20.浜松、元カレと遭遇

 実家に帰るなんて何年ぶりだろう? 

 窓辺には富士山が見える。高速で過ぎていく新幹線。


 心優の隣には、制服姿の大佐殿。

 真っ白な夏シャツに黒い肩章の制服を着ているせいか。やっぱり周りの人達の視線を感じる。


 でも、そんな心優も今日はタイトスカートの制服姿だった。だから余計に目立つようだった。


「最近の新幹線、早いな。このスピードだとカタパルトぐらい行きそうだ」


 雅臣はすぐに空と置き換えようとする。でも心優も窓辺を見る。


 やっぱり懐かしい。沼津に近い三島駅を通り過ぎたが、富士山の形が自分が見て育ってきた形だった。


 まずは浜松基地へと挨拶へいく。その為に、新幹線を降りたらレンタカーで行くことになっていた。


 運転は雅臣がしてくれるという。臣さん、車で事故に遭ったはずなのに、そこは大丈夫なのかなと心配になる。


 心優も運転できると言ったのだが、俺がすると聞かなかったのだ。それがまた気になって……。


 無事に浜松駅に到着。予約していたレンタカーも待機してくれていて、ふたりは長い休暇のために詰め込んできたお互いのトランクを積んだ。


「ついこの前も来たばっかりなんだよな」


 運転席に大佐殿が乗り込む。シートベルトを締める雅臣を見ながら、心優も助手席に乗り込んだ。


「そういえば、そうだったね。あの時はなんの研修か教えてもらえなくて、ほんと臣さんどこにいるんだろうって心配だったんだけれど、まさか実家近くの基地にいたとはね……」


「でも。過密スケジュールの研修だったし、数年ぶりに空を飛ぶとなるとだいぶ気が張って、やっぱり実家に知らせる余裕も気力もなかったよ。また母さんを心配させてもなあと思って」


 だから近くに実家があっても帰らなかったし、連絡もしなかったという。


「この前も、こうしてレンタカーを借りて基地まで行ったんだ。運転の感を取り戻しておこうと思って。これから島でも運転が必要になるだろ」


 ああ、それで。感を取り戻しておいたから、俺が運転でも大丈夫ということだったらしい。それを知って心優もホッとする。


「浜松基地の連隊長兼司令の石黒准将に挨拶してから、俺の実家な。基地から十五分ぐらいのところなんだ」


「わたしも浜松基地の教育部隊に数年いたけれど、だったら、アサ子お母さんとは近くにいたってことになるんだね」


「ほんとうだな。双子もびっくりしていたよ。どこかで心優さんとすれ違っていたかもって。まあ、あいつらまだ小さかったと思うけど」


 そう笑いながら、雅臣がエンジンをかけた。余裕で楽しそうなので心優も安心して、助手席でシートベルトを締める。準備ができると、ミニワゴンタイプの車が発進する。


「浜松基地で研修中、久しぶりのコックピットは緊張したの」


「そりゃあしたよ。でも、覚えているもんだな。六年ぶりだったのに。それに浜松ではT-4で練習していたから、なんか初心に返ったような気分で乗れたよ」


「足、痛かった?」


 雅臣がアクセルを踏んでいる足を見て黙った。心優はしまったと口をふさぎたくなる。その足は、こうして車に乗っている時に怪我をしてパイロットではいられなくなったのだと――。


「うん、上空で。これはダメだなと諦めもついたよ。きちんと申告した時点で、もう不適正になった。でも御園准将と石黒准将揃っての許可があったから、最後に一回だけT-4に乗るための訓練は許されたんだ」


「じゃあ、石黒連隊長のおかげでもあったんだね……」


「そう、無事に飛べた報告は既にしてあるけれど、顔を見てお礼を言っておきたい。ああ、そうだ。心優のことも覚えてくれていて、結婚すると報告したらとても驚いていた」


「え、わたし……。ただ空手の練習をして、お稽古の相手をして、新人事務官の後輩に簡単な事務を教えるぐらいの仕事しかしていなかったのに」


「だけれど。横須賀訓練校で武術教官をしている父親がいて、お兄さんが櫻花日本大柔道部の監督となれば、その娘で妹で空手の全日本選手団にいれば、連隊長だって覚えているよ」


