第98話 魔王と勇者は剣を交えず

 オクトはスノウが背中を向けてすたこらさっさと逃げ出すのを呆然とした表情で見ていたが、やがてこめかみに薄く青筋を浮かび上がらせながら叫んだ。



「おい! どこに行くつもりだ! さっさと戻って来い!!」


「やーだよー。今日はもう遊び疲れたから帰るね」



 みるみる回廊の先に遠ざかっていく機影のコクピットから、スノウはへらりと笑い返してくる。

 オクトは通信ウィンドウに顔を寄せてギロリと睨み付けた。



「……!? 馬鹿者、何のためにここまで来たのだお前は! 私と戦うためだろうが! 逃げるのか!?」


「ううん? 【ナンバーズ】のボスがtako姉なのか確認するためだよ。いやーtako姉も元気でやってるようでよかったよかった。じゃあ用事は済んだし、ボクはこのへんで失礼するね♪」



 クスクスと笑いながらそう言い放って一方的に通信を閉じたスノウは、さてどうするかなと呟きながら機体後方のカメラをチェックした。

 高速で曲がりくねった回廊の中を飛行しながら、背後にも目を向けるのはなかなかの高等技術だ。


 そんなスノウに、ディミは不思議そうな顔を向ける。



『騎士様、逃げちゃって本当にいいんですか? 強い相手と戦いたいって言ってたし、あの方は絶好の相手なのでは?』


「何言ってるの、もちろん戦うつもりだよ?」


『えっ、じゃあ何で逃げてるんです?』



 きょとんとするディミに、スノウは呆れたような顔になった。



「あのさあ、ボクの師匠だぞ? 当然あの部屋にはトラップが満載に仕掛けてあるに決まってるじゃないか。ボクが誰からゲリラ戦術を学んだと思ってるんだよ」


『あ……! じゃあ、あのまま部屋に突入したら……』


「間違いなく隠してある砲台や爆弾で吹っ飛ばされるね。ボクならそうする。師匠だって絶対にそうする。あの部屋はとっくの昔にボクを始末するためのキルゾーンだ。その証拠にまだ追ってこないだろ?」



 ディミは後方のカメラを恐々と眺め、おお……とため息を吐いた。



『な、なるほど……! 確かにまだ追ってきませんね……』


「でしょ? 少なくとも相手の土俵で戦うのはナシだ。こっちに有利な条件か、せめて五分でなきゃやってられるか」



 ただでさえ相手の方が技量が圧倒的に上なのに、という呟きは口の中に留めた。

 技量で劣っているのなら、頭で補うほかない。見方によっては卑怯であるとも言えるが、少なくとも“シャイン”の師匠はそれで良しと教えた。


 再び通信ウィンドウが開き、オクトが先ほどよりも濃くなった青筋を額に刻みながら口を開く。



「早く戻って来い、シャイン。これで最後通牒だ」


「嫌だよー。ボクもう地上に戻って、【シルバーメタル】の連中倒すから。それでこの戦闘も終わりだし。連戦に次ぐ連戦で疲れたんだよね、早く終わらせてシャワー浴びたーい」



 ヘラヘラと笑うスノウに、オクトが鋭い眼光を向ける。

 ナチュラルなメスガキぶりが心底カンに障ってるんですね、わかります。



「なるほどな……。だがお前の言うとおりに【シルバーメタル】を全滅させたところで、雇い主ペンデュラムの名声が墜ちるだけだぞ? それは都合が悪かろう。さあ、ここに戻って来い」


「それね。さっきから思ってたんだけどさあ、逆なんだよね」


「逆だと?」



 眉間のシワを深めて訝しがるオクトに、スノウは片方の眉を下げて笑う。



「ボクと戦いたいのはtako姉の方だろ? こんな大掛かりな作戦まで立てて、100人以上の人間を動かしてさあ。だったら言うべきは『私と戦え!』じゃないよね? 『何でもしますから私と戦ってください、お願いします』でしょ?」


『うわ……』


「どっちの立場が上か考えてよ。ボクの方が上なんだから、それ相応の礼儀ってものがあって当然だよね! さあ、どうしたの? ボクにお願いしてみなよッ!」


「………………」



 居丈高に言い放ったスノウに、オクトは黙り込んだ。


 怒りのあまりに言葉を失っているようだ。

 しかしその眼光はギラギラと輝き、頭髪は天を衝かんばかりに逆立っている。

 通信ウィンドウ越しに相手に触れられるのならば今すぐにでも首を絞めて殺しにかかりそうな殺気が迸っていた。


 しかしオクトはふうと息を吐き、その怒りを飲み下す。

 あまりにも荒々しく御しがたい宿業カルマと付き合ってきた彼だからこそ、それを御す方法も身に付けていた。



「私を怒らせようとしても無駄だ。私の部下どものように安い挑発に乗ると思わないことだ。どうやら口だけは上手くなったようだが、中身は何ひとつとして成長していないようだな。それともやはり上辺だけのデッドコピーAIという証拠か? あまりにも浅はかだ」



