第109話 母は母でも鬼子母神

 ウィーンと音を立てて、VRポッドのハッチが開く。

 事務所の一室に設けられた専用の自室で、根之堅美咲はダイブから目覚めた。


 インナー姿の彼女の容姿は、先ほどまでスノウに見せていたtakoの姿とほぼ変わりがない。女性にしては長身の体躯に、豊満な胸、流れるような長髪は漆色。

 だがきっと、彼女の姿を実際に見た者は、それを同一人物だとは思うまい。


 美咲はポッドから身を起こすと、部屋の片隅に取り付けられている鏡に顔を映した。


 優し気な垂れ目ではなく、刃物のように鋭利な瞳。

 そして何よりも、右目の周りには深い裂傷の痕が刻まれていた。


 それは彼女のtakoではないもうひとつのアバター、オクトの顔に刻まれているものとまったく同じ。



 あの日、燃え盛る【シャングリラ】から単身で脱出した彼女は、逃げる際に顔に傷を負った。

 医療技術が発達したこの時代において、傷痕を消す治療は決して不可能なものではない。しかし美咲はそれを決して消そうとはしなかった。

 この傷は誓い。

 必ず教授を自分の手で追い詰め、息の根を止めるという、亡き子供たちへの約束であり……自らを縛る呪いでもある。


 その口の端が……そっと綻んだ。

 復讐を誓って以来、決して作り笑い以外では浮かべなかった、微かな笑み。


 愛しい末の子にまた会えた。

 自分の復讐には付き合ってくれなかったが、それはいい。

 あの頃と変わらない純粋さに触れて、心が洗われる思いがした。

 今はそれでよしとしよう。

 たとえ進む道が分かたれたとしても。



(どうせまたすぐに、私たちの道は交差する)



 鏡を見つめながら、美咲は考える。


 そう、その通り。

 しかしその時は今回のような接触にはならない。


 takoはスノウにいくつか意図して言わなかったことがある。

 そのひとつが、“七罪冠位”を倒したときにどんな力が得られるかだ。


 “七罪冠位”の力は誰もが手にできるわけではない。

 その“七罪”に対応する“罪業カルマ”の器を、プレイヤー自身が宿している必要がある。魂の“罪業”の器を欲望で満たすことで、能力を得ることができるのだ。

 その能力は、決してゲームの中だけのものではない。


そう。“憤怒ラース”の“七罪冠位”を倒したオクトは、自身の“怒り”を感染させることで他者の精神を呪縛する能力を得た。その影響はゲームからログアウトしたとしても残留し続ける。

 この能力を用いて、美咲は自分が興したクランのメンバーに徹底的な忠誠を誓わせ、さらには他のクランから優秀なプレイヤーを引き抜くことで、【ナンバーズ】を最強の攻略クランとすることに成功したのだ。


 しかし、takoはあえてこの情報をスノウには伏せた。



(何故なら、次に会うときは恐らくあの子の敵として立ちはだかることになるから)



 “七罪冠位”の力を奪った後には、その“七罪”を賭けたプレイヤー同士の決闘が待ち受けている。すべての“七罪”を制した者だけが、最終決戦に挑むことができるのだ。

 奥の手は相手に見せずにとっておくもの。

 戦う前から手の内を相手にさらすのは愚か者のやることだ。


 takoが適合する“罪業”は“憤怒”と“傲慢プライド”、そして“色欲ラスト”。

 “色欲”の“七罪冠位”は既に他のプレイヤーが奪取してしまったから、takoがさらに手に入れられるのは“傲慢”のみとなる。

 できれば“傲慢”も押さえておきたいところだったが、精神への負荷が怖い。“憤怒”ひとつですら持て余し気味だというのに、このうえ“傲慢”まで手にしたら自分がどうなってしまうのかわからない。


 “七罪冠位”はただ力を与えるだけではない。膨れ上がった“罪業”はプレイヤーを汚染する。

 精神力には自信がある美咲といえども、2つもの“冠位”を保持することはためらわれた。

 それに、“傲慢”を手に入れるべきプレイヤーは別にいる。



(“傲慢”こそはシャインに相応しい“罪業”だ)



