EXTRA ARCHIVE 美人プロジェクトリーダーの午後
「何故わかってないなら、それを他人に相談しなかったんだ?」
凛としてよく通る声がオフィスに響く。
叱責しているのは、年若いながらもプロジェクトリーダーを任せられている女性。叱責されているのはそんな彼女よりもやや歳上の部下だ。
口ごもる部下に対して、上司は言葉を重ねる。
「理解しないままプロジェクトに参加されても困るんだよ。空回りして足を引っ張るだけだ。……まさか、あたしが年下だからナメて質問しなかったとでも言うんじゃないだろうな?」
「そ、そんなことは……」
「じゃあなんだ? 何故わからないまま進めようとしたのか言ってみろよ」
ピリピリとした態度で詰問する女上司と、口ごもる部下。
上司の迫力に、部下の目にはうっすらと涙まで浮かんでいた。
その様子を少し離れた席から別の部下たちが首を竦めてちらちらと眺める。
「ひぇっ、おっかねえなあ
「美人だけに怒るとめちゃめちゃ迫力あるんだよなあ」
「あいつ主任が年下の女性だから舐めてたんじゃなくて、怖いから訊けなかったんだと思うんだよな……。俺だってめっちゃ話しかけづらいもん。入社3年目の貫禄じゃないだろ、あれ」
「やっぱりデキる人ってのはオーラが違うよなあ」
委縮する部下にため息を吐くと、主任はつかつかと部下に近付く。
平手打ちでもされるのかと身を固くする部下だが、代わりに加えられたのはバンッと背中を叩かれる衝撃だった。
「……まあいい! やっちまったもんは仕方ない。今度からわからねえことがあったらこまめに訊きにこい。報連相しっかりやれよ。おい、福野! 悪いけどこいつにもう一度しっかりと説明してやってくれ」
「あ、はい!」
噂話をしていた社員のひとりが、主任に呼ばれて立ち上がる。
「すまねーな。あたしこれから明日の会議の書類作らねーといけねえんだ」
「いえ、大丈夫です。主任はご自分の作業に集中してください」
「ご迷惑をおかけして申し訳ないです……」
「おう、迷惑だ。だからこの際わからないこと全部聞いて来いよ」
肩を落とす部下にニカッと笑い返す主任。
さばさばとした言葉と屈託のない笑顔に、部署内に安堵と笑いが広がった。
そんな主任を見て、新入社員の女性が頬を薄く赤らめる。
「はぁ……芦屋主任ってカッコいいなぁ……」
「仕事もすげーできるしな」
その声に、噂話をしていた男性社員が頷く。
「なんというか、あの人って効率がいいんだよ。何をやらせても最短効率でバッチリ仕上げるから。その分、ああいう無駄な仕事をしようとする部下にはキツいんだけど……まあ、叱る時間も短いし、無駄に空気を悪くしすぎることもないからな」
「憧れちゃいますねえ、ああいう働く女性って」
「でも婚期は遠そうだな……」
男性社員のぼそりとした呟きに、新入社員があははと乾いた笑いを浮かべる。
「……モテないんですか? あんな美人なのに」
「仕事できすぎる女はモテないんだよ。可愛げがないって思われるからな。しかも怒らせたらめちゃめちゃ迫力あるし……元ヤン疑惑が出るくらい」
「えっ、主任って元不良なんです?」
「そんなわけないと思うが……。まあそれくらいおっかねえって思われてるってことだな。課長なんかは何度もコナかけてるみたいだけど」
「あのすだれハゲ死ねばいいのに」
嫌悪感も露わに顔を歪ませる新入社員。
そんな彼女に苦笑しながら、男性社員は続ける。
「まあなんだ、寿退職とか狙う気があるなら主任を参考にするのは止めといた方がいいな。あの人は仕事が恋人だよ。多分リアルの男なんか興味ないんじゃないかな」
「へえー……。やっぱりデキる人は恋愛観も人とは違うんですねえ」
「そりゃそうだよ。しかも今はこの社運を賭けた大プロジェクトを動かしてんだから。頭の中はプロジェクトでいっぱいだろうぜ」
部下たちにそう囁かれている女主任、
(今日はガチャ更新日だったな……。シャイン倒すのに使えそうな武器なら確実に回収しておかねーと……!)