 冷静にそう返すオクトに、スノウは頷いた。



「そうそう、tako姉の部下だけどさ。あいつら雑魚すぎない? 揃いも揃ってヘタクソばっかだったよ。こんな有象無象にボスでございってあぐらかいてるなんて、まさかボスはtako姉じゃないのかも? って思っちゃったもん。そりゃ顔を見て確かめないとなってなるよねっ。いやーでもtako姉で安心したなぁ」



 ビキッとオクトの額に再び青黒い血管が走る。

 まるで冷静さの仮面にヒビが入るかのような光景に、見守るディミがヒヤヒヤした。仮面の下にはどんな憤怒の相が潜んでいるのか。



「強がりはよせ。お前程度の力量では正面から戦って勝てるわけがない。前作でのトップクランのプレイヤーに匹敵する腕前の猛者ばかりだ」


「えっ、それなのにボクの口先三寸に負けちゃうなんて大丈夫? 取りまとめてるボスの教育が悪いんじゃないの? 管理能力疑っちゃうなあ。トップがダメだとどんなに優れた資質があってもダメになっちゃうもんね」



 真っ黒な殺意と共にビキビキと顔中に浮かぶ血管を何とか宥めようと、オクトは静かに深く息を吸い込んだ。

 何とか自分の土俵に持ち込もうと必死ですねオクトさん。そりゃだだっ広い部屋中に罠を仕掛けるのに手間暇掛けたもんね。



「確かにそうかもしれんな。だがいいか、だからこそこのクランにはお前が必……」


「ところでそのアバター、自分で作ったんだよね? なんか意外とtako姉っておじいちゃん好みだったんだなあ。でもあんまセンスよくないよね。もうちょっと盛ってもよかったんじゃない? 特に髪の毛とか」



 そう言ってスノウは自分の額に手をかざして、クスクスと笑いながら上下に振った。



「前髪スカスカ♥ かわいそー♥」


「貴っ様ああああああああああああッ!!!」



 目から真っ赤な光を放ちながらオクトが吼え、“虚影八式”を急発進させた。



「それが師匠に向かって言う言葉かああああああああッッッ!!!」


「あは、怒った怒った♥」



 きゃはははと笑いながら、スノウは機体の速度を少し上げた。これで制御できるギリギリのスピードだ。それ以上出せば、さすがに壁にブチ当たる。

 シロにもらったMAPを横目に、先の地形を把握しながらの曲芸飛行。


 だがそれでも感じる。

 背後から凄まじい速度で殺意の塊が迫ってきているのを。



「……捕まったら秒で八つ裂きにされそうだな」



 音速での峡谷飛行すらこなすスノウが機体制御できるギリギリの上限を、さらに上回る速度で赤い鬼神が追いすがってくる。


 パイロットスーツの背中が冷や汗でびっしょりと濡れているのがわかる。

 第7通信網では意識をそのままネットにつなげているが故に、感情の変化がアバターにもダイレクトに反映される。


 きっとリアルの背中も汗でぐしょぐしょだ。

 さっきの煽りではないが、それこそ終わったら速攻でシャワーを浴びなければ夏場といえども風邪をひくかもしれないな、とスノウは思う。



『騎士様、スピード出しすぎではっ!?』


「怖けりゃボクにしがみついてなよ!」



 最深部に至るまでの経路をありったけの超高速で逆走。

 立ちはだかった敵との死闘を潜り抜けた小部屋を抜け、ギミックによって隠された通路を駆け、ただマップを頼りに必死で走り抜ける。



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 一方、オクトはそんなスノウを血走った目で追いかけていく。

 こちらも少しのミスが壁への激突につながるほどの際どい機体制御をこなし、全力でスピードを出している。

 だがオクトの方がスノウよりも確実に早い。


 それは技量の差だけではない。

 スノウの機体シャインは現在市場に出回っている最高品質相当のパーツを組み合わせたバーニー謹製の出来だが、オクトの機体虚影八式に使われているパーツの品質はさらにその上を行く。


