カクヨム先行 おまけ① 俺のライバルは、俺!?

 たまに、彼女が俺じゃない誰かをみつめている気がしてしかたがなかった。


 言っておくが、シドではない。

 この部屋には俺と彼女のふたりきり。

 ふたりだけしか入れない、存在しない、交われないこのベッドルームでよく感じることが……。



 仕事が終わり、お互いに制服を脱いで大佐とか中尉とか、飛行隊大佐とか、護衛秘書官とかなにもかも脱ぎ捨てる。

 夜の静寂しじまに、密やかな甘い吐息を忍ばせ、肌を重ねる時間を堪能する。

 宵闇に紛れて、人知れず……、そっと。

 と言えば聞こえはいいが、シーツの上の熱気は激しい。

 普段はおっとりと大人しい彼女を揺さぶって煽るのも、男で年上である雅臣のほう。

 彼女が『臣さん、臣さん……』と切なく泣きそうな声で、雅臣の胸の下、その素肌に抱きついてくる。

 その愛らしさを眺めながら、雅臣はふと最近、気がついたのだ。

 臣さん、素敵。かっこいい。愛してる。

 雅臣がほしい言葉をうわごとのように呟きながら、彼女が雅臣の肩にしがみついて、ぼんやりと目を細め恍惚としているその視線が『俺を見ていない』ということに気がついたのだ。



 彼女の吐息も、自分の熱も収まった深夜。

 彼女が静かに寝息を立てているそこで、雅臣は静かに起き上がり、彼女の頭の上に近づき、そっと自分も彼女が見ていた方向へと試しに視線を向けてみた。


 そしてはっとする。


「あ、あれか」


 自分に抱きついていた肩越しに、彼女が見ていたもの。

 それは『横須賀マリンスワロー時代、コックピットにいるパイロット ソニック』が写っている『広報ポスター』だった!


 そこに写る男は若々しく、また精悍で華々しい男だった。

 凜々しく自信にあふれ、この男の将来は輝かしく、そしてそれを信じている瞳も煌めいてる。

 そうあの目は、いつだって青い空を見ていた。

 時には切り裂く白い雲の中を雄々しくゆき、迫ってくる海面に恐れを抱かず落ちることさえも怖くはなかった。そして、落ちるわけがない、そこまで落ちても上昇する力と技量を持っていた。誰よりも。

 どこまでも飛べる。誰よりも飛べる。

 なにもかもが、恐ろしくもなかった男はそのとき輝いていた。


 いまの自分が見ても、羨ましく。そして心に痛みが走る。


 あれは俺なのに。もう俺じゃない。

 でも俺がいちばん輝いていた時だ。


 いまは?


 雅臣は首を振る。

 いまの俺はこれからだ。

 俺はやっと歩き始めて、やり直すんだ。

 あのポスターにいる『ソニックという若者』とは違う輝きを探すんだ。


 でも彼女は、当時のソニックを知らないから。雅臣の過去の姿を知りたくて、感じたくて、よくこのポスターを眺めていることがある。 

それはファイターパイロットだった自分としても誇らしいことだったのに。


 まるで違う若い男に彼女を取られた不思議な気持ちになってしまった。


 浅葱色のフライトスーツ、朝日にツバメが飛ぶワッペン。

 コックピットのシートに身を沈め、ヘルメットからのぞく若い男の目がこちらを見ている。

 彼女はあの男にも抱かれている気になっていたのかもしれない。

 若い日の俺に会っていたのかもしれない。




 翌朝、出勤前。大佐の制服に着替えた雅臣は、ベッドルームの壁に貼っていたそのポスターを自ら剥がした。

 横須賀の官舎で一人暮らしをしていた時も、この小笠原に大佐として復帰、転属をしてやってきたのこの官舎にはいっても、自分の寝室になる部屋には必ずこのポスターを貼っていた。

 過去の栄光だった。しがみついていた。


「え、臣さん! なにしてるの」


 朝食の食卓をふたりで揃え、彼女がテーブルを片づけてくれたその隙にやっていたことだった。

 おなじく制服姿に整えていた心優も、出勤前の準備でベッドルームに入ってきて、そんな雅臣のやることに驚いている。


「これ、和室に貼り替える」

「え、ど、どうして」


 おまえがこれを見てるからだよ。俺が抱いているときに。

 そう言いたいが、年上で大人の臣さんと思ってくれている彼女にそんな姿は見せたくなく、また、彼女がどちらの男性も自分だと思って愛しくみつめてくれている気持ちも傷つけたくない。


「過去の栄光だ。俺は、これから海軍大佐として、副艦長に任命された者として、いつまでもコックピットにいたいとしがみつくのはやめることにした」


 嘘ではない。……きっかけはともかく、そうあるべきだとも気がついたから。


「いいの? だって、」

「この俺を見たくなったら、和室にいけばいい。俺もそうする」


 そんな心優が、ポスターを剥がし終え、ひとまず丸めている雅臣の背中に、柔らかに抱きついてきた。


「うん。パイロットの臣さんも、もう知っているし、いまの臣さんはもっとかっこいいよ」


 かわいい微笑みでまっすぐに自分を見上げる彼女に、雅臣も心から微笑む。


 でも思った。


 男ってバカだな。

 ほんとうにバカだ。


 彼女が見ているからと自分に嫉妬して、情けなく思って。

 やっと過去と決別できて。

 彼女がいまの俺が好きと言えば、それだけで気が済むなんて。


「本当にバカだ」


 そう言いながら、雅臣は和室に『栄光』であった横須賀マリンスワロー時代のソニックが写るポスターを一人で貼り替える。


『臣さん、遅刻するよー』


 玄関で支度をすませた彼女の声がする。


「いま行く」


 そう声をかけ、和室のふすまを開けこの部屋を出て行く。

 静かにふすまを閉める。


 栄光の色と影を目の端に残して。






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