 恐れ知らずのメスガキを演じることがうまいから、ではない。

 美咲は知っている。大国虎太郎がどれほど“傲慢”なのか。

 ただの初心者の分際で、身の程知らずにも当時最強のプレイヤーであったハルパーをいつか追い抜こうと思ったこと。普通の人間ならいずれ身の程を知って諦めてしまう無謀な目標を、ずっと信じ続けて努力を重ねられた。

 その資質こそが“傲慢”なのだ。


 もしもハルパーがまだ生きていたら、“傲慢”は彼のものだっただろう。

 バーニーやエッジがいるのだから当然ハルパーもどこかにはいるはずなのだが、どういうわけか彼は誰にも姿を見せておらず、“傲慢”の“七罪冠位”は野放しになっている。

 それならアレはシャインに与えてしまおう。


 教授かGMの仕業だかは知らないが、シャインがゲームを開始してすぐに“怠惰”の“七罪冠位クソ熊”を差し向けられたようだが……。



(冗談ではない。あの子に相応しい“罪業”が“怠惰”ごときであるはずがなかろうがッ……!)



 バンッと拳を鏡の横に叩きつけると、コンクリートの壁に蜘蛛の巣状のヒビが入った。


 高く、高く、天を悠々と自在に飛び、万象のすべてを睥睨する見下す孔雀の王が宿す“七罪”。

 “傲慢”こそが私の愛し子には相応しいのだ。


 だが、あれは相当な強敵でもある。

 次に会うときは敵だと思っていたが……アレに挑むときは自分が手を貸してやるのもいいかもしれない。愛しい弟子との共同戦線をもう一度できるというのは、考えただけで胸が躍る。



(それに、“種”は植え付けた)



 オクトが持つ能力、“憤怒”の種による精神支配。

 それは電脳体アバターによってした相手にのみ効果を生じる。


 元々怒りっぽい相手にしか効かないので、温厚で臆病なシャインに通用するかはわからなかったが……。

 教授への怒りを煽ったり、アンタッチャブルクソ熊を話題に出すことで怒りを露わにさせることができた。

 これで種が無事に育ってくれれば、シャインは戦うこともなく味方についてくれるかもしれない。



(やはり“七罪”持ち同士で戦ってみたくはあったが……。あの子が手に入るのならそれ以上に嬉しいことはない)



 愛し合う師弟親子はいつでも一緒。

 それが何よりの幸せだから。


 そう考えながら、鏡の中の美咲はとろけるような慈愛の笑みを浮かべた。



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「おや、ボス。ご機嫌ですね」



 黒一色のビジネススーツに着替えて執務室に入った美咲に、秘書が声を掛ける。髪を綺麗に剃り上げた禿頭の男だ。美咲と同じく黒いスーツに身を包んでいるが、その強面はどこかの紛争地域にいる方が似合いそうだった。

 もっとも、今の時代に最早国家紛争などというものは存在しないが。



「そう見えるか?」


「はい。いつになく」


「フ……そうだろうな。良いことがあった。ペンデュラムにはしてやられたが、それを帳消しにできる慶事だ」


「おめでとうございます」



 夕方の茜色の光がブラインドの隙間から差し込み、執務室を照らしていた。


 ここは美咲が取締役を務めるPMC民間軍事会社【ナンバーズ】。

 かつて戦争が地上に溢れていた時代の残党たちの終着点だ。


 16年前に起きた全世界規模のサイバーテロ“ジャバウォック事件”。

 未だ正体不明の犯人が全世界の国家首脳を脅迫した恐るべき事件だ。

 彼の要求はただひとつ、『以降の国家紛争の全面禁止』。


 その荒唐無稽な要求の見返りとして、彼の要求を飲む国家には絶大な恩恵がもたらされたという。その恩恵の内容は、未だに機密のヴェールの向こうに包まれ、余人が知ることはできない。

 ただ、世界中の国家が彼の要求を呑み、その結果として地上から国家紛争が消滅したのは確かだ。

 現代において戦争とは、経済戦争のことを指す。


 困ったのは軍人と軍需産業だ。

 張り子の虎としての価値はあれど、最早実際に戦うことなどない。

 軍縮に次ぐ軍縮の嵐が、軍部を襲った。


 そして職を失った彼らが最後に流れ着いたのがPMC。

 彼らの主たる仕事は、傭兵働き……ゲームプレイだ。


 『七慾のシュバリエ』という巨大企業による経済戦争マネーゲームの舞台。そこで傭兵として企業に雇われての闘争こそが、彼らの新たな仕事となった。



 2年前、美咲は巨額の資金を元に、世界中から仕事にあぶれた元軍人たちをかき集めた。

 たかだか25歳の素人の小娘に何ができるんだ、俺たちが傭兵の流儀ってやつを教えてやろうか? ベッドでな。ガハハ!