 オクトは【ナンバーズ】というトップクランを組織して、現在狩れるレイドボスというレイドボスを狩り尽くした。その機体に使用されるパーツのクオリティは、市場に流通する最高品質を凌駕している。


 腕が四本あるのかというほどの驚くべき精度で機体を保ち、オクトはじわじわとスノウとの距離を詰めていく。



「このペースなら追いつける……が、まだ時間がかかるか」



 初手のやりとりの間に稼がれた距離アドバンテージが響いていた。


 しかしオクトは怒気に脳髄を支配されながらも、それでもまだ冷静さを失ってはいない。


 こうなるかもしれないと予想はしていた。どうせ自分が仕掛けた罠に飛び込んでくれないのなら、追いかけて仕留めるほかないのだ。


 やはり“シャイン”はよくわかっている。理想の生徒だ。初めての弟子ではあったが、ここまでの逸材は100人以上の弟子をもっても他にいない。

 教えたことはどんなことでも、スポンジが水を吸い込むように学習した。

 いや、教えたことだけでなく、takoという存在をよく理解していた。


 あれに比べれば以降にとった弟子などまさに有象無象。どうして彼らは教えたとおりのことをそのままできないのか、いつもイライラさせられていた。


 取り戻したい。自分の掌中に取り戻さなくてはいけない。

 自分の右腕はやはり“シャイン”が一番だ。ナンバー9は“彼”のための空座なのだから。



「だが、それも本物ならばの話だ」



 十中八九そうだ、ともう一人の自分は言っている。

 しかしその振る舞いが彼の知っている人品とはあまりにも違いすぎる。


 “シャイン”はもっと礼儀正しく、素直で、控えめで、穏やかだった。

 断じてあんなカンに障る声色で嘲り嗤う無礼なクソガキではない。


 偽物なのか、あるいは2年という月日が人を変えたのか。



「だが……変わったのなら私もそうだとも」



 自分は変わった。

 もう優しく面倒見が良い、年下に慕われるネットカフェの店長ではない。

 人を支配し、束ねる力……組織の長としての地位を手に入れたのだ。



「お前たち! もうゲームは終わりだ! 【ナンバーズ】の長として命令する、総員をもってスノウライトの前に立ちはだかれ! ただし撃墜はするな、トドメは私の手で刺す!」



 オクトは【ナンバーズ】の配下に通信を送る。

 しかしいつもなら聞こえてくる「アイ、サー!」の返答がない。



「……どうした!? 復唱しろ!」


「で、できません」


「何だと!? 何を言っている!」


「敵との戦闘中です! 身動きが取れません!」



 ……“敵”!?

 敵とはなんだ? 誰が自分たちの邪魔をしている?



「何が起こっている……!?」



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「こいつで最後の1匹だッ!!」



 闘技場に閉じ込められてモンスターとの戦闘を強要されていた【ナンバーズ】の精鋭たちは、最後の巨大アンデッドの頭部にビームライフルを叩き込んだ。



『OOOOOOOOOOOO……』



 無数のアンドロイドのパーツから成る骸の巨人は無念そうな叫びを残して、ガラガラと瓦解していく。

 無尽蔵に出現していたアンデッドたちだが闘技場の制限時間が迫ると共に再出現リポップしなくなり、最早これが最後の1体となっていた。



「ヒャッホー!! ざまあねえぜモンスターどもがよぉ!!」


「こんなもんで俺たちを殺れると思ったら大間違いだぜ、メスガキが!!」



 アンデッドを狩り尽くした【ナンバーズ】の生き残りたちは喝采を上げる。

 だがその中の最上位の位階を持つパイロットが、眉をひそめてたしなめた。



「盛り上がってる場合か。すぐにスノウライトを追うぞ」


「ちょっとくらい勝利を祝ってもじゃないッスか。何人か殺られましたが、俺らの勝ちですよ。歯ごたえがある敵でしたが、いい素材もドロップしてますし」


「馬鹿、敵の罠にかかった失態だぞ。すぐにスノウライトを追わなけりゃ、ボスにどんな目に遭わされるか……!」



 その言葉に、生存者たちは顔を真っ青に染める。



「あ、ああ……ボスはおっかないからな……」


「ボス直々のしごきともなりゃ……そ、想像したくもねえ」



 彼らのボスであるオクトは、失態をしでかした者に容赦しない。

 必ず凄惨な懲罰を加えるのだ。


 具体的には彼と一対一での戦闘をさせられる。

 そして何度も何度も、どこがなっていないのかを指摘しながら撃墜してくる。

 血反吐を吐き、精神が屈服するまで……いや、屈服しても、それは止むことはない。心から懇願しても決してオクトは止めない。

 心が折れそうだ、どころではない。完全に叩き折る。

 そして配下たちは恐ろしいボスに改めて服従を誓い、恐怖と絶望が混じった畏怖の念を新たにするのだ。


 ちなみにオクトはこれを愛の鞭だと思っている。

 懇切丁寧にどこが悪いか手取り足取り実践的に指摘してあげているのだから、これ以上の教育があろうか。こうして愛情をかけて育てることで、次こそ失敗しない有能な人材になる。


