43.サラマンダー、業火をまとっても
言い合う上司二人を前に、彼女がいつものアイスドールの顔を見せて、彼らに向かう。
「
海東司令のことも、以前は『海東君』と呼んでいたのか。しかも上官である男二人を、仕事以外で呼んできた呼び方で……。
「覚悟はできております。次回の航海で最後でもいいと思っています。なにかあれば……。遠慮なく私のことはお切りください」
それが御園准将の覚悟。一瞬にして、准将室が凍り付いた。『彼女はこれを最後に艦から降ろされる覚悟もしているのだ』と。
「もし私の判断が迷惑をかけるものとなり、更迭というものになりましたら、その後をお願いいたします。私の後継には、橘大佐がおります。そして城戸大佐も。補佐には御園大佐の起用をお願いします」
心優は愕然とする。怯えた様子などこれっぽちも見せなかった余裕げな葉月さんだったけれど……。真っ向勝負と覚悟した分、自分がこれで処分されるのも厭わない決断を既にしている。
立派な覚悟だと心優がちょっと感傷的になったその時、どこかわなわなと肩を震わせているような、いつにない様子の細川連隊長がソファーから立ち上がる。
雅臣の目の前でタブレットを眺めていた御園准将の前に立ちはだかった。冷たく見下ろしているのに、その目が囂々と燃えているようで心優はひやっとする。しかも心優の隣に控えていた雅臣までもが『ヤバイ』と後ずさるほど。
心優と雅臣が恐れたじろいだその瞬間、 細川准将の手が振り上げられる。その手が空を切ってどこにいくかわかった心優は『やめて』と一歩踏み出したが遅かった。
スパンと乾いた音が准将室に響き渡る。あのミセス准将がおもいっきり頬を横殴りにされた!
そこにいる男達が、海東司令までもが驚き、彼も立ち上がった。
「いや! ちょっと先輩、やりすぎですよ!」
「まったく、これだからおまえは『甘ったれ』ているんだ!!」
この連隊長、普段は冷ややかだが、時々すごく熱くなる――と御園大佐から聞いたことがあるけれど、これか……と、初めて見た心優は震えていた。
でも御園准将は恐れていない。恐ろしい兄様に、同じように冷たく燃える眼差しでやりかえしている。まるで兄妹喧嘩のよう!
「艦長の使命をまっとうする。それだけは譲れません」
さらに細川連隊長の目が燃えさかった。負けん気の妹の口答えにさらに火がついたとばかりに。
「そんなの当然の仕事だ! だがおまえの使命はそれだけではないだろう! おまえ、アグレッサー部隊の設立を投げ出す気か! また周りを巻き込んであちこちの幹部は『アグレッサーができてしまったらどうなるんだ』とヒヤヒヤしてるんだぞ。それを放り投げるただの『お騒がせお嬢ちゃん』で終わる気か!」
そこで熱くなっているだろう頬を手でさすっている御園准将が、ほんとうにお兄さんに叱りつけられた妹の顔に崩れ、うつむき長い栗毛の中に顔を隠してしまった。
「俺と、
吼える連隊長の声で、准将室の空気がビビビと揺れた気がした。でも心優はそれどころではない。
「准将、大丈夫ですか」
「大丈夫、控えていなさい」
心優がどんな気持ちでいるのか通じているからこそ、御園准将が怖い目で心優を退けようとした。でも心優は、思わず細川連隊長を見る。
どんなに男同様の将官であっても、お兄様だからこそ、女性として労って欲しいのに!
「園田、やめろ」
雅臣にも心優の気持ちが通じている。だからこそ、連隊長に訴える目を向ける心優を引かせようと心配してくれている。でも……。
「わ、わかった。園田中尉のいいたいことはわかっている、……」
あの連隊長が心優の目と合わせられないとばかりに、目線を逸らしてしまった。
「やめなさい、心優。少将殿よ、控えなさい。いいのよ、兄様にひっぱたかれたのは初めてではないんだから」
なんですって!! なんど、この真っ白なほっぺたを赤くしてくれたのよ!! 今度は心優が燃えあがりそうになった。でも御園准将が心優の踏み出しそうな身体を止める。
「兄様だからできることなの。私には必要なことなの。いいのよ。兄様なんだから怒る時は妹を怒って当然でしょう」
ハッとする。そして心優は改めて気がついたことに我に返って、細川連隊長をもう一度見つめる。だけれど、なんだか『暴かれちゃった』みたいにして今度は連隊長が恥ずかしそうにして背を向けてそれっきり。
あ、お兄様だったんだ。連隊長たるアイスマシンさんではなくなって。お兄様として感情的になっちゃったんだと。
「大神、冷たいおしぼりを準備してもらえ」
「はっ……」
「いえ、わたくし共の秘書室です。こちらで準備いたします。お気遣いありがとうございます」
海東司令の気遣いだったが、大神中佐ではなく、ラングラー中佐が秘書室へと向かった。
背を向けたままの連隊長がそのままそっと呟いた。
「更迭も許さない。完璧にやりこなして帰ってこい」
「そのつもりです」
「つもりじゃない!」
「誓います。何事もなく戻って参ります」
連隊長もなにも言わなくなった。
「うん、今日はいいものをみせさていただきました。C-130輸送機で岩国から運ばれてくるのは乗り心地最悪でしたが、小笠原に来て良かった。いいですねー。私も葉月さんに『お兄様』と呼ばれてみたかったなあ。『海東君』ですからねえ……」
「若いのだからそうなりますでしょう」
「俺は兄様なんて呼ばれるたびに、むかっ腹が立つ!」
あーあ、この連隊長さんはまったく素直じゃないんだから――と心優は密かに呆れている。最初は嫌だっただろうけれど、いまは嬉しいくせにと心優は思っている。