 そう彼女を舐めていた連中は、ゲーム内でもリアルでもボコボコに叩きのめされ、恐怖と共に絶対服従を誓わされることになった。


 “鬼”が長閑な田舎でひっそりと暮らしていたのは、一族の血と共に継承されるその力を厭うが故。その暴力をただ復讐に使うことを決めた彼女を止められる者など、どこにもいなかった。



「それにしても【マガツミ遺跡】のレイドボスが今シーズン最後のピースという予想でしたが……アテが外れてしまいましたね」


「ああ。それにあれだけ難解な謎解きで隠してあったんだ、“七罪冠位”の手がかりもあるかと思ったが……とんだ空振りだった」



 美咲は椅子に腰かけ、両手を組み合わせる。

 その言動には、先ほどまでスノウと話していた『優しくのんびり屋のtako姉』の面影などまったく見られない。ゲーム内の厳めしいオクトの口調そのままだった。


最後の1体ラストピースがいるならあそこだろうと踏んでいたが……さて、一体どこにいるのやら」



 『七翼のシュバリエ』のゲームシーズン段階は、特定のレイドボスがすべて撃破されたときに進むことになっている。どのレイドボスの撃破が必要なのかという情報はプレイヤーには隠されており、手探りで進めるしかない。


 特定のレイドボスの撃破が時代を進める、という情報は確かだ。

 オクトはそれを袂を分かつ前のバーニーから聞いた。

 ……バーニーやエッジと手を取り合って“七罪冠位”に挑んだ時代もあったのだ。今はすっかり冷え切った関係になってしまったけれど。



(バーニーにもう一度取り入って訊いてみるか?)



 ……馬鹿な。そんなことができるものか。

 あの子たちの偽物AIの顔など見たくもない。



「手がかりを見失ったか。これでは【シルバーメタル】を買収してペンデュラムの軍を襲った意味がない。まったく、【マガツミ遺跡】は取り返されるし、ペンデュラム軍の心をへし折ることも失敗したし……踏んだり蹴ったりだな」


「おや……」



 秘書は内線を取り、眉を上げた。



「ボス。出資者の坊やから外線です。どうやら今回の失態に随分とお怒りのご様子ですよ」


「やれやれだな」



 美咲は肩を竦めてため息を吐くと、デスクの上の外線を取った。

 そして投影型スクリーンに浮かび上がるホログラムの少年に、にこやかな笑顔を作ってみせる。



「これは牙論様。何の御用でしょうか」


『僕が用もなしに電話しちゃいけないのか? いつでもかけていいって言ったのはオクトだろう』


「もちろんです。心配ごとがあったら、何でもご相談ください。私は何があっても牙論様の味方ですよ」



 天翔院家の後継者候補に相応しい、優雅で整った端正な顔立ち。

 淡い金髪を腰まで伸ばした美少年だ。

 そして何よりも印象的なのは、他人の眼を捕えて離さないその瞳。

 黙って微笑んでいれば、誰もが王者に生まれるべくして生まれてきた王子様のように感じるだろう。他人をかしづかせることを当然として生きてきた者だけが帯びる、カリスマ性がそこにはあった。


 だが、そわそわと落ち着きのない神経質そうな態度と髪の毛の先をいじる仕草が、そのカリスマを台無しにしてしまっている。



『でも今日の戦いはなんだ!? 姉さんにしてやられたって言うじゃないか! 折角ここまで姉さんを追い詰めて当主の資格なしってレッテルを貼れたっていうのに、「天音様の才覚もなかなか捨てたものではありませんな」なんて言い出す重役だって出てきてるんだよ!』


「ご安心ください、牙論様。彼女がたった一度政治力を見せた程度でひっくり返るほど、私たちが築いた陣営は脆くはありませんよ。それに私は今回【ナンバーズ】の私兵しか投入していません。牙論様には、私がスカウトして回ってきた忠実な精鋭部隊がいるではありませんか。いざとなればそれを使って叩きのめせばいいのです」


『う、うん。そうか』



 なお、カイザー牙論の精鋭部隊とは【ナンバーズ】の選抜試験から漏れた連中だ。種を植え付けて支配したはいいが、【ナンバーズ】に入れて鍛えてやるほどの価値はないなとオクトが判断した程度の技量である。拷問に近いシゴキを逃れられてラッキーだったね!

