第23話 グラビティ羆嵐

「共に楽しもうじゃないか、ペンデュラム」



 黙り込むペンデュラムにそう言い捨てて、スノウは通信を切断した。



『……念のために聞きますけど、今の発言どういう意味ですか?』


「えっ? もっとゲームうまくなりたいんなら、とりあえず何も考えずに目の前の敵を殴ろうぜって言っただけだけど? もし運よく勝てたらクランの中で自慢できるし、いいことずくめじゃん」


『まあそうだろうと思いましたよ!』



 スノウはちろりと舌を出して、薄くほくそ笑む。



「もっとも、誰かに譲るつもりもないけどね」



 あの獲物を誰もが委縮して狙えないというのであれば好都合。

 自分ひとりで食い尽くしてしまうだけのこと……!



「死ねよやあっ!! クマ公ッッ!!」


『あっ、ちょっと待っ……』



 スノウが発射したアサルトライフルの弾丸が、閉じられたアンタッチャブルの瞳へとまっすぐに向かっていく。

 レイドボスだか何だか知らないが、生物を模している以上は必ず元になった生物と同じ部位に弱点を持つはず。でなければ嘘だ。打撃技や投げ技などの存在を許しているこの運営であれば、必ずそこにこだわりをもっているはず。



「貫けッ!!」



 この射線なら確実に眼球を抉れる!

 眼という弱点を穿たれたクマは、次に必ず立ち上がって腕を振り回すはずだ。そのとき胴体の弱点が露わになる。

 クマの一番の弱点は分厚い骨に覆われた頭部などではない。立ち上がって示威行為をするときに晒される心臓部だ。


 だがスノウが放った弾丸は、到達する直前になって突然射線を変更する。

 何か巨大な目に見えない力に押さえつけられたかのように、凄まじい勢いで下方向へと落下していった。



「何だって!?」



 驚愕するスノウ。続いてシャインが突然浮力を失い、急速に落下を始める。

 銀翼によって重力という軛から逃れていたシュバリエが、その本来の自重を思い出したかのようなフリーフォール!



「……ッ!? まずいっ!! 何だ、いったい何をされてるっ!?」


『“怠惰スロウス”の特殊フィールドの効果です!

神は微睡に堕ち、世はなべて事も無しフォーリング・ヘブン】!!

 その効果は、フィールド効果範囲内における実弾武器と飛行能力の禁止!!』


「早く言ってよ、そういうことはっ!?」


『言う前に攻撃したじゃないですかーーーッ!!』



 まずい、この状況は絶対にまずい。


 スノウは汗を噴き出しながら、必死にバーニアを噴射して落下速度を軽減させる。このゲームには落下ダメージが存在する。自由落下でこの機体が地面に叩き付けられた場合、撃墜判定は免れない。



「うおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」



 必死にバーニアを噴射してなお、下方向への加速度を増すシャイン。

 スノウはギリギリと歯を食いしばりながら速度を増して流れゆくHUDの風景を見つめる。



「なら、これでどうだッ!!」



 バーニアを水平方向へと噴射させたことで、落下軌道は斜め下方向へとずれていく。眼下に広がるクロダテ要塞は断崖と同化した基地から成り立っている。そこから斜め下へとずれれば、軌道は断崖の下へと逸れていく。



『崖下へ落ちますよ、騎士様!?』


「それでいいんだよッ!」



 重力に引かれて為すすべもなく落下していくシャイン。

 しかし、ある地点を過ぎたところで、背中に広げた銀翼の反重力制御とバーニアが突然本来の機能を思い出したかのように効き始め、落下速度が緩められる。



『え!? 何で!?』


「やっぱり特殊フィールドは球形だったみたいだね! 下方向に遠のきすぎた場合も、影響範囲から逃れられる!」


『あ、ああ……なるほど!』



 強制落下の影響を脱したシャインの姿勢を立て直し、スノウは再浮上を開始する。



『騎士様、さすがですね! よく球形だと気付かれました!』


「ああ、一定の平面範囲内に高さ関係なく効果が発動する可能性との二択の賭けだったからね。もしかしたら崖下に叩き付けられるまで加速するかもしれなかったけど、うまくいってよかった」


