5.シドくん、おまえもかぁ!

 ミセス准将がお待ちの本日の訓練データを准将室に届けた後、今度はパイロットのシミュレーション機『チェンジ』に本日の飛行訓練データを投入するために、そのチェンジがあるセクションへ向かう。


 工学科の近くのエリアにあり、管理は工学科。責任者はもちろん工学科科長である御園大佐だった。

 工学科棟の建物から一度外に出て、渡り廊下をあるいて、その建物に辿り着く。


 最初の自動ドアはフリーだが、そこから先は許可された者しか入室できない仕組みになっている。まずは軍の隊員IDカードのスラッシュ、次は航空関係の一部幹部にしか配布されていないチェンジ室の管理者専用IDカードのスラッシュ、そして静脈の認証。最後のドアが同じくチェンジ室管理者用IDカードと網膜のチェックでやっと室内に入れる。


 連隊長は当然のところだが、航空関係数名の大佐と、大隊長であるミセス准将とそこの秘書官数名のみだと言われている。

 雅臣も大佐としてこの基地に就任し、すぐにこの一人として許可された。

 今日もそこにデータを投入して、チェンジという機械にパイロット個人のデータを蓄積させ、現役パイロットの訓練に役立てるようにしている。


「城戸サン」


 聞き覚えのある声にびっくりして、雅臣はチェンジ室の入口ドア前で振り返った。

 工学科からこの建物に向かう渡り廊下、そこに金髪の青年が立っていた。


「フランク大尉、お疲れ様。どうした。こんなところで、珍しい」


 今日の午前中、勇ましい姿で心優とやり合っていた男が、いまは黒ネクタイの夏シャツ制服姿で清々しくこちらを見ている。青い瞳に少しばかり不機嫌な色合いが見て取れた。


「これぐらいの時間に、城戸サンがここに来ることはわかっているんで、待っていたんですよ」

「そうなんだ。で、なにか用かな」


 業務外の話だとすぐにわかる。連隊長秘書室所属で、戦闘員訓練をしている男が、こんな航空関係のところに用はないはずだからだ。だからこそ雅臣は大佐の顔で厳しく突き返そうとした。


 それでも彼もそこをわかっていて、業務を抜け出して雅臣を待ち伏せしていたようで、その意気込みも本物。


「業務中にこんなことするものではないと、俺も解っていますよ。でも、どうしてもいま確かめておきたいんですよ」

「俺ではないと駄目なことか? 他の上官に確かめられることではないのか」


 嫌な予感がした。シドが思い詰めて雅臣に突進してくることなんて『心優のこと』に決まっているではないか。この男とはあまり男同士の腹の探り合いをしたくはない。そう思っているから、業務中なら特にそこを避けようと雅臣はチェンジ室に入ろうとした。ここに入ってしまえば、一秘書官であるシドは絶対に追いかけては来られない。


 だからなのか。去っていこうとする雅臣の背に、シドは焦るように叫んだ。


「み、心優に、子供が出来るってこと、あるのかないのか。それだけ教えてほしい!」


 うわあ、おまえもか! 雅臣はチェンジ室の自動ドアが開いたところで立ち止まり振り返ってしまった。


「答える義務はない。プライベートの範囲で彼女と俺の問題だ」

「じゃあ、これからは手加減はしない。それでいいですね。今日はそれが気になって手加減をしたから、心優に投げられた。もう、こういうモヤモヤであいつと訓練するのはいやなんですよ!」


 午前中の訓練。心優がシドを投げて勝ったのを思い出す。そういえば、海兵王子とあろう男が、凄腕の彼女とはいえ易々やられていたのも不自然だったかもしれない。


 では、本日のあの心優の鮮やかな勝利は、この男が彼女を結婚する女性として気遣ってしまった上での勝利? 雅臣は茫然とする。それを知ったら心優はどう思う?


「それ。心優には……」

「知らせるわけないでしょう。あいつの格闘家としてのプライドを傷つける。でも、避けられないことでしょう。俺、こんなこと、初めてでどうしていいかわからなくて。かと言って、心優に聞けるわけないだろっ。今日もダイナーに行こうと英太兄さんに誘われたけれど、あいつの顔を見たらなんか言ってしまいそうだから断った」


 うーん、そんな展開になっていたのかと、雅臣は眉間にしわを寄せた。


「それを聞いて……。フランク大尉は、俺達のプライベートを聞いて、では、どうするんだ。聞けるのか」


 俺と心優が確実に肌を重ねて愛しあっていて。それでその先、子供をどうするか、二人でどう考えているか。心優に思いを寄せているおまえはそれを聞けるのか――。男としての問いだった。


 だがトラ猫王子は殊の外、真剣な真顔で雅臣に向かってくれている。


「結婚するんだから当たり前のことだろ。今更、俺がそこを避けてどうするんだよ。それに、俺だけじゃないはず。心優は護衛官だ。これからも身体を使うのが彼女の任務だ。妊娠するしないは、同僚や上官にとって大事な問題だ。……と、至ったので、きちゃいました……」


 立派な結論だったが、最後の自信なさそうな『きちゃいました……』に、雅臣はつい笑ってしまった。


「シド……て呼んでもいいかな」

「あれ。シドって呼ばれたことなかったですっけ」


 馴れ馴れしく言いにくかっただけ、だなんて言えなかった。


「ダイナーではなくて、上官の溜まり場であるバーではなくて、どこか飲めるところあるかな」

「ないこともないっすけど。タクシーでいかなくてはならない遠いところですよ。それに、そこ変なオジサン達が集まるんですよ」


 変なオジサン? 雅臣が首を傾げると彼が意外なことを呟いた。


「たとえば、御園大佐とか、あと、谷村社長という御園の義理のお兄さんと。あと、たまにエドとか、ジュールおじきとか、喋っているのか喋っていないのか、何しに飲みに来ているのか無言で向きあっているだけで、むっちゃつまんねー集まりって感じのところっすよ。俺はつき合えないですね、あんなところ」


 どこが変なオジサン達だ!

 御園家を司る主要ボスな男たちばかりの集まりじゃないか。

 あのミスターエドまでいるし。

 もの凄いメンバーで雅臣はびっくりする。


「そこ、教えてくれるか。今夜は、俺のおごりな」

「なんで、ここで一言妊娠について教えてくれたらいいことじゃないですか」

「やだ。その場所を教えてくれるか、連れていってくれるなら、教える」


 もう、わかりましたよ――と、シドがふて腐れながら了承してくれた。


「城戸サンひとりで乗り込んだら気の毒な場所だから、連れていきますよ。もう。後悔しないでくださいよ」

「だったら、なんでそこで飲めるだなんて俺に教えたんだよ。他にないんだろ」

「そこなら、絶対に心優に見られないって場所だから。今日のダイナーの誘いを断って、俺と臣サンが一緒のところを見られたらどうするんですか。彼女の妊娠を巡って、いろいろこじれるでしょ」

「なるほど。いいじゃないか。そこにしよう」


 では、心優にはわからないように落ち合おうと、夕方の時間を約束してしまう。


「どうしてこうなった」


 まさかの、トラ猫王子との約束をしてまうだなんて。

 でも、そのスーパー旦那様の御園大佐が密かに通うところの方が気になる!

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