【
ハマり中のゲーム『七翼のシュバリエ』で自分を苦しめ続けているライバル・シャインをどうにかして倒すことであった。
そもそも香苗は重度のガチャ廃人である。珍しい武器やパーツが手に入るガチャが実装されるたびに、軽い気持ちで重課金するような人間であった。
香苗は生まれつき要領がいい。顔もいいし、運動神経もよく、頭も回る。特に作業を効率化するのは大の得意で、他人がまごつくような難題でもあっさりと最適解を見出せる。
むしろ他人が何を手をこまねいているのがわからないくらいだ。
そんな彼女にとって、人付き合いとはとてもストレスが溜まるものである。彼女からすれば大体の人間は愚鈍に見えてしまうのだ。問題の解法なんてとてもシンプルなのに、どうしてさっさと正解のルートを選ばないのか、見ていてイラついて仕方ない。
なのに社会はそんな周囲の愚鈍な人間と共に仕事をすることを強要する。
彼女の優秀性を見出した会社の上層部は、よりにもよって彼女にプロジェクトリーダーという愚鈍な人間たちのまとめ役を命じたのであった。
さらに悪いことに、無駄に魅力的な彼女の容姿は本人が望まなくとも下劣な性欲の対象となる。愛人にならないかと囁かれた回数は両手の指では足りない。そしてそんな下衆な提案をしてくる上司に限って、能力面ではまるで尊敬できない。
そんなストレスに次ぐストレスに悩まされる香苗が手を出したのが、ガチャ沼であった。
元々彼女はゲームが好きだ。いわゆる乙女ゲームと呼ばれる女性向け恋愛ゲームも悪くはないと思うが、それよりもRPGが気に入っている。自分ではない自分になれる体験は、彼女のストレスを緩和してくれる。
数年前にβテストをやっていた『創世のグランファンタズム』というVRゲームでは、中学生くらいの外見年齢の狩人を演じていた。このゲームはリアルと同じ性別しか選べなかったのがやや不満だったが、それでも
残念ながら『グラファン』は正式リリース前に立ち消えになってしまったが、その作品の精神的な続編が出たとゲーム仲間に聞いた香苗は当然『七翼のシュバリエ』にも手を出した。
そして出会ってしまったのである。4気筒エンジンやバイクマフラー型ブースターというバイクモチーフのパーツを排出する“バイクパーツガチャ”に。
学生時代は大型バイクで遠乗りするのが大好きだった香苗は、なんとしてもこのパーツでバイクモチーフのシュバリエを組みたいと考えてしまった。
惜しげもなくブチ込まれる夏のボーナス
凄まじい馬力のエンジンが生み出す力強いトルク、超高速で仮想の大地を駆ける爽快感。誰よりも速く、誰よりも力強い機体。
そんな機体をお手軽に手に入れてしまえる万能感!!
……それが悪かった。
香苗はこの事件をきっかけに、完全にガチャ中毒になってしまったのだ。
(あたしが稼いだ金を、あたしが好きに使って何が悪いのよ!)
キーボードを叩く手に力がこもる。
ヘドバンマニアや血髑髏スカルたち、昔からの仲間からは無茶なガチャはほどほどにしておけと何度も忠告されている。
それでも香苗はどうしてもガチャをやめられなかった。
世の女性たちがショッピングによる浪費でストレスを解消するように、香苗はガチャを回すことで仕事や人間関係で蓄積したストレスを発散する。
そしてそれで手に入れたレアな武器やパーツを取り巻きたちに見せびらかして「すげー!!」と言われることで、何か救われた気がするのだった。
ゲームでガチャを回すのにハマってから、リアルの仕事もうまくいっている。なんだか人当たりが良くなったという評判も得ており、そのおかげで昨年秋からは主任に昇進。大きなプロジェクトのリーダーにも抜擢された。
リアルでうまくいっているのだから、ゲームで多少羽目を外したところで誰に文句を言われる筋合いもないではないか?