『…………』



 ディミは涙目になり、無言でスノウの頭をぽかぽかと殴り始めた。



『うー! うー!!』


「やめろってば! 球形の方が可能性高いなとは思ってたんだって!」



 なんとか崖の上まで戻ってきたシャインだが、アンタッチャブルの近くまで行くと、再び機体の飛行能力は失われていく。

 今度は機体を地面に着地させたスノウは、要塞中枢部をピンポイントで踏み抜きながら、その上にうずくまって目を閉じる巨大な機械熊を睨みつけた。


 でかい。


 このゲームはVRの電脳空間でありながらやたらリアリティを保っているが、このレイドボスに関しては完全に現実的なサイズ感の維持が放棄されている。そのくせ、その質量がぎっしりと詰まっていることを想像させるディティールの細かさ。

 この大きさならドーム球場くらいはあるのではなかろうか。エネミーだと言われるよりも建物だと言われた方が信じやすいくらいの巨大さ。



「このサイズのくせに遠距離戦禁止、通じるのはブレードによる接近戦かビームライフルでの中距離戦を強制してくるか……。これは相当なクソボスだぞ」



 間近でアンタッチャブルを見たスノウは、口元がひきつるのを感じた。

 普通に考えて、こういった超大型ボスは遠距離戦で戦うのが定石だろう。近距離戦や中距離戦で戦った場合、相手がちょっと暴れただけで、動きに巻き込まれて踏み潰されることが簡単に予想できる。サイズ差はわかりやすい暴力だ。


 “触れてはいけないもの(アンタッチャブル)”とはよく言ったものだ。眠りから起こしても殺されるし、近距離まで近づいても殺される。

 さらに崖の上という足場を限定した位置取り。明確な悪意を感じる配置だった。



『や……やっぱり帰りませんか? 眠ってますし、今なら間に合うのでは』


「いや……捕捉された」


 アンタッチャブルのHPゲージの上に浮かぶ数字が“0/10”から“1/10”に切り替わる。

 それと同時にアンタッチャブルの瞳がゆっくりと開かれる。



 侮蔑。



 その瞳に浮かぶのは、傲然たる意思。

 目の前に立つためにすら死にかけるような、哀れで卑小な羽虫をせせら笑うがごとき嘲笑に満ちた色。


 これはただのエネミーなどではありえない。プレイヤーを楽しませるために配置された敵キャラクターが、明確な意思など持ち合わせているわけがない。AIによる思考ルーチンが組み込まれていようが、製作者の悪意を盛り込まれて製作されていようが、敵キャラクター自体はプレイヤーへの悪意を持たない。


 しかし、目の前のこいつは違う。これは人類を痛めつけ、嬲り殺しにしてやるという明確な意思を持って存在する。


 そう、例えばシャイン。お前のような無力な虫けらを。



「……………ッ!!!」



 その瞳に込められた意思に、スノウは全身の血が湧き立つような震えを感じた。



「お前、今ボクを見下したな」


『騎士様……?』



 心配そうに見上げるディミをよそに、スノウは全身を震わせる。



「見下されたッ! こいつ、ゲームの敵キャラの分際で! ボクを翼をもがれた虫けらだと見下しやがった! 殺すッ! 殺す殺す殺すッ! 生かしておけないッ!!」


『ど、どうしたんです!? あれは何も言ってませんよ』


をしたッッッ!!!」



 サポートAIであるディミには、知性体が瞳に込める悪意を感じ取る機能がない。だからスノウが何に激昂しているのかわからなかった。

 人間は違う。目は口ほどにモノを言う。そこに隠しようもない悪意が込められていれば、勘がいい者は必ず気付く。“それは敵だ”と感じ取る。


 スノウはレーザーライフルを抜き、前方に向かってダッシュしながら乱射を仕掛ける。何しろこのサイズだ、狙うが狙うまいが必ず当たる。

 レーザーはフィールドの影響を受けることなく直進し、アンタッチャブルの鋼鉄の表皮に当たってジュッと煙を立てる。そして1発命中するごとに、アンタッチャブルのHPゲージは



 ほんの1ミリたりとも減っていなかった。



 シュバリエ相手であれば一撃でHPの半分以上を減らせる、現時点での人類の手にある中ではもっとも強力な兵器。それが文字通り、蚊に刺されたほどにも効いていない。いや、サイズで言えば蚊どころかダニ以下だ。



 ――その程度か?