 うわー。どうしよう。浜松基地ではただただなんの向上心も持たずに日々を過ごしていたのだから。心優は雲の上のおじ様だった、白髪交じりの短髪おじ様を思いだす。接点なんてほぼなかった。でも向こうは覇気のない心優をもどかしい思いで見ていたかもしれない。そんな連隊長に久しぶりに会うことになるかと思うと、ちょっと緊張してきた。


「俺が研修している間も、心優の元上官だった教育隊の中佐からも声を掛けてもらったかな。園田がものすごい発展を遂げて化けたので驚きました。城戸大佐が採用してくれたおかげですと喜んでいたな」


「いやー、もうやめて。わたし、浜松ではほんとうにうじうじしていたの」


「もう誰もそうは思っていないよ。なんたって、シルバースターの勲章をもらった任務で功績をあげた護衛官だもんな。しかも、あのミセス准将の!」


 そうだけれど……。なんか、顔合わせづらくなっちゃったなと心優は気後れしてきた。


 そうして浜松基地にいる間、マリンスワローにいて雷神にもいた雅臣が操縦するたびに、その飛行を見た隊員達にすごく声を掛けられたらしい。そこでどうしても元々浜松基地にいた心優のことも聞かれてしまうことになっていたとか。


 ソニックは相変わらず人気者。もうコックピットから降りることが決まっても、そのT-4でアクロバット練習をすると隊員達がすごく湧いたとのことだった。


 わかるなあ、と心優は思う。小笠原でも、心優と雅臣がT-4に乗った時、基地建物の窓際にたくさんの隊員が身を乗り出していたから。特に男性隊員から見たら、それこそ雅臣はエースでヒーロー、俺達大好きソニックになってしまうんだから。


「心優が浜松を出て二年だろ。その間に、すげえステップをしたんだから自信を持ったらいいよ」


 運転をしてる雅臣が、大きな手で心優の頭を撫でてくれる。それだけで心優もうんと微笑んで頷けた。


「ああ、ちょっとコンビニに寄っていいか。小さな電池が欲しいんだ」

「うん、いいよ。わたしも喉渇いたな」

「俺も。冷たいコーヒーが欲しい」


 新幹線を降りてすぐ車に乗ったので、ここでちょっとひと息とコンビニに寄った。


 浜松基地はもう目と鼻の先だけれど、石黒准将に緊張して会う前にひと息つくことにした。


 ここらへんは基地の街なので制服姿も珍しくないのか、コンビニに入っても店員が驚くことはなかった。


「わたし、飲み物見てくるね」

「うん。じゃあ、俺は電池を――」


 それぞれの売り場へと別れた。


 心優は奥にあるペットボトル飲料の大きなケースまで。そこで『香りがいいお茶がほしいな』と探していた。


 パパ、パパ。あれがいい。

 わかったから。まずは飲み物からな。なにが飲みたい。

 オレンジジュース。


 小さな女の子が走ってきた。そうして心優のそばまで来て、小さな手をケースのガラスについて、オレンジシュースを探している。


 いいな。小さい女の子。かわいい。裾がふりふりのお洋服に、キッズスキニーをはいている。わたしも女の子が生まれたら絶対にこんなふうに女の子らしくさせてあげたいと微笑ましく眺めていた。


「パパ、あった」

「どれ」


 夏の紺色カットソーに、バミューダーパンツという、如何にもお休みの日スタイルのパパがやってきた。


 その男性を見て、心優の背にじわっとした汗が一瞬で滲んだ。向こうも夏の制服姿の心優に気が付いた。


 お互いに目があって、お互いに青ざめていた。


「心優……?」

「武野海曹……」


 おなじ目線の、おなじ背丈の男性が目の前に。


「どうして、ここに。小笠原にって……」


 別れた女はいま小笠原にいると知っている。そして、心優も。


「転属されたのかと……」


 元カレだった海曹の男、元上官だった男がまだ浜松にいた。

 しかも小さな女の子の『パパ』になっている。

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