上げる。

 その頼りなさげな表情が、一層ペンデュラムの独占欲を描き立てた。



「聞いてくれシャイン。今日見たとおり、この世界は欲望に塗れている」


「……いきなり哲学的なこと言い出したね」



 自分の反応に戸惑いながら、軽口を叩くスノウ。

 そんな彼女に、ペンデュラムはそうじゃないと首を横に振る。



「このゲームは意図的に人間の欲望を刺激する構造になっている。過剰に充実した娯楽施設、課金を煽るガチャに、プレイヤー同士を対立させる陣取り合戦、互いに争奪させるレイドボス。まだ貴様が知らない仕組みも、いくつかある。この世界はとても危険なんだ。お前は薄氷の上で遊んでいるのだよ」


「言ってもたかがゲームでしょ。そりゃプレイヤーだって争うよ、PvPなんだから。それが楽しいんじゃないか」


「それが危ういんだ」



 生意気で好戦的な顔をするスノウを、ペンデュラムがたしなめる。


 ちなみに虎太郎の好みは年上である。特に姉的なものや兄的な存在に弱い。

 何やら真剣な顔で自分の身を心配するペンデュラムに、スノウはドキッとする。



(え、ドキッって何……!? ボク男なんですけど? そっちの気はないぞ……!)



 自分の反応に混乱しまくりのスノウ。そんな彼女にペンデュラムが追撃する。



「シャイン、俺に貴様の身を委ねてくれ。俺ならお前をどんな悪の手からも守ってやれる……!」


「あ、あうあうあう……」



 はわわわわと混乱するスノウを見て、ペンデュラムが勢い込む。

 その端正な顔をゆっくりと近付け、耳元で囁いた。



「目を閉じてくれ……」


「~~~~~~~~~~~~///////」



 混乱しまくった末に、スノウもトチ狂ってしまった。

 まあいいかなと思ってしまったのである。ペンデュラムなら羽振りもいいし、大事にしてくれるって言うなら、ちょっとだけお試しでも……。


 目をそっと閉じて、顔を少しだけ上向ける。

 桜色の小さな唇がペンデュラムの方を向いていた。


 いける……!



「いい子だ、シャイン。身も心も、俺に捧げてくれ……」



 そしてスノウのファーストキスを、ペンデュラムが奪おうとしたそのとき!


 スノウの中で電撃的な連想が駆け巡った。



(ん? 『社員、身も心も捧げてくれ』?)



 頭の中で、高校時代に学校で見せられたブラック企業の労働問題の資料映像がフラッシュバックする。筋金入りのブラック企業は、社員をマインドコントロールして過酷な労働に投入するのだという。その有様は一種の宗教に近い。


 映像には身も心も会社に捧げて、骨と皮だけになった社員の成れの果てが出てきた。今にも死にそうなのに、目だけは爛々と輝いて会社への忠誠を口にする。虎太郎は社会に出ても、こうはなりたくないと強く思ったのだ。



(これを受け入れたら、過労死するまで働かされる!?)



 本能的な恐怖感が、スノウの精神を正気に戻した。


「やっぱダメェ!!」


「うごおおおおおおおおっ!?」



 無意識に出せるまで体に染みつかせた投げ技が炸裂し、ペンデュラムを路地裏の壁に叩き付ける! 装飾として置かれていたゴミ箱が巻き込まれ、派手な音を立てた。

 衝撃で目を回したペンデュラムを見下ろし、スノウは荒い息を吐きながら罵詈雑言を投げる。



「ばーかばーか! セクハラ現行犯! えっち! 変態! あほーーーー!!!」



 真っ赤な顔でそう叫んで、スノウはだーーっと走り出す。

 混乱がいまだに抜けきれておらず、語彙力が小学生レベルになっていた。



 残されたペンデュラムはうぐぐ……と呻きながら、建物の隙間から夕暮れ迫る空を見上げる。

 痛覚のフィードバックは遮断されているが、ダメージが入らないわけではない。アバターに入ったダメージと、拒絶されたことによる精神ダメージが、ペンデュラムから立ち上がる力を奪っていた。