 哀れなダニの必死の攻撃に、せせら笑うかのような目を向けるアンタッチャブル。スノウはギリッと奥歯を噛みしめた。


 目の前に立ったとき、もしかしたら何とかならないのではと思った。ここまで圧倒的にどうにもならないとは思っていなかったが。

 敵の装甲値とHPが破格すぎる。


 アンタッチャブルはふわぁと欠伸をすると、頭上へと目を向ける。

 その途端にアンタッチャブルの頭上に大きな闇色の球体が出現した。



「……なんだ?」



 謎の動作に警戒の色を浮かべ、横方向へのダッシュに切り替えるスノウ。

 次の瞬間、闇色の球体から無数の小さな球体が発射され、周囲に雨あられと降り注ぎ始めた。



『気を付けてください、“マイクロブラックホール”です! あの球体のひとつひとつが重力子グラビトンに満たされた超重力場! 触れれば装甲値を無視した固定値ダメージで部位をえぐり取られます!』


「ホーキング放射どうなってんだよ!」


『そこはゲームですから、現実の物理学は忘れましょう』



 スノウは軽口を叩きながら、一発で即死に追い込まれる重力場の雨を必死に避ける。ただのランダム弾をばらまくだけの攻撃であれば、避けることは難しくはない。



(問題はむしろ……)



 ブラックホールが落ちた部分の地形は球形に抉られ、クレーターを形作る。どんどん凸凹になっていく地形は翼をもがれたシャインにとっては動きづらいことこの上なく、いずれ足を取られて事故りかねない。


 一方、必死になって死のダンスを踊るシャインが滑稽に映るのか、楽しそうに瞳を弧の形にたわめるアンタッチャブル。



『GRRRRR……』



 鋼鉄熊が唸りを上げると、頭上の暗黒球体から降り注ぐブラックホールのサイズに変化が生まれ、より大きなものと豆粒程度の小型のものが入り混じり始める。サイズが違おうと、当たれば即死ダメージを受けることは疑いようもない。


 それ自体が意思を持っているかのように、シャインの頭上に降ってくる大きな球体をかわそうとしたスノウは、妙な感覚を感じて舌打ちした。これまでよりも大きめの回避軌道を取り、足を止めず走り続ける。



『騎士様、大きいブラックホールには気を付けてください! シュバリエを引き寄せる効果があります、ギリギリで避けようとすると被弾の恐れが!』


「わかってる!」



 そう叫び返しながら、ダッシュしつつアンタッチャブルにレーザーライフルを撃ちまくるが、一向に効いた様子はない。

 無駄な抵抗を嘲笑うかのようにごろごろと喉を鳴らすアンタッチャブル。

 その視線は、まるで幼い子供が虫の羽をもいで焼けたアスファルトの上でもがき苦しむのを観察するかのような、無邪気で邪悪な殺意に満ちていた。


 お前ごときを嬲り殺すのに、指一本すら動かす必要はないってか?


 スノウはケッと毒づきながら、大きなブラックホールがスノウとアンタッチャブルを結ぶ直線を横切った瞬間を狙ってレーザーライフルを向ける。



「お前のその眼が気に入らないんだよッ!!」



 逃げ惑いながら無駄な抵抗を繰り返すことで誘った油断。

 その間隙を突いた一刺しが、アンタッチャブルの瞳を射抜く。


 大抵のゲームの敵キャラは、一番の弱点が目立つように作られている。

 こいつの場合一番目立つのは、相対する者に悪感情を抱かせるその眼だ。

 自然界の熊の弱点が眼であることも踏まえ、多少は効くはずだがどうだ……?



『GRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAA!!!!』



 瞳から赤い液体を滴らせたアンタッチャブルが、びりびりと大地を物理的に震わせるような咆哮を上げて怒り狂う。

 そしてそれまでぴくりとも動かさなかった前脚を振り上げて、シャインに向けて薙ぎ払った。


 HPゲージはこれっぽっちも減っていない。



『だ、駄目です……! 全然効いてません!』


「いや行動パターンは変わった。ギミックボスであれば一段階前進したはず……」



 だが、今は迫り来る敵の攻撃を回避することが最優先だ。

 圧倒的な質量を持つアンタッチャブルの腕は、そのサイズに見合わない機敏な速度で地面を抉り取りながらシャインに迫る。

 まるで工事現場で重機が土地を掘り返すときのような、腹に響く重低音と共に岩石サイズの巨大な飛礫を巻き上げる腕。大きなビルの1階部分が高速で衝突してくるかのような絶望感。