……そんな彼女の順風満帆でちょっと危うい生活が変わったのは、1カ月前のこと。
(シャイン……シャインシャインシャイン……!!!)
これまで無敵のエースプレイヤーであったアッシュを軽く一蹴し、全戦全敗の屈辱を味わわせた生意気なクソガキプレイヤー。
あのガキが現れてからというもの、アッシュは何もかもうまくいかなくなった。
『
力こそ正義を地で行くクランメンバーたちはアッシュを取り巻き、ことあるごとにほめそやす。他のクランを叩き伏せ、【氷獄狼】内の対抗馬となるプレイヤーに身の程をわからせ、力を示す甘美なる栄光の日々。
それを、シャインはあっさりと粉砕した。
たかが初期フレームの機体で、重課金パーツで武装した理想の機体があっさり負かされた。
油断したことが全ての敗因と自戒したアッシュは、必勝を期して準備を整え、忙しい仕事を抜け出して再戦に臨んだが、全力を出してなお届かなかった。
アッシュの名声は地に墜ちた。
力こそ正義と信奉する取り巻きたちは、ガキ1人に手も足も出ないアッシュを見限り去っていき、一時的な処分だったはずの一般プレイヤーへの降格措置は未だに解除されていない。
だが、そんなことは今のアッシュにとってどうでもよかった。
(シャイン……!! 俺からすべてを奪った女……!!)
あの生意気な煽り口調と、見下す表情。
それを思い出すたびにアッシュの心の中に宿った黒い炎が燃え盛る。
あれから一カ月。
香苗は忙しい仕事を効率化させて何とか早めに帰っては、シャインがいる戦場へ【無所属】プレイヤーとして乱入している。
【氷獄狼】はことあるごとに得物を奪われるアッシュに武器を提供してくれなくなったため、持ち込む武器はすべて課金ガチャで手に入れたものだ。アッシュもそれでいいと思っている。あんな滅茶滅茶な強さのプレイヤーに相対するには、並みの武器では話にならない。
しかしどれだけ挑んでも、まだシャインに膝を折らせることは一度も成し遂げられていなかった。
(憎い……!! あのガキが憎い、目にモノを思い知らせるまで止まれない……!!)
身をよじるほどの憎悪、魂を燃やすほどに燻り続ける
この屈辱を晴らすまで何があっても止まれない。
生まれてこの方、これほど人を憎んだことはない。
これまで勝てないと思った人間は何度も見た。だが、これほどまでに彼女を侮蔑し、挑発し、挑戦するたびに敗北を味わわせる人間に出会ったのは初めてだ。
彼女の人生で初めて遭遇した、宿敵と呼べる存在。
憎悪は憤怒となって燃え上がり、技量差は嫉妬となってアッシュを駆り立てる。
彼女の魂は黒い魔狼の形を成し、憎しみの咆哮を叫び続ける。
だが
心の中に燃え上がる憎悪のその芯に揺らぐのは紛れもない“歓喜”であることに。
これまで何でも人並みにこなせてこれた彼女が感じていた退屈、それを満たしてくれるのは自分よりも優れた
彼女は今、これまでのゲーマー人生で最高に充実している。
(あいつを倒せるなら、俺はなんでもできる……!! 何を犠牲にしても、あいつに勝ちたいと思える……!! 待ってろ、シャイン……今日帰ったら今度こそ!)
爛々と目を輝かせ、仕事をなんとしても早めに終わらせるためにのめり込む香苗。
鬼気迫るまでの彼女の姿に、見守る部下たちがごくりと唾を飲む。
「どうしたんだ、最近の主任は……。なんて気迫だ」
「それだけ今度のプロジェクトには全力を注いでるんだろう」
「主任があんなに頑張ってるんだ、俺たちも足を引っ張れないぞ」
時は5月末日。あと1カ月で夏のボーナスである。
(とりあえずボーナス入ったらサマーガチャフェス回して、新しいSSR武器でシャインをブッ殺してやる!!!!)
ガガガガガガガガとすさまじい音を立てながら、香苗の仕事は進む。
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