「な、なぜ突然投げられたのだ……」



 身動きが取れない彼の元に、メイド隊のシロミケタマが近付いてくる。

 いつもなら大丈夫ですか!? お怪我は!? と大騒ぎするであろう彼女らが、今は無言であった。



「ペンデュラム様……今のは最低ですよぉ」


「えっ」



 親友のシロから痛烈な批判を突き付けられ、ペンデュラムは間の抜けた声を上げた。

 そんな同僚にミケとタマも深く同意する。



「初デートで急ぎすぎではありませんかな? さすがにこれは……」


「正直ないなって思うにゃ。がっつきすぎだにゃ」


「えっえっ」



 日頃イエスマンな部下たちに猛烈なダメ出しを受けて、ペンデュラムは狼狽する。



「お前たち、オレ様ムーブでガンガン押せってアドバイスしてたじゃないか!?」


「ええ、まあそれは確かにペンデュラム様の魅力ではあるんですが」


「それも時と場合によるというか」


「今のがっつきぶりは強いて言うなら、そう……」



「「「童貞丸出しでした」」」



 ガーン!! と頭を殴られたようにペンデュラムがショックを受ける。



「童貞!? この天翔院天音が、こともあろうに童貞!?」



 処女がネナベになったらそりゃ童貞だろうよ、恋愛経験ないんだもん。

 納得いかない感じのペンデュラムに、シロが諭すように言った。



「いいですか、ペンデュラム様。リアルの立場で考えてくださいね」


「うん」



 ペンデュラムが正座して居住まいを糺す。人の説教を聞くときは正座するという躾を受けているのである。



「貴方にもし婚約者がいると仮定しますよぉ」


「どんな人?」


「そうですねえ。野性味あふれるイケメンで、身長は高くて、天音様と釣り合うお金持ちで、野心にギラついた風雲児で、文武両道でユーモアセンスもあり、あとついでに筋肉がしっかりついてて腕や手にたくましい血管が浮いています」


「超好み!」


「ええ、貴方の好みドストライクですねぇ」



 シロはにっこりと頷く。



「今日はそんな彼との初デート。物知りな彼はいろんな場所をエスコートしてくれて、嫌みじゃない程度に知識を披露して、ディナーは夜景の見える高層レストランでシャンパンで乾杯」


「理想の展開!」



 夢見る乙女のような表情を浮かべるペンデュラム。イケメンアバターだけにちょっと不気味だった。

 そんなペンデュラムに、シロが続ける。



「そしてムードが最高に高まってきたところで、彼は言います。『ところで俺たちが結婚したら、俺がキミの会社の後継者を兼ねることになるな。もちろん経営権は俺に渡して、育児に専念してくれるだろ?』」


「は? ケンカ売ってる?」



 夢見る乙女の顔から一瞬で真顔になるペンデュラム。すさまじい温度差であった。

 さらにシロが追撃を入れる。



「そして彼はホテルのカギを取り出します。『じゃあ早速部屋に行って子作りしようか。後継者を作っておくなら若いうちの方がいいだろ?』」


「死ね! いや、殺すわ!! 二度と女を口説けない体にしてやるッ!!」


「それを初デートでやったのが今日の貴方ですよぉ」


「ぐあああああああああああああああああああああ!!!?」



 ペンデュラムは頭を抱えてのたうち苦しみ回った。

 ぶっちゃけさっきスノウに投げられたよりもダメージが入っていた。



「女の子を口説くのに経営のパートナーになってくれ、みたいな生臭い話をしますか普通? デートに持ち込む話題じゃないですよねぇ?」


「ぎゃあああああああああああああああ!!!」


「しかもその流れから、女の子の大事な初キスを強引に奪おうとかぁ?」


「ああああああああああああああああああああ!!」


「それはオレ様って言うより、空気読めてないだけですよぉ? 貴方がエスコートされる側だったとしたら、どうすると言ったんでしたっけぇ? むしろ投げるだけで済ませたシャインちゃんが優しいってことになりませんかぁ」