「こっちは飛べないってのに……!!」


『衝突、来ますっ!!』



 地面を抉りながら、横薙ぎになったアンタッチャブルの腕がシャインがいた場所を通過する。雨あられと降り注ぐ瓦礫の山。



「ぐっ……!」



 その瓦礫の山に埋もれた、クレーターの底でスノウは呻き声を上げる。

 さきほどの大型ブラックホールでできたクレーターに飛び込み、間一髪で回避したのだ。だが瓦礫が降り注いだことによるダメージは大きく、シャインは身動きが取れなくなってしまっていた。



「ダメージはどうだ、ディミ!?」


『HPが大分持っていかれました、もう瀕死状態です。四肢はまだ動きますが……だいぶガタが来てますね』


「関節強化のOPオプションパーツが欲しいな……ボロボロでも動けそうだ」



 シャインは瓦礫を押し上げようとするが、まったく持ち上がる様子はない。シャインの数倍の体積を持つ瓦礫が、穴の底に埋まった機体を押さえつけているのだから無理もなかった。



「身動きが取れないか……! このまま死んだと思ってくれればいいけど」


『あっ……』



 声を上げたディミが、ひきつった笑顔をスノウに向ける。

 そしてシャインの体を揺らす、頭上からの連続した震動。



『GRRRRRRAAAAAAAAAAAAA!!』



『アンタッチャブルが、クレーターを掘り返そうとしてます……』


「さすが熊だ、獲物への執着心が半端ないな……!」



 どうやらシャインを完全に破壊したと確認するまで止まる気はないようだ。

 そんなところまで再現しなくてもいいのに、とスノウは引きつった笑みを浮かべた。



『どうします!?』


「どうしますって言ってもさぁ。さすがにもう打つ手も……」



 じたばたともがいて悪あがきするシャインだが、瓦礫はびくともしない。天然の岩肌に加えてコンクリートも混じっており、どうやら要塞の一部が抉られているようだ。恐るべき破壊力、まさに天災そのもののごとし。


 ……要塞?



「そういえば、この真下はクロダテ要塞だね」


『ええ、そうですが……?』


「なら、ここを下に掘れば要塞内部に出られる……?」



 スノウの思いつきに、ディミはふるふると頭を横に振った。



『無理ですよ、要塞の天井は高い装甲値が設定されていますので破壊する方法がありません。銃器やレーザーは無効です』


「いや、あるだろ? 装甲を無視できるものが」



 閉ざされた闇の中で、シャインは近接武器インベントリを開く。

 闇の中でもその輝きを色褪せさせることのない、蒼い輝き。



『高振動ブレード……! それなら確かに……!!』


「ありがとう、ペンデュラム! よくぞこれを持たせてくれた!」



 本人が聞いたら『工具にさせるために渡したわけじゃないんだが!?』と驚愕されること間違いなしの感謝の言葉と共に、シャインは高振動ブレードを真下に向けて突き立てた。


 あらゆる装甲を貫通して固定ダメージを与える、現時点での人類科学の最高到達点。その一撃が要塞の天井を破り、決壊させる。

 要塞内部に落下したシャインは、なんとか態勢を立て直して着地し、降り注ぐ瓦礫に押し潰される前にバーニアをフルスロットルさせてその場を離脱!



『GRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』



 頭上から響く、身の毛もよだつ殺意に満ちた咆哮。

 巨大な何かがぶつかる音が、はるか頭上より響いてくる。



『脱出を感付かれました! どうします!? 制限時間まで何とか逃げますか!?』


「逃げる? バカ言うなよ。反撃や挑発のために逃げることはあっても、ボクがビビって逃げ惑ったことなんて一度だってないぞ。ゲームするなら全力で前のめりだ」



 スノウはニヤリと笑い、大ダメージによって火花を散らす腕でレーザーライフルを握りしめた。



「クロダテ要塞には対航空空母用の巨大ビーム砲台が設置されているって、ペンデュラムが言ってたはずだ。いくらデカブツでも、それなら多少はダメージが通るだろ」


『人の話を聞いてないようで、そこはちゃんと聞いてたんですね。確かにそうかもしれませんが、要塞内にはまだ【アスクレピオス】の兵が多数詰めているのでは……』


「押し通るよ。『無茶を押し通したその先にしか、たどり着けない境地だってある』なんて柄にもない啖呵を切っちゃったんだ。自分で嘘にするわけにはいかないもんな」



 敵地の中枢に追い込まれ、頭上から迫るは超巨大な破壊の権化。

 どこからどう見ても、逃げ場のない絶体絶命の窮地。


 にもかかわらず、スノウは楽しそうにクスクスと笑うのだった。

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