「にしても、園田中尉」
やっと。いつものアイスマシンである連隊長の視線が注がれ、心優は焦る。
「女性ならでは――。俺達にはないもので、艦長を護ってくれ。頼んだぞ」
驚いて、心優はすぐさま姿勢をただし敬礼をする。
「はい、細川少将。……大変、失礼いたしました」
「いや。女性としての葉月を護れるのは園田さんだけだろう。それは俺には手が届かないものだ」
妙に脱力した様子で、細川連隊長が元のソファーに座り落ち着いた。
「ああ、疲れるな。葉月と一緒だと」
落ち着いた先輩を見て、海東司令もホッとした様子で微笑みを見せる。
「羨ましいですよ」
「どこが。うちの親父が小娘には容赦するなといつも言うがその通りだ」
ラングラー中佐が冷たいおしぼりを持ってきて、御園准将の頬を冷やす。でも葉月さんはちょっと拗ねているのか、お兄様の隣には戻ろうとしない。
「そういえば……、親父が、このまえ変なことを言っていたな」
「細川元中将がですか?」
海東司令の問いに、向かい側でふてぶてしく足を組んで頬杖をしている眼鏡の連隊長が、妙に遠い眼差しを珊瑚礁の窓辺に向けた。
「ほんとうは男にも負けないタックネームを考えていたけれど、甘ったれた小娘だから、甘ったれた女みたいなタックネームを付けてしまったってね」
その話に、さすがに御園准将も頬を冷やしたまま、反応した。
「細川中将……おじ様が?」
やっと仲直りとばかりに、立っている御園准将と頬杖で座っている細川連隊長の視線が合う。
「聞きたいか? どんなタックネームを考えていたか。俺は……なるほどね、もったいなかったと思った」
「へえ、自分も知りたいですね。あのジャックナイフのお父上が、ティンクよりも前に持っていたイメージを」
それは雅臣もだった。
「俺は葉月さんは、まさにティンクだと思っていました。軽やかに飛ぶ妖精――だって」
雅臣のそんな言葉に、細川連隊長が呆れたように笑った。
「妖精? 親父はそんな目で御園というパイロットを見ていなかったよ。わざとかわいい名前をつけて、もっと精進しろと思わせたかったんだろ」
だったら。もし、男達同様のタックネームを付けてくれていたのなら。本当はなんだったのか。そこにいる男達の聞きたいという空気が連隊長を包んだ。
「Salamander――」
『サラマンダー』? 心優は首を傾げる。でも雅臣は『マジで、すげえ』とちょっと感動している。
「
御園准将も『?』という様子だった。だが海東司令もどこか驚いた様子で答える。
「火とかげ とも呼ばれているのですよ。火の中に棲むことができる伝説上の動物のことでしょう」
「親父が言っていた。葉月は憎しみという火の粉をかぶって、ずうっとその業火の中にいる。そうして空を飛んでいる。焼かれて欲しくない、その火の中でもおまえは生きていける、飛んで帰ってくる。そう思って与えたいタックネームを準備していたが、あまりにも甘ったれているからやめた――ってね」
その途端だった。御園准将も顔を反らして背を向けてしまった。彼女のそばに控えていた心優は見てしまう。おしぼりで押さえているのは頬でなく、目元で、頬には涙がつたっていた。
「その期待に応えてくれたっていいだろ。どんな火の粉がふってきても焼かれても、おまえは帰ってくる。火とかげの如く、何食わぬ顔で炎を纏ってな」
「細川元中将の願いが込められていたのですね。では、いまこそ、ミセス准将はSalamander……」
そこで海東司令がなにかを思いついたように、ハッとして膝を打った。
「これ、いいな。いいと思いませんか、細川少将」
「いいとは……? いまさらSalamanderなんてタックネーム必要もないだろう」
「アグレッサーですよ。アグレッサーの部隊名。大神、なにか書くものを」
「イエッサー」と、大神中佐が白い用紙とペンを渡すと、海東司令がさらさらっとイラストを描き始めた。
「雷神の
炎の中にトカゲのイラスト。なかなか絵心がある司令で既に素敵なイラストだったので心優は目を瞠った。
そのせいでイメージがすぐさまできたようで、細川連隊長の目も銀縁の眼鏡の奥で輝き出す。
「
「さらにどうでしょう。雷神が白い飛行服と機体なら、サラマンダー部隊は、真っ黒、いや海軍らしく濃紺、群青の飛行服、機体も紺の迷彩」
ついに御園准将もちらっと振り返った。
「
そっと司令二人がその気になっている輪に戻ってきた。
「白い雷神に、暗黒の火蜥蜴。いいな。おもしろい」
「訓練校設立は目の前。もう人事も始まります。早々に提案をしてみましょう。ワッペンのデザインも依頼しましょう」
勝手に話が進んでいる――と御園准将がちょっとむくれていたが。在りし日、ほんとうは名付けられただろう名前が、雷神を凌駕するための飛行部隊に名付けられる。
それこそ。彼女がファイターパイロットとして歩んできた道の栄誉ある呼び名だと心優は思う。
そして。雅臣もじっと上官達の話を聞きながら、なにかが込みあげて抑え込んでいるのが心優にはわかっていた。
雅臣が密かに言った。
「いつか行く。Salamander――。俺も火蜥蜴になる」
ファイターパイロットが陸でも燃えた瞬間。
入籍前、でも、わたしたちはまた最前線へ行かねばならない。
もっと厳しい情勢の風が吹く海域へ、空域へ。
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