「うわああああああああああああああああああああああ!!!」



 ビクンビクンとのけぞって苦しむペンデュラム。

 さすがに心配になったミケが、恐る恐るシロに声を掛けた。



「シロ殿……もう少し、こう……手心というものを……」


「痛くなければ覚えませんからぁ」



 おとなしく見えて、心に鬼を飼っていた。

 ペンデュラムはうう……と呻きながら、何とか持ち直して体を起こす。



「わ……私はなんてことを……! シャインに謝りたい!!」


「いや。このタマが見るに、その必要はないにゃ」


「そうなのか、タマ殿!?」



 腕組みしながら顎をさすり、タマは重苦しく頷く。



「あのシャインちゃんの反応を見るに……まんざらでもなかったと思うにゃ!」


「でもペンデュラム様は投げられてたじゃない?」


「それは……“乙女の恥じらい”というやつにゃ!!」


「「「“乙女の恥じらい”!!」」」



 うむ、とタマは頷いて自説を披露する。



「キスされそうになって目を閉じるまで行ったけど、直前で拒否られた……。これはその気を見せながらも、やっぱりダメと引くことでよりペンデュラム様を夢中にさせようとする高度な恋の駆け引きなのにゃよ!!」


「な、なるほど……! 確かに少女マンガでは主人公に逃げられた男の子が、さらに執着を見せるようになっていたわ! しかもオレ様系や不良系によくあるパターン!」



 壁ドンしたヒロインに平手打ち喰らって逃げられた後、「へぇ……俺が食ってきた女どもとはちょっと違うじゃん?」とニヤリと不敵な笑みを浮かべるアレである。自意識過剰な男が拒否られると、やたら迫ってくるようになる少女マンガあるある。



「それにゃ!」


「おお……。シャイン殿がそんな高度な駆け引きを身に付けていたとは……」


「さすがタマちゃん、恋のティーチャーだわぁ……!」


「ふふん。このタマ、百戦錬磨なのにゃ」



 そんな恋愛の達人が、なんで独り身なんですかね?(禁句)



「つまり……このデートは失敗ではない、ということか?」


「そうにゃ! 少なくともシャインちゃんとは仲良く遊べたし、自分の窮状を伝えることもできた! さらにはシャインちゃんをドキドキさせることもできたのにゃ! 結果的に見れば、これは大戦果と言えるにゃ!!」


「なんと!」


「そうだったの……大失敗に見えたのに! ごめんなさい、ペンデュラム様! 私ったらペンデュラム様がそんな深い計算の上で行動しているなんて気が付かず、童貞だの女の敵だのザ☆クズ野郎だの、ひどいことを言ってしまって!」


「そこまで言ってたっけ?」



 深々とペンデュラムに謝罪するシロに釈然としないものを感じながらも、ペンデュラムはよい、と鷹揚に頷いた。



「シャインの心を読めなかったのは俺も同じだ。フッ……お互いに相手のことを理解し合っている仲だと思っていたが、まだまだ俺にも及ばないところはあったようだな」


「ペンデュラム様、謙虚!」


「さすがでございますな!」


「向上心に満ち溢れてるにゃ!!」



 お前らが通じ合ったことなんか一度もねーだろ。

 そんなツッコミが通じるわけもなく、ペンデュラムはシャイン攻略に向けてさらなる意欲を燃やす。



「これからもシャインにはガンガン押していくぞ!」


「「「おーー!!」」」



 主従一体になった掛け声が、元気よく路地裏に響くのだった。



 それはそれとして、今晩天音はベッドに入ってから自分の童貞ムーブを振り返り、枕に顔を埋めてゴロゴロと悶えることになるのである。

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