4.夫の、妻の、社交場

 雅臣はハッとして姿勢を正し、マウスを握り直す。だが既に遅しで、銀髪の大佐に笑われていた。


 彼が先程までミセスが座っていた椅子に座り込んだ。


「どうした、溜め息ばかりついていたな。ミセスがいたようだけれど、何か言われたか」

「いいえ。たいしたことではありませんでした」

「彼女が、わざわざ一人で准将室からここまでやってきたのに? 俺にも適当な理由を教えてくれたけれど、俺も彼女と付き合い長いんでね。あの憎たらしい『大佐嬢』だった彼女が、すぐばれるような嘘をつくのも、たまにはかわいいもんだけれどね」


 うーん、ベテランのこの大佐に俺が敵うわけがない。雅臣は降参した。


「ミセスが俺に聞きに来た内容は結婚後どうするのか、というプライベートの話です。俺がいまぼうっとしていたのはですね……」


 同じ溜め息をつくと、銀髪のミラー大佐がじっと雅臣を見つめている。


「あの、ミラー大佐は、奥様が出かける時は、どれぐらいの範囲で許せているのですか?」


 彼が目を丸くした。


「たとえば? 妻がどこに出かけるかとか、いつ出かけるかとか、誰と出かけるか、ということかな」

「そうです」

「ふうん、なるほど。結婚前の、彼女に対するマリッジブルーってやつか」


 雅臣の頬が少しだけ熱くなる。


「そうかもしれません?」


 しかしミラー大佐は、優しく微笑んだだけだった。


「男と一緒でなければ、どこでもどうぞってかんじかな。ただ、うちの彼女は専業主婦だから男と出かけるはないなあ。でも離島生活をさせてしまっているから、横浜や東京に遊びにいきたいというのは仕方がないとして、泊まりででかけられるといろいろ心配だな。それでも縛ったりできないだろう。そこも男の甲斐性だしなあ……」


 同じようでほっとした。


「あれだろ。アメリカキャンプでも有名だよ。特にミユは、いま基地ではミセスの次に誰もが知っている女性隊員だ。キャンプのダイナーに食事に来ることは良く目撃されている。その時に一緒なのが、雷神のエースと、海兵王子だもんな。どちらも独身で、基地の女の子が誰が恋人になれるかと騒ぐほどの男を両脇にしてな」


 その光景が目に浮かぶだけで、雅臣は抑えていた何かが溢れそうになって落ち着きがなくなる。それも男の先輩はお見通しだった。


「だが、英太は『とある、お嬢ちゃん』しかみえていないようだから、ミユに興味を持つことはないだろう」


 ん? 英太には『とあるお嬢ちゃん』? まさか――とまた笑い飛ばしたくなったが、段々と笑えなくなってきた。つまり知っている者からすれば、英太と『彼女』は、そういう関係とも聞こえてきた!


「女の子達はそうは気がついていないだろうけれどな。英太が恋人を作らないのは、雷神のエースとして空に全てを注いでいるからと思っているし、天涯孤独になってしまったから、いまは御園の家族としてそれだけで楽しそう――という見方で。王子の方は、女はまだまだ遊びで結構という主義のようだし。いまのミユの活躍ぶりでは、彼女に文句を言える女の子もいないだろうな。そしてそのミユには既に大佐殿というフィアンセがいる。ヤキモキするけれど、あの三人が恋仲になっていざこざすることもない。しばらく様子見、御園ファミリーの三人だから楯突いて事を荒立てたくないし、いまは放っておきましょう。っていうのが、いまの女の子達の結論みたいだな。という雰囲気の三人だから、故に旦那になる雅臣もいまは様子見で慌てることなかれ、というところだな」


「よく知っていますね! そういうのどこからお聞きになるのですか」


 銀髪の渋いおじ様大佐。部下達はデータに変換する理系の事務系隊員ばかりの『データ室』を管理する室長で、若い女の子との接点なんてどこにもないはずなのに。


「妻だけでなく、夫にもそういう『社交場』は必要。ここ、知っているか。雅臣も大佐だ。おまえにはここがお似合いだよ」


 ミラー大佐が、とある店のカードを差し出した。『ムーンライトビーチ』という観光地エリアにある海辺のショットバーのようだった。


「最初は、俺とミセス准将がデートしていたんだけれどな」

「デート、なんてされていたんですか」

「真に受けすぎ。そういう例えで遊んでいるだけだ。雅臣はそういうところ真面目すぎるな」


 確かに自分は、先輩達のそういうジョークが読みとれずに真に受けてしまうことがあると雅臣も思っている。特にこの小笠原という部隊。アメリカンジョークに溢れていて、大袈裟な冗談で笑い飛ばして楽しんでいる風潮がある。まだそこに横須賀隊員だった雅臣は慣れていない。


「彼女と澤村が恋人同士だった時から、彼女とゆっくり話したいならここと、いつのまにかそうなったんだよ。そのせいか、不思議なことに、澤村はここに余程の用事がない限りは寄りつかない。澤村も心決めているんだろう。『ここは彼女の付き合いの場所。夫の俺が首を突っ込む場所ではない』と」


 その話を聞いて、雅臣は感動する。『すげえ、御園大佐! そんな結婚する前のお若い時から、そうやってあの人を余裕で泳がせられていたんですか!』と。


 いまの雅臣は、心優がダイナーに行くだけでヤキモキしているのに。さすが、じゃじゃ馬のミセス准将の夫は、心意気が違う! と見せつけられた気分だった。


「彼女は結婚前から毎週木曜日にはここへ通う習慣があるんで、そのうちにコリンズ大佐とかテッドとか、彼女の周りにいる幹部が集まるようになった。そういうところで、無駄な話をしていると、基地中のあちこちにいる男達からいろいろな話を聞けるもんなんだよ。基地では勤務中でできない『無駄話』は、ここでは『情報』になるんだ」


 ミセス准将クラスの指揮官達の社交場。そんなところがあったのかと、雅臣はもらったバーのカードをしげしげと眺めた。


「もちろん、男同士の人生相談もありだからな。ミセスもけっこう俺に愚痴るよ。澤村の愚痴」

「え、そうなんですか。そんな葉月さん想像できないなあ……。けっこう、御園大佐と対等で負けていないって顔をしているじゃないですか」

「あれな。彼女の強がりだから。本当は、いつも澤村に負けっ放しで、陰で歯軋りばっかりしているんだよ。ああみえて、澤村にやられっぱなしの、かわいいお嬢さんのまんまなんだよな。結婚する前からずうっとあんなだよ」

「まったく想像ができません」


 という場所だから。雅臣も息抜きに一度おいでとそのカードを握らされ、ミラー大佐も席を立って去っていった。


「ん? つまり、旦那の俺もここで息抜きをして、妻の社交場には首を突っ込まない余裕を持てってことを教えてくれたのか?」


 やっぱり俺が密かに我慢するのかと、息抜き場所を教えてもらったのは嬉しいが、結局雅臣は釈然としなかった。


 あんな、御園大佐みたいなじゃじゃ馬の手綱を握る『スーパー旦那』になんかなれるか! と思ってしまった。


「というか……。御園大佐こそ、どこで社交場をもって、発散しているのだろう?」


 そっちの方が気になってしまった。あのスーパー旦那さんの愚痴を受け止めてくれるところはないのだろうか?

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