 そう、この手法に間違いはないのだ。

 だって最初の弟子のシャインはそれで立派に育ったから。



「恐ろしい方だ……他人の心を折り、恐怖を刻みこむことで支配する。あの御方に抗える者なんているのか」


「ああ……まさに“魔王”の名に相応しいぜ……」



 そしてオクトの思いは部下たちにこれっぽっちも伝わっていなかった。

 お前の想いは重過ぎるよぉ。


 だがそれはそれとして、部下たちへの統率と育成という点においては非常に役立ってはいる。



「さあ、行くぞ! ボスに何度も殺される前に、俺たちの手でスノウライトを殺るんだ!」


「おおーーーーっ!!」


「スノウライトを倒して、俺がナンバー9だッ!!」



 恐怖にかられながら威勢を上げた【ナンバーズ】の精鋭たちは、勇んで闘技場を飛び出そうとバーニアを噴かす。


 だがその矢先、先頭の1騎が回廊の外から飛んできた銃弾によって爆散する。

 死闘の後で気が緩んでいたのか、元からモンスターたちとの戦闘で傷付いていた機体はあっけなく破片を撒き散らして撃墜された。



「な……!?」


「おっと、いけない。つい倒してしまった。足止めしないといけなかったんだな。次からは気を付けねば」



 そう言いながら、巨大なロケットランチャーを構えた機影が姿を現わす。

 全身を銀色に輝かせた、威容たっぷりのシルエット。

 一度見たら見間違えることはない、バリバリッと太い線で構成されたデザイン。まるで40年ほど前、00年代に一世を風靡したアニメのロボットのような。



「“銀星剣シルバースター”ッ! 」


「フッ……地に巨悪のある限り、正義の魂が抗えと叫ぶ。天より舞い降りし銀の剣、“銀星剣”義に依りてここに見参!」



 びしっと勇者系ロボットアニメのように決めポーズを取りながら、【シルバースター】のエース、レイジは不敵に笑った。



「てなわけよ。ここからは俺たちがお相手しよう」


「馬鹿! お前らが戦ってるフリするのは、地上の下っ端どもだけでいいんだよ! 誰が精鋭部隊を本当に撃墜しろと……」



 思わずそう叫びながら、精鋭兵の頭の中で警鐘が鳴る。

 おかしい。おかしいぞ。

 こいつらがここにいるわけがない。



「何故、俺たちがここにいることを知っている? まさか……」


「察しが早くて助かるよ。悪者がここにのさばっていると教えていただいてね。それもとびっきりの強敵ばかりだ、それじゃ一戦やらせてもらおうかとなってな」



 そう告げるレイジの背後から、ぞろぞろと【シルバーメタル】の機影が姿を現わす。



「たぎってきたねえ……面白い試合ができそうじゃないか」


「ワシにも獲物を残しておいてくれよ、レイジさんや」


「フォッフォッフォ、ゲームは若いモンだけの趣味じゃないぞい」



 血気盛んなハッスル老人たちが、殺る気満々でカメラアイをぎょろつかせる。



「……な……! まさかお前たち、ペンデュラムに寝返ったのか……!?」


「まあね。少なくともお偉いさんの言いなりで戦ってるフリするよりは、楽しい気分になれそうだ」


「馬鹿が! 知っているんだぞ、お前たち行き場のないジジイどもの数少ない就職先だろうが! トシ食った身空で放り出されて、路頭に迷っても知らねえぜ! 後悔するんだな!」


「おやおや若いのに親切だね。ジジイの生活の心配までしてくれるたぁな」



 そう言いながら、レイジは白銀色のロケットランチャーを構えて笑った。



「だがお前さんたちが今心配するべきは、ボスからのお仕置きだろうよ。さあ行くぜ、ガキども。生まれたときからゲーマーやってる老兵ベテランの年季ってものを教えてやるよ!!」


「この死にぞこないどもがああああッッ!!」



 砲火が交わり、機影がはしる。


 遺跡の奥、深い闇の底で、誰にも語られることのない勇者たちの戦いが始まる。

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