 確かに優秀なプレイヤーではあるが、オクトにとっては生え抜きというほどの実力はない。

 だがそんなおもちゃの兵隊でも、牙論を安心させるには十分だ。

 どういうわけか古今東西、前線に出る気概のない権力者ほど、無駄に兵力を自分の周囲に置きたがるものだ。

 使われない武器に何の意味があろうか。そういう点では、カリスマ性に欠けこそすれ腹心の配下と共に常に悪戦苦闘しているペンデュラムの方が、よほどトップにふさわしい人材だと美咲は思っている。決して口にも態度にも出しはしないが。



「牙論様はどっしりと構えていればいいのです。そうやって枝毛なんて探していたら、器が小さいと誤解されてしまいますよ。後で私が手ずからブラッシングして綺麗にしてあげますから、自分で探すのはおやめくださいね」


『う、うん!』



 慈愛に満ちた美咲の微笑みを見て、牙論はささっと姿勢を糺す。

 その小物じみた仕草は、どこか小動物を思わせた。人によっては可愛いと言うだろう。たとえるならそう、チワワかな。ビビリのくせに無駄にキャンキャン吠えるところとかそっくりですね。


 牙論はどこかそわそわしたように、立体スクリーン越しに美咲へ上目遣いを送る。



『ねえ、今晩は会ってくれる?』


「そうですね……ちょっと敗戦処理が立て込んでいるので。ダイブでよろしければお時間を作れるかと」


『え~!? ダイブだとオクトパパじゃないか~! 僕は今日は美咲ママに甘えたいの! さっきブラッシングしてくれるって言ったじゃないか、久々に膝枕してよ~!』



 そう言って牙論は体を左右に揺らして駄々をこねる。

 いくら美少年とはいえ、もうすぐハタチにもなろうという男がくねくねと体をくねらせて甘える姿に、美咲の秘書は噴きだすのを必死にこらえた。

 笑うわこんなん。


 美咲はそんな牙論の醜態に、慈母のような微笑みを向ける。



「仕方ありませんね。わかりました、この後時間を取って“ご相談”にうかがいましょう。牙論様のご不安を取り去って差し上げますね」


『やったぁ! オクト大好き~!』



 わーいと幼児のように無邪気な笑顔を浮かべる牙論を、美咲はニコニコと目を細めて見つめている。

 その瞳の奥に揺れる漆黒の炎が、考えている。



(やっぱり本物の弟子我が子を見た後だと、は霞むな)



 愛情を注いでやったこともある。

 両親からの愛情に飢えたお坊っちゃまに、リアルでは母として、ゲームでは父として、惜しみなく愛情を与えてやった。

 そしてこの上なく彼からの信頼を勝ち得た。

 PMC創設にかかる巨額の資金は、彼の財布から出ている。


 その愛情が偽りであったというつもりはない。

 美咲だって寂しかったのだ。その欠落を埋める代替としてはうってつけだった。

 だが、やっぱり……物足りない。クセがなさすぎる。

 シャインくらい手がかかって、自我が強くて、賢くて、いくら鍛えても泣き言ひとつ言わない逸材に慣れた身としては、はあまりにも惰弱に過ぎる。


(とはいえ切り捨てるつもりはない。この子はまだまだ役に立つ)



 ええ、まだ役に立ってもらいましょう。利用できるうちは。


 そんな考えをおくびにも出さず、美咲は優しく微笑んだ。



「では、今晩8時にお伺いします。たっぷりと“よしよし”してあげますからね」


『はーい!』



 にこやかな親子の語らいを見ながら、秘書の肩がガタガタと震えていた。

 ああ、恐ろしい。俺のボスは本物の“鬼”に違いない。

 人の血が通っていれば、こんな無情なことができるものか。



 鬼は鬼でも、鬼子母神。


 愛しい我が子を育てるために、他人の子を喰らって栄養とする。

 鬼子母神とは、そういう“鬼”である。



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これでオクト編は終了です。

次回からはゴクドー編。

そろそろちょっと書き溜めしたいので、次回の後お時間いただくかもしれません。

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