45.最前線へ指名する

 長期休暇を終えて翌日。昨夜は疲れ切って雅臣も心優もぐっすり。でもぴったり抱き合って眠った。



 いよいよ、本日。心優は『城戸心優』になる。



 だが、朝一番。訓練が開始される前に、御園准将はもう動き出していた。


「失礼致します」

「失礼しまっす」


 朝一の准将室を訪ねてきたのは、クライトン少佐と鈴木少佐の二人だった。


 二人ともまだ凛々しいネクタイの夏服制服のまま。訓練に行く前に、上司に『准将室へ行け』と言われてやってきたようだった。


 それもそのはずで、御園准将も今日一番最初にやることとして、このパイロット二名を呼ぶと決めていた。


「おはよう、フレディ、英太」


 随分と砕けた呼び方だったけれど、雷神パイロットの二人は朝一番に呼ばれたことで既に気構えている。


 御園准将も皮椅子から立ち上がり、彼等を正面に向かう。


「あ、英太。またノーネクタイで出勤したでしょう」


 姉貴の顔で葉月さんが鈴木少佐の黒ネクタイを指さした。図星だったのか、鈴木少佐が頬を染めて、少し緩んでいたネクタイを、ぎゅっと首元まで締め直した。


「わかるんだから。いつもノーネクタイで出勤して、スナイダーの朝会で毎日注意されて、それからやっとネクタイ。或いはもう飛行服に着替えちゃうからしないでもいいかー。午後からきちんと締めるしー、なんて」


「い、いいじゃないですか、ここにくるのにきちんと締め……」

「スナイダーに怒られて、慌てて締めてきたんでしょ。フレディはいつもクールで素敵ね。『お兄さん』と並ぶとなおさらにわかっちゃうわよ、英太」


 ますます鈴木少佐が真っ赤になる。ついに親友のクライトン少佐がくすっと笑っている。もう素直すぎてわかりやすくて心優まで笑いたくなるけど堪えた。


 何故なら。今から彼等に告げられることはとてつもなく過酷なことだったから。でもクールなクライトン少佐の表情まで崩させて、ミセス准将も彼等の構えを解こうとしている。


 それでも今から彼等が告げられることに、このほぐしは関係ないと心優は思ってしまう。つまり、告げる御園准将もこの重さから逃れたいという気持ちの表れ。


「訓練前、朝早くからご苦労様。今日は貴方達二人に伝えたいこと、聞いておきたいことがあり呼びました」


 准将の言葉に、二人が揃って敬礼をし凛々しい顔つきに。心優はただただ黙って、御園准将の後ろに控える。


「まずは、これを……」


 昨日同様に、御園准将はあのタブレットの画像を、彼等にも見せた。


「今日、午後の雷神ミーティングで周知する予定よ」


 やはり、雷神パイロットの二人も驚き息を引くような反応を見せた。


「尾翼に銃撃の痕、まさか機関砲で撃たれた?」


 クライトン少佐が青ざめる。


「この尾翼イラスト、菊と雲の……。岩国の空海だ。パイロットは!」

「無事よ。火災もなく着艦している」


 昨日と同じように准将が答えた。


「それで昨日、海東司令がいらしていたのですか」


 クライトン少佐は落ち着いている。でもフライト空海の尾翼画像を見る目は燃えているように心優には見えた。


「なんでこんなことが起きたんだよ!」


 鈴木少佐は相変わらずの悪ガキぶり。准将だろうがなんだろうが、いつもの遠慮無さで叫ぶ。


「この後すぐ、雷神飛行隊長のスコーピオン、スナイダーを呼ぶつもりなの。その時にも報告するけれど、高須賀准将が東シナ海を巡航している時に、これまで認識されなかった機体番号のスホーイが侵犯も厭わず、挑発的なアタックをしてくるという報告が数日前に。高須賀准将も感じるところがあったのか、その機体のことを『王子』と呼ぶようになった」


 『王子?』――、パイロットの二人が眉をひそめ訝しむ。


「前回の航海で、貴方達が必死に追ってくれたバーティゴ事故を起こしたパイロットのことよ」


「あの、不審者を招き寄せたという司令総監の子息だった男のことですか」


「そう」


「なんでだよ! あんな事故を起こして、こっちの空母もすげえ危機にさらされたし、園田さんだって不審者と対戦して危なかったじゃねえかよ。こっちが護ってやって、葉月さんが丁寧親切に保護して海東司令が骨折って大事に国に帰したのに、この仕打ちかよ!」


「英太。いつも言っているでしょう。彼等は『悪』ではない。彼等も生きて行かねばならない立場と文化があると。だけれどそれが相容れぬのが国と国。そのせめぎあいの一線を『護る』のが、防衛……」


「その一線を越えてるじゃないか!!!」


 大きな声に、心優は耳を塞いで、目も瞑った。そういう血の気多い青年の怒声はとても激しいものだった。


 それでも御園准将は動じず、いつも通り冷ややかに受け止めている。涼しげな眼差しがそのまま弟分に注がれる。


「越えた一線を、向こうに押し返すの。私達の手で、バランスを取り返すの。でも押し返すには『押された以上の力が必要』。バランスが崩れた限り、こちらもリスクを負わねばならない。それも防衛を担う者の役割。そのために、国民に支えてもらっている」


「わかってる、そんなこと……。でも、リスクって……」


 鈴木少佐は先を問うたが、クライトン少佐が答える。


「それで。私と鈴木をお呼びになられたということですか」

「そう」


 同僚の言葉に、鈴木少佐もやっと悟った顔に。

 ミセス准将がひんやりした顔で彼等に告げる。


「貴方達二人に、最も前に出てもらいたいの」


 最も前――。どのパイロットよりも敵機に向かえという准将からの申し出。


「王子と正面対決をしようと思う。でもそれには今までのような『ご挨拶』というわけにはいかない。あちらが機関砲を使ってきた以上、二度目もあると思って接戦をしてもらう。圧倒的な実力であちらを押し返して欲しい」


 その指令に、鈴木少佐の目が燃えさかった。これまたわかりやすく……。


「もちろんだよ、あったりまえだろ!」


「ただ! それを望まぬ保守的な上層部もいると海東司令から聞かされている。つまり……、私と心中できるかという話」


 『私と心中』。それは彼女が昨日、雅臣に告げたことだった。

 上層部には僅かな被害も許さない、それならば退けという高官もいるらしい。そもそも『高須賀准将と御園准将が押し気味の航路を無理に押し通して、大陸国を刺激したからだ』とも言われているとのこと。


 帰り際、海東司令は言っていた。『ここが私達の正念場です。貴女と私と高須賀准将の指針が正しかったかどうか。失敗すれば、私達は失脚、貴女だけではなく私も更迭されることでしょう』と――。


 さらに海東司令はこうも言っていた。『それでも、大陸国の防空識別圏からのアラート傾向のデータを採取できたのは、貴女が一貫してきた押し気味航路のおかげという評価はある。貴女と高須賀さんがそうしてくれたから、保守的な航路を取る艦長達が楽することができたのですから』。


 昨日雅臣は、御園准将から『バレットとスプリンターを行かせて欲しい。ただ彼等の運命は私と共になる。勝負に負ければ、私達は終わる。だから絶対に負けられない』と告げられた。


 『競技だ』とやんわりと表現されたことに不服だった雅臣も、ミセスの秘めたる闘志を見せられ御園准将に共鳴できていることに納得し、彼女の指針に従うことになった。


「上層部に反する指揮をすることもあるかもしれない。その時はあなた達に、いままでにないことを頼むかもしれない。それでも私に委ねて従ってくれるのか、それを今日は知りたい」


 二人のパイロットが、僚機同士の二人が顔を見合わせ、すぐに頷いた。


「自分はやります。そのための貴女の猟犬ハウンド。そうだろ、葉月さん」


「自分も同じです。貴女に見出して頂き、ここまできたのです。いまこそ上官の上等な猟犬ハウンドとならず、いつその本来の役割を果たせというのですか」


 二人の決意は既に固まっていた。どんな時も貴女の指示で飛んできた。最高のハウンドは俺達だとばかりに。


「英太。撃たれても?」

「いつだってその覚悟でファイターパイロットをしてきたんだ。当然だろ。俺のドッグタグはミセス准将のものだ」


「フレディ。帰還できなくても?」

「パイロットになった時からその覚悟です。家族も、妻も同じです」


 殉職も視野に入れろという、御園准将らしくない確認に、心優は涙が滲みそうになる。そういういままでにない過酷な対戦が待っているという空気がひしひしと伝わってくるから。


「ありがとう。では、大陸国が今回のような対戦をしかけてきたら、あなた達を最前線に送ります。スナイダー……、スコーピオンのウィラードにはあなた達の援護をお願いするつもり。スコーピオンのスナイダーは、最前線のドッグファイトの役割より視野を広くして空戦を判断することに長けているからね。その分、あなた達は視野を狭くしてもいいぐらいのバックアップをしてもらうわ」


「スナイダー先輩、飛行隊長なら安心です。俺と最後まで1対9を争ってきた先輩です」


 鈴木少佐も納得した。


「自分もウィラード飛行隊長になら周囲を任せられます。では、自分たちは『王子』だけに集中すればいいということですね」


「そうよ。ただ、この通り。岩国のエースフライト空海がきちんと帰還できるような『撃ち方』ができる腕前よ。バーティゴに陥ったとはいえ、最後の脱出の時は咄嗟の判断で操縦桿を回避方向へ切ってから脱出してくれた。そういう瞬時の判断力も非常に優れていると思う」


「望むところだ。二度とこちらの国に入ってこないよう徹底的に追い返してやる」

「自分もです。こちらへの侵犯はいっさい許しません。それが家族を護ることだと思って飛んでいます」


 『よろしい』と、御園准将もその意志を受け取った。

 そこでやっとミセス准将は、ひと息ついて皮椅子に座った。


「引き受けてくれてありがとう。あとひとつ。貴方達に話があるの」


 そう言って、ミセス准将は木彫りの引きだしから、あの紙をデスクの上に出した。


 それも雅臣が既に聞かされていた話――。それをさらに今から彼等に。


「リスクばかりの話をしたけれど、貴方達には無事帰還した後、新しい部署への転属を検討してもらいたいの」


 新しい部署? また二人が揃って驚きの顔を揃えた。

 雷神を辞めさせられるという話